第59話 あの日の続き
角砂糖よりも糖度高いです。 これからもよろしくお願いします。
――料理!
その言葉を聞いた瞬間。
俺は、何も言えなくなった。
ただ、目の前の少女を見つめる。
ティア。
戦場で出会った少女。
身元も分からず、どこから来たのかも分からない少女。
それなのに。
初めて会った時から、どこか懐かしかった。
話し方。
笑い方。
ちょっとした仕草。
そして。
俺を叱る時の言葉。
何度も「気のせいだ」と思った。
前世の美咲を、目の前のティアに重ねているだけだと。
そんな都合のいいことがあるわけがないと。
けれど。
今。
目の前の彼女が。
俺と美咲しか知らない合言葉に答えた。
――料理。
それだけで。
十分だった。
「……美咲」
気づけば、名前が口から漏れていた。
ティアの肩が小さく震える。
「……うん」
その返事を聞いた瞬間。
胸の奥にあった最後の疑いが消えた。
「……本当に」
声が震える。
「本当に、美咲なのか?」
ティアは泣きそうな顔で笑った。
「うん」
「私だよ」
「……そっか」
それだけしか言えなかった。
もっと何か言えると思っていた。
どうしてここにいるのか。
いつから前世を覚えていたのか。
この世界で何があったのか。
聞きたいことはいくらでもある。
でも。
今は。
ただ会えた。
その事実だけで、胸がいっぱいだった。
◆
「……会えたね」
ティアが小さく呟く。
「ああ」
「やっと」
目に涙を浮かべながら、ティアは笑った。
「ずっと、もう一度会えたらって思ってた」
「俺も」
「本当に?」
「ああ」
俺は頷く。
「前世でお前がいなくなったあとも」
「何度も思った」
「もう一度話せたらって」
「……私も」
ティアは涙を拭う。
「湊が死んだって聞いた時、何も考えられなかった」
「まだ答えてなかったから」
「……」
「ずっと後悔してた」
「もっと早く答えればよかったって」
その言葉に、俺は首を振った。
「それはもういい」
「でも……」
「いいんだ」
俺は静かに言う。
「あの日、お前は考えたいって言った」
「俺は待つって言った」
「それだけだ」
「お前を責めたことなんて、一度もない」
ティアは黙って俺を見る。
そして。
「……ありがとう」
小さく笑った。
◆
「でも」
ティアが言う。
「私には、ちゃんと後悔してることがある」
「何だ?」
「あの日」
一度、息を吸う。
「私は、ちゃんと自分の気持ちを分かってなかった」
「湊が大切だった」
「ずっと近くにいたから、それが当たり前だった」
「だから、恋なのか分からなかった」
俺は黙って聞いている。
「でも」
ティアが顔を上げる。
「湊がいなくなって」
「初めて分かった」
「私がどれだけ湊を好きだったのか」
声が少し震える。
「だから」
「今度は、ちゃんと言いたい」
ティアは俺を見る。
「私は、湊が好き」
「……」
「前世の時から」
「ずっと」
俺は一度だけ目を閉じた。
前世で。
ずっと聞きたかった言葉。
そして。
聞けなかった言葉。
それが。
今になって。
「……俺も」
自然と口から出た。
「俺も、美咲が好きだ」
「前世から」
「今も」
ティアの目が大きくなる。
「……本当に?」
「ああ」
「ずっと?」
「ああ」
ティアが泣きながら笑う。
「……よかった」
その笑顔を見て。
俺も笑った。
◆
「なんだか」
ティアが少し照れたように言った。
「変な感じ」
「何が?」
「前世では、こんなこと言えなかったのに」
「確かにな」
「今になって、こんなに簡単に言えるなんて」
「簡単じゃないだろ」
「……そうですね」
二人で少し笑う。
前世では。
言えなかった。
タイミングを逃した。
明日が来ると思っていた。
いつでも伝えられると思っていた。
だから。
最後まで伝えられなかった。
今度は。
違う。
「もう」
俺が言う。
「言いたいことを、後回しにするのはやめよう」
「うん」
「明日、何があるか分からないからな」
ティアは少しだけ考えて。
「……そうだね」
と答えた。
◆
俺は手を差し出した。
「?」
ティアが不思議そうに見る。
「昔」
「こういう約束したことあっただろ」
「……あ」
小指。
幼い頃。
くだらない約束をする時に、何度もやった。
「覚えてる?」
「もちろん」
ティアも小指を差し出す。
二人の小指が、そっと絡む。
「約束」
「何の?」
「これからは、言いたいことをちゃんと言う」
「……うん」
「逃げない」
「うん」
「一人で抱え込まない」
「……それ、昔も言ってたね」
「そうだったか?」
「言ってた」
「覚えてないな」
「私は覚えてる」
二人で笑う。
その笑い方まで。
前世と同じだった。
◆
けれど。
俺はまだ知らない。
ティアが、この世界でどんな立場にいるのか。
どこから来たのか。
なぜ身元を隠しているのか。
俺が確かめたのは。
ただ一つ。
目の前のティアが。
前世の美咲だということ。
それだけだった。
だから。
俺は、それ以上を聞かなかった。
「……何か、隠してることがある?」
俺が聞く。
ティアが一瞬だけ目を伏せる。
「……少しだけ」
「話したくなったら話せばいい」
「聞かないの?」
「ああ」
「どうして?」
「今日だけで、十分大事なことが分かったから」
ティアがこちらを見る。
「……優しいね」
「今さらだろ」
「そうだったね」
ティアは笑った。
その笑顔を見て。
俺は少し安心した。
◆
一方。
ティアの胸の奥には。
決して口にできない秘密が残っていた。
私は。
エクィトゥム王国第三王女。
グラーティア・アウレリア・デイ・エクィトゥム。
そして。
目の前にいるのは、敵国の第一王子。
湊。
本当のことを話せば。
今みたいにはいられなくなるかもしれない。
この穏やかな時間が。
サナやエドと笑う時間が。
湊と昔のことを話す時間が。
全部、変わってしまうかもしれない。
それが怖かった。
本当のことを言いたい。
全部伝えたい。
でも。
まだ、その覚悟がない。
「……もう少しだけ」
ティアは心の中で呟く。
「もう少しだけ、このままでいたい」
その願いだけを胸にしまった。
◆
「そろそろ戻るか」
俺が言う。
「うん」
ティアが頷く。
二人で城壁の階段へ向かう。
その途中。
俺は振り返った。
「美咲」
「何?」
「また来よう」
ティアが少し驚く。
「また?」
「ああ」
「ここに?」
「そうだ」
「……うん」
嬉しそうに笑う。
「また来よう」
「約束だ」
今度は。
小指を絡める必要もなかった。
前世なら。
それだけで終わっていたかもしれない。
でも。
今世では。
まだ続きがある。
言えなかった想いを、今度は伝えられた。
失ったと思っていた幼馴染と、もう一度会えた。
そして。
これから先も。
話すことができる。
それだけで。
今は十分だった。
◆
帰り道。
ティアは少し後ろを歩きながら、レノウィウスの背中を見つめていた。
――湊。
本当に、いた。
本当に、生きていた。
もう一度会えた。
それだけで、胸がいっぱいになる。
できることなら。
この時間がずっと続いてほしい。
何も壊れないまま。
今のまま。
サナやエドと一緒に笑って。
湊とくだらない話をして。
昔みたいに、小さな約束をして。
そんな日々を過ごしたい。
けれど。
自分には。
まだ言えない秘密がある。
その秘密を伝える覚悟は。
まだできていない。
だから。
今はまだ。
この幸せを胸の奥へ大切にしまっておく。
いつか。
覚悟が決まる、その時まで。
ティアは小さく息を吐く。
そして。
前を歩くレノウィウスの背中を見つめながら。
心の中で、そっと呟いた。
――今度こそ。
ちゃんと、明日を迎えたい。
これからもよろしくお願いします。




