第11話 懐かしい記憶
こうして勉強を続けているうちに、俺は四歳になった。
季節は春。
地中海性気候に近いこの国では、冬の寒さが抜けると一気に暖かくなる。
王宮の庭では色とりどりの花が咲き、窓を開ければ柔らかな風が室内へ入り込んでくる。
そんな穏やかな春の日のことだった。
「え、アトラシート伯爵が剣術指南に来るって!?」
俺が思わず声を上げると、向かいに座っていたセドリックが苦笑した。
「はい。最初は私もお断りしたのですが……どうしても、と」
隣にいたカイは、少し呆れたような顔をしている。
「……あのクソ親父が」
「カイ」
「失礼しました」
セドリックが小さくため息をつく。
「第一軍団の視察も兼ねて、第一軍団第二騎士訓練場へ殿下にお越しいただきたいとのことです。それに加えて、魔力についての講義も行うそうで」
「魔法について!?」
俺の目が輝く。
来た。
ついに来た。
転生してから四年。
王族としての勉強、歴史、地理、政治、礼儀作法。
色々と学んできた。
だが――
俺がずっと楽しみにしていたものがある。
魔法。
「今すぐ出立の準備をせよ!」
勢いよく立ち上がる。
……おお。
昔は舌足らずだった俺の声も、今ではかなりしっかりしてきた。
これなら王子としても十分に通用するだろう。
しかし。
「訓練は明日からです」
「…………えー」
「わがままを言わないでください」
セドリックが即答した。
「本日は第一王妃殿下のお見舞いにも行かなければならないでしょう?」
「あ」
そうだった。
現在、母上は身籠っている。
予定日まで、あと一ヶ月。
つまり――
俺の妹、あるいは弟が生まれる。
個人的には妹が欲しい。
できれば可愛い妹。
そう思っているせいか、最近の俺は妙に機嫌がいい。
「……はーい」
俺は渋々椅子へ座り直した。
「よろしい」
セドリックが満足そうに頷いた。
……くそ。
明日が楽しみすぎる。
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それからしばらくして。
俺たちは中央宮殿の離宮――第一王妃宮へ到着した。
宮殿近衛兵と近衛騎士が俺の周囲を固め、その後ろを侍女たちが続いている。
王子一人を移動させるだけだというのに、やたらと大仰だ。
俺自身は慣れてしまったが、前世の感覚が残っている身としては未だに少し違和感がある。
やがて、母上の寝室の前に到着した。
侍女が扉の前で一礼する。
「第一王子レノウィウス殿下がお見えになりました」
「入りなさい」
扉の向こうから、柔らかな声が返ってきた。
扉が開く。
部屋の中央には長椅子が置かれており、その上に母上が座っていた。
以前よりも、その腹部は大きくなっている。
「母上、具合は大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ」
母上は笑った。
けれど――
本当に大丈夫なのだろうか。
以前よりも少し疲れているように見える。
「無理してませんか?」
「まあ……」
母上が少し驚いたように目を丸くした。
「どうしてそんなことを?」
「最近、寝室にいることが多いですから」
俺がそう答えると、母上はしばらく黙って俺を見つめた。
そして――
ふっと笑った。
「レノは優しい子ね」
母上が手を伸ばす。
その手が、俺の頭にそっと触れた。
優しく。
ゆっくりと。
頭を撫でられる。
「……」
温かい。
その感触を感じた瞬間だった。
不意に――
昔の記憶が蘇った。
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まだ幼稚園に通っていた頃。
俺は転んで泣いていた。
そんな俺の隣に、美咲が座っていた。
「湊、どうしたの?」
「……転んだ」
「痛かった?」
俺は小さく頷いた。
すると美咲は、少し考えるような顔をしてから――
俺の頭に手を乗せた。
そして、優しく撫でてくれた。
「よしよし」
たった、それだけだった。
けれど。
あのときの手の温かさを、俺は今でも覚えている。
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「……美咲」
気づけば、名前が口から漏れていた。
母上が不思議そうに首を傾げる。
「レノ?」
「……」
俺は答えられなかった。
美咲。
幼い頃から、ずっと俺の隣にいた。
嬉しいときも。
悲しいときも。
くだらないことで喧嘩したときも。
いつだって、当たり前のように隣にいた。
そして――
最後に交わした言葉。
『少しだけ、考えさせて』
俺は笑って、
『急がなくていいよ』
そう答えた。
それが、最後だった。
「……また、会いたいな」
小さく呟く。
もちろん、返事はない。
もう、あの世界に俺はいない。
そして俺も――
もう、あの世界には戻れない。
そう思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
けれど。
「レノ、どうかしたの?」
母上の声で我に返る。
「いいえ。なんでもありません」
俺は小さく首を振った。
そして、母上の大きくなった腹部へ視線を向ける。
「母上」
「なあに?」
「赤ちゃん、元気?」
母上の目が柔らかく細められた。
「ええ。とても元気よ」
「……よかった」
その言葉を聞いて、俺は自然と笑っていた。
美咲のことを考えると、今でも胸が痛む。
それでも――
この世界には、俺を大切にしてくれる人たちがいる。
父上。
母上。
祖父上。
そして、まだ顔も見ていない弟か妹。
前世で失ったものを忘れることはできない。
忘れる必要もない。
だけど。
俺にはもう、この世界で大切にしたいものができ始めている。
「楽しみだな」
「ええ。私も楽しみよ」
母上が微笑む。
俺も笑った。
こうして俺は、母上とゆっくりとした時間を過ごした。
そして翌日――
ついに、俺の人生で初めての本格的な剣術訓練と、魔力についての講義が始まることになる。




