第61話 自己紹介
王太子出立の報が届いた日の夕方。
第一王女の離宮には、柔らかな夕日の光が差し込んでいた。
庭に面した回廊では、サナとエドがティアと遊んでいる。
「ティアお姉様、こっちです!」
「待って、サナ様!」
「エドも早く!」
「今行く!」
三人の声が、静かな離宮に響いている。
その光景を少し離れたところから眺めながら、俺は立ち止まっていた。
昨日。
ティアが前世の美咲だったことが分かった。
それだけで、俺の中では何かが大きく変わった。
失ったと思っていた幼馴染が。
今も、この世界で生きている。
しかも。
こんなにも近くに。
だが。
だからこそ。
ティアが何かを抱えていることも、何となく分かっていた。
◆
「ティア」
声を掛けると、ティアが振り返る。
「レノ」
二人きりの時だけは、もう昔のような話し方になっていた。
「少し話さないか?」
「うん」
俺はサナとエドを見る。
「二人とも」
「はい?」
「少しだけティアを借りる」
「分かりました!」
サナは素直に頷いた。
「エド、続きやろう」
「うん!」
二人が庭の方へ戻っていく。
俺とティアは、庭に面した回廊の端へ移動した。
◆
「……昨日から、何か考え込んでるだろ」
俺が言う。
ティアは少し驚いたように目を瞬かせた。
「分かる?」
「分かる」
「どうして?」
「昔から、人の顔を見る癖があるからな」
「……そうだったね」
ティアが小さく笑う。
「やっぱり、変わらないね」
「何がだ?」
「そういうところ」
俺も少しだけ笑った。
◆
「悩みがあるなら」
俺は続ける。
「一人で抱えるな」
「……」
「話せることなら話してくれればいい」
「話せないなら、無理に話さなくてもいい」
ティアが俺を見る。
「でも、一人じゃ抱えきれなくなったら」
俺は言った。
「二人で考えればいい」
「二人で?」
「ああ」
「私の悩みを?」
「そうだ」
「俺にできるなら手伝う」
「俺にできないなら、別の方法を探す」
「それでも駄目なら、また考える」
ティアは黙っていた。
やがて。
「……本当に、昔と変わらないね」
「そうか?」
「うん」
ティアは少し笑う。
「困っている人を放っておけない」
「お前に言われると複雑だな」
「昔からそうだったでしょ」
「……まあな」
二人で小さく笑った。
◆
「じゃあ」
ティアがゆっくり息を吐く。
「一つだけ話す」
「ああ」
「まだ全部は無理だけど」
「分かってる」
「でも」
ティアは自分の手を見つめた。
「私には、レノにまだ話していないことがある」
「……」
「それを話したら」
声が少し震えた。
「今までみたいには、いられなくなるかもしれない」
俺はティアを見る。
「なら、今は話さなくていい」
「……え?」
「昨日、俺たちはようやく再会したばかりだ」
「今日、全部を知る必要なんてない」
「話したくなった時に話せばいい」
ティアは目を伏せる。
「怒らない?」
「何で?」
「秘密にしてるから」
「誰にだって、言いたくないことくらいあるだろ」
「それに」
俺は少し笑う。
「俺も、お前に話してないことはある」
「……そっか」
ティアの表情が、少しだけ緩む。
◆
しばらく沈黙が続く。
遠くではサナとエドの笑い声が聞こえる。
その穏やかな空気の中で。
ティアが静かに口を開いた。
「レノ」
「ん?」
「もし私が」
一度、言葉を止める。
「これから先、大きな問題を抱えていたとしても」
「うん」
「自分から話せるようになるまで」
「待ってくれる?」
俺は頷いた。
「待つ」
「……本当に?」
「ああ」
「どうして?」
「昨日、お前に会えたから」
「それだけ?」
「それだけで十分だろ」
ティアが目を伏せる。
「……ずるい」
「何が?」
「そういうこと、平気な顔で言うところ」
「普通だろ」
「普通じゃないよ」
ティアが笑った。
◆
やがて、サナの声が響く。
「ティアお姉様!」
「今行く!」
ティアが立ち上がる。
俺も続こうとした。
その時。
「レノ」
「ん?」
「……明日」
ティアが振り返る。
「もう一度、話したい」
「ああ」
「二人で」
「分かった」
ティアは少しだけ安心したように笑った。
◆
翌日。
いつものように、サナとエドが庭で遊んでいる。
ティアも、その相手をしていた。
そこへ俺が現れる。
「おはよう、ティア」
「おはよう、レノ」
昨日と変わらない。
でも。
ティアには決めていたことがあった。
もう。
何も知らないまま、レノのそばにいるわけにはいかない。
前世の幼馴染として。
大切な人として。
再び会えた喜びだけで、彼を騙し続けることはできない。
「レノ」
「何?」
「少しだけ、二人で話したい」
「ああ」
俺たちは庭から離れ、昨日と同じ回廊へ向かった。
◆
「昨日、言ったよね」
「ああ」
「私が、まだ話していないことがあるって」
「覚えてる」
ティアは一度、目を閉じる。
「今日、話す」
俺は何も言わずに待つ。
「ただ」
ティアは少し苦笑する。
「たぶん、驚くと思う」
「そうか」
「うん」
「なら、覚悟して聞く」
ティアが一度だけ頷いた。
◆
「まず」
ティアは静かに言う。
「今まで、名前を偽っていてごめんなさい」
「ティアは、本当の名前じゃない」
俺は黙って聞いている。
「本当の名前は――」
ティアは一度、深く息を吸った。
「グラーティア・アウレリア・デイ・エクィトゥム」
エクィトゥム王族の姓...
先の戦争で戦った国。
そして
「私は」
ティア――いや、グラーティアは、まっすぐ俺を見る。
「エクィトゥム王国の第三王女です」




