第58話 エクイトゥム王国王太子フィリウス・アウレリア・デイ・エクィトゥム
エクィトゥム王国王都コンスタンティア。
その日、エクィトゥム王城では臨時の御前会議が開かれていた。
集められたのは、国王をはじめとする王族、宰相、軍務を担う重臣たち、そして国王派の有力貴族。
議題は一つ。
――王太子の決定だった。
先のアンティクイ・エクィトゥム戦争によって、王国の王位継承を巡る情勢は大きく変わった。
かつて第一王子は、フェルゼンハルト公爵を中心とした貴族派に支えられ、王太子の座へ最も近い位置にいた。
だが、侵攻軍の総大将として敗戦の責任を追及され、王位継承権を剥奪された。
そのうえ、第一王子を支えていたフェルゼンハルト公爵は戦死。
グランツェン辺境伯も戦死。
さらに、侵攻軍へ兵を派遣した貴族家にも責任追及が及び、貴族派そのものが急速に崩壊していた。
王位継承争いに生じた空白。
そこへ。
「フィリウス・アウレリア・デイ・エクィトゥム殿下を、王太子に推挙いたします」
国王派の重臣が静かに口を開いた。
◆
会議室の中央。
フィリウスは無言で立っていた。
青年らしい端正な顔立ち。
金糸のような金髪に、深い翡翠の瞳。
姿勢はまっすぐで、周囲の視線にも動じない。
第一王妃の子。
第二王子。
そして現在、エクィトゥム王国の王位に最も近い王族。
「フィリウス」
国王が呼びかける。
「はい、父上」
「そなたを王太子に任じることについて、意見はあるか」
「ありません」
即答だった。
会議室にわずかなざわめきが起きる。
しかし、フィリウスは表情を変えない。
「随分とあっさりしているな」
国王が言う。
「必要なことであれば、受けます」
「それだけか」
「はい」
フィリウスは淡々と続ける。
「今の王国には、王位継承を巡って争い続ける余裕がありません」
視線を会議室全体へ向ける。
「東部戦線では、現在もリティルファード侯爵軍二千が戦線を維持しております」
「国内では、貴族派の崩壊に伴う政治的な混乱が続いている」
「中央の役職も再編されている最中です」
「さらに、北東部から中東部にかけて国境を接するシルウァニア王国への警戒も必要です」
一つ一つ。
感情を挟まず、現状だけを並べていく。
「この状況で王位継承まで不安定なままにしておけば、王国そのものが弱体化します」
「だから、今ここで決めるべきです」
その言葉に反論する者はいなかった。
喜びを語るでもない。
自らの栄誉を誇るでもない。
ただ。
必要だから受ける。
そんな冷徹さがあった。
◆
「異論はあるか?」
国王が尋ねる。
会議室を見渡す。
かつてなら、この問いには複数の反対意見が出ただろう。
第一王子を支えるフェルゼンハルト公爵がいた。
グランツェン辺境伯がいた。
貴族派には、多数の支持者がいた。
しかし。
今は違う。
第一王子は継承権を失った。
二人の大物貴族は戦場で死亡した。
貴族派は第三王子を新たな旗頭として担ごうとしているが、以前のような求心力はない。
ここで第三王子を無理に王太子へ推そうとすれば、国内対立をさらに深めるだけだ。
「異論はございません」
ある侯爵が頭を下げた。
「私も同意いたします」
「国王派として、第二王子殿下を支持します」
「フィリウス殿下が妥当でしょう」
次々と賛成の声が続く。
かつて貴族派に属していた者たちでさえ、明確な反対を口にすることはなかった。
王太子争いを続けることが、自分たちの立場をさらに悪化させると理解しているからだ。
◆
そして。
国王が立ち上がった。
「フィリウス・アウレリア・デイ・エクィトゥム」
「はい」
「そなたを、エクィトゥム王国の王太子に正式に任ずる」
フィリウスは一歩前へ出た。
「謹んで拝命いたします」
深く一礼する。
歓声もない。
派手な祝福もない。
ただ。
王位継承の道が一本に絞られた。
こうして。
フィリウス・アウレリア・デイ・エクィトゥムは、正式にエクィトゥム王国の王太子となった。
◆
だが。
会議は、これで終わらなかった。
「もう一つ、決定すべきことがございます」
宰相が口を開く。
フィリウスが振り返る。
「アンティクイランド王国との和平交渉についてです」
会議室の空気が変わった。
現在も東部戦線では、小規模な軍事衝突が続いている。
しかし、大規模な戦闘を再開する余裕はない。
国内では政変の後始末が続いており、北東から中東部にはシルウァニア王国という宿敵も存在する。
「王太子となられたばかりのフィリウス殿下に、この交渉をお任せするという案が出ております」
ある重臣が続ける。
「新たな王太子が自ら講和の交渉に赴くことで、王国として戦争を終結させる意思を明確に示せます」
「また、国王陛下の代理として交渉権限を持たせれば、国内の意思決定も一つにまとめやすい」
別の重臣も頷く。
「何より、王太子殿下が直接交渉に当たることで、アンティクイランド王国との間に長期的な敵対関係を残さずに済む可能性があります」
フィリウスは黙って聞いていた。
「父上」
「何だ?」
「私を全権大使にする、ということですか」
「そうだ」
国王が答える。
「そなたには王太子として、これから王国の政治を背負ってもらう」
「同時に、今回の戦争を終わらせる責任も担ってもらいたい」
フィリウスは少し考えた。
「分かりました」
即答だった。
「では、エクィトゥム王国を代表して、アンティクイランド王国との和平交渉に臨みます」
「よい」
国王が頷く。
「これよりフィリウス・アウレリア・デイ・エクィトゥムを、アンティクイランド王国との和平交渉における全権大使に任命する」
再び。
会議室に沈黙が落ちた。
これで、フィリウスには王太子としての地位だけではなく、今回の戦争を終わらせるための正式な交渉権限まで与えられた。
◆
会議が終わった後。
フィリウスは王宮の長い廊下を歩いていた。
「王太子殿下」
後ろから側近が呼びかける。
フィリウスは足を止めた。
「……もう、その呼び方になるのか」
「はい」
「そうか」
それだけ答え、再び歩き始める。
「殿下」
「何だ?」
「王太子になられ、さらに和平交渉の全権大使にも任命されました」
「ああ」
「これから、かなりお忙しくなるかと」
「そうだろうな」
フィリウスに浮かれた様子はない。
「まずは国内だ」
「貴族派の残党を野放しにはできない」
「だが、全員を敵に回すつもりもない」
「王国をまとめる必要がある」
冷静だった。
「そして、東部戦線も維持する」
「リティルファード侯爵軍二千には、不要な攻勢をさせるな」
「戦線を崩さず、消耗も抑える」
「承知しました」
「それから」
フィリウスは窓の外へ視線を向ける。
「シルウァニア王国の動きを調べろ」
北東。
その先には、長年エクィトゥム王国と敵対してきた山岳国家がある。
アンティクイランド王国との戦争を続けながら、そちらまで警戒するのは難しい。
「今の我が国に、二つの戦線を抱える余裕はない」
「はい」
「だからこそ、アンティクイランド王国との戦争は終わらせる必要がある」
フィリウスは淡々と述べた。
「和平交渉を急ぐべきでしょうか?」
「急ぐ必要はない」
「だが、引き延ばす必要もない」
「国内の再編状況を見ながら、最も有利な時期に終わらせる」
「そして、私自身が交渉の席につく」
言葉に迷いがない。
王太子となった青年は、すでに自分が背負う役割を理解していた。
◆
その一方。
第二王妃のもとにも、決定の知らせが届いていた。
「フィリウス殿下の王太子就任が正式に決定いたしました」
「……そう」
第二王妃は静かに答えた。
第一王子は失脚。
フェルゼンハルト公爵もグランツェン辺境伯も死んだ。
そして。
自分の息子である第三王子は、王太子の座へ届かなかった。
「さらに、アンティクイランド王国との和平交渉の全権大使にも任命されたとのことです」
「……」
第二王妃はしばらく黙っていた。
王太子の地位だけなら、まだ分かる。
だが。
アンティクイランド王国との和平交渉まで一任されれば、フィリウスは王国の内外で一気に存在感を高める。
戦争を終結させることに成功すれば。
次代の王としての評価は、さらに高まるだろう。
「……厄介ですね」
第二王妃が静かに呟いた。
それでも。
「まだ終わっていません」
その目から、闘志が消えることはなかった。
◆
その頃。
フィリウスは一人、王宮の高台から王都を眺めていた。
今日から、自分は王太子だ。
そして。
エクィトゥム王国を代表して、アンティクイランド王国との和平をまとめる立場になった。
だが。
彼の中に、浮かれる気持ちはない。
東部戦線。
国内の政変。
貴族派。
シルウァニア王国。
そして。
アンティクイランド王国。
問題は山積している。
特にアンティクイランド王国。
先の戦争で、自分たちは大敗した。
そして、その中心にいたのが第一王子レノウィウスだ。
まだ十二歳だという。
にもかかわらず、戦場で大軍を破り、戦後は和平交渉の全権大使にまで任命された。
フィリウスは、その事実を軽く考えていなかった。
「……厄介な王子だ」
初めて。
わずかに感情が声へ混じった。
だが。
「だからこそ、交渉する価値がある」
冷静な目に戻る。
「戦争は終わらせる」
「その後に、王国を立て直す」
フィリウスは、もう一度王都を見下ろした。
王太子就任。
そして、和平交渉の全権大使。
二つの重い役目を同時に背負った青年の戦いは。
その日から、本格的に始まった。




