第55話 学院の変化
夏季休暇が終わった。
王立貴族学院にも、再び生徒たちの姿が戻ってくる。
春には国境視察から始まった戦争があり、夏には王都への凱旋と戦勝祝賀パーティーがあった。
その結果として、王国の貴族社会では大きな変化が起きた。
第一王子派。
これまで少数派に過ぎなかった勢力が、戦争を境に明確な政治勢力として認識され始めた。
そして。
その変化は、王立貴族学院にもそのまま流れ込んできていた。
◆
「……久しぶりだな」
教室へ向かう廊下を歩きながら、俺は周囲を見渡した。
夏季休暇前とは、少し空気が違う。
俺へ向けられる視線が増えている。
「第一王子殿下、おはようございます」
「夏季休暇はいかがでしたか?」
「先の戦争では、大変なご活躍だったそうですね」
以前なら、俺に積極的に近づいてくるのは第一王子派の生徒くらいだった。
今は違う。
戦場で勝った。
その事実が、十二歳の貴族子弟たちの目にも明確な価値として映っている。
「……面倒だな」
小さく呟く。
「何がです?」
隣のカイが尋ねる。
「人が増えた」
「殿下を支持する者が増えたことですか?」
「ああ」
「良いことでは?」
「俺は静かな方がいい」
「もう無理でしょうね」
カイが苦笑した。
◆
そして。
学院内で特に目立っていた変化が、一つあった。
「……ユーザが来るぞ」
教室の一角で、何人かの生徒が小声で話している。
その先から歩いてきたのは――。
ユーザ・デイ・エクウス。
エクウス伯爵家三男。
十歳の武術大会では、第二王子派として行動していた生徒だ。
高い身体能力と武術の実力を持ち、第一学年でも有力な実力者の一人だった。
以前なら。
ユーザの周囲には、第二王子派の生徒たちが集まっていた。
だが。
今は違う。
「ユーザ」
俺が声を掛ける。
「第一王子殿下」
ユーザがこちらへ歩いてくる。
以前なら、ここまで自然に俺へ近づいてくることもなかった。
「話がある」
「何だ?」
俺が聞くと、ユーザは一瞬だけ周囲を見た。
そして。
「俺は、今日から第一王子殿下を支持します」
一瞬。
周囲の空気が止まった。
「……理由は?」
俺が聞く。
「戦争です」
ユーザは真っ直ぐ答えた。
「先の戦争で、殿下が何をしたのかを聞きました」
「敵本陣を落としたこと」
「実際に戦場で指揮を執ったこと」
「そして、エクィトゥス王国軍を崩壊させたこと」
「俺は、それを見ていません」
「だからこそ、最初は噂だと思っていました」
ユーザが少しだけ拳を握る。
「ですが、父から聞きました」
「エクウス伯爵家としても、今回の戦争を通じて殿下を見る目が変わった、と」
「父上も……第一王子派へ?」
「はい」
なるほど。
エクウス伯爵が戦後、第一王子派へ移ったことは知っている。
その家の三男であるユーザも、その影響を受けたわけだ。
「だから俺も決めました」
ユーザが俺を見る。
「武術大会の頃、俺は第二王子派でした」
「覚えている」
「ですが、今は違います」
「今日から、俺は第一王子殿下を支持します」
俺は少しだけ驚いた。
ユーザは、学院内では第二王子派の有力な実力者だった。
その一人が移る。
これは人数以上に大きい。
「……分かった」
俺は短く答えた。
「支持するというなら、勝手にしろ」
「はい」
「ただし」
俺はユーザを見る。
「俺の派閥だから何でも正しい、という考え方はするな」
「王国にとって正しいと思うことを選べ」
ユーザが少し目を見開く。
「分かりました」
「なら、それでいい」
ユーザが一礼する。
「ありがとうございます」
そして。
俺の後ろへ並んだ。
◆
その光景を。
廊下の少し離れたところから見ている人物がいた。
第二王子ルキウス・ゲンス・デイ・アイティクイランド
「……ユーザまで」
隣にいたガルディシア伯爵家次男でありルキウスの従兄弟であるアウルスが小さく頷く。
「はい」
「以前は、あいつもこちらだったはずだ」
「そうです」
「それが第一王子へ?」
「エクウス伯爵家そのものが、戦後に第一王子派へ移りましたから」
「……」
ルキウスは黙った。
エクウス伯爵家。
それなりの規模を持つ領地貴族。
そこから第一王子派へ移った。
そして今度は、その家の三男であり、自身と同年代の学院生まで第一王子側へ移った。
これは。
単なる一人の生徒の離反ではない。
家の政治姿勢が、学院にまで反映されている。
「他には?」
「まだ明確な支持表明はありません」
「だが?」
「第一王子殿下へ近づく者は増えています」
「……」
ルキウスは窓の外を見る。
夏季休暇前とは違う。
明らかに。
空気が変わっている。
◆
その日の午後。
秋の行事に向けた準備の打ち合わせが行われた。
「各派から代表を――」
教師が説明している。
以前なら、第二王子派がほとんどの枠を押さえていた。
だが。
「第一王子派からも代表を出すべきです」
誰かが言った。
「賛成です」
別の生徒も続ける。
「戦後、第一王子派の勢力も大きくなっています」
「学院内でも、以前とは状況が違います」
その発言に、第二王子派の生徒たちがざわつく。
そして。
「ユーザも第一王子派へ移った」
誰かが呟く。
「エクウス伯爵家だぞ」
「武術大会の時は第二王子派だったのに」
「戦争一つで、ここまで変わるのか?」
第一王子派の生徒たちは以前より堂々としていた。
ユーザも、その輪の中にいる。
かつて第二王子派の一角にいた少年が、今では第一王子派の側に立っている。
その事実は、学院内でかなり大きな意味を持った。
◆
その日の放課後。
ルキウスは一人で教室に残っていた。
「……まずいな」
口から自然に言葉が漏れる。
第一王子派。
戦争前なら、そこまで警戒する必要はなかった。
レノウィウスはまだ少数派。
自分の方には、多くの貴族家が付いていた。
学院でも同じだった。
武術大会の参加者だけを見ても、
第一王子派6人。
第二王子派14人。
圧倒的にこちらが多かった。
それが。
今は。
第一王子派8人。
第二王子派12人。
エクウス伯爵家が第一王子派へ移った。
その三男であるユーザまで、第一王子を支持した。
学院内でも、第一王子派へ近づく者が増えている。
「……」
ルキウスは窓の外へ目を向ける。
レノウィウスが、ユーザや他の生徒たちと歩いている。
その光景が、以前とは違って見える。
「兄上……」
第一王子レノウィウス・ゲンス・デイ・アイティクイランド
以前までは、王位継承争いで自分が警戒すべき相手ではあっても、まだ遠い存在だった。
だが。
今は違う。
戦場で勝った。
大貴族が支持についた。
法衣貴族も増えた。
そして学院でも、人が動き始めた。
「このままでは……」
ルキウスは拳を握る。
第一王子が、さらに支持者を増やす前に。
自分も何かしなければならない。
そう思う。
けれど。
何をすればいいのかが、まだ明確には見えていない。
焦りだけが増していく。
◆
翌日。
秋の行事の準備は続く。
第一王子派の生徒たちは、以前より発言するようになった。
第二王子派は、それを以前ほど簡単には押さえ込めなくなった。
教師たちも、両派を意識して役割を割り振るようになっている。
学院はあくまでも学びの場。
しかし。
ここにいるのは、将来の王国を背負う貴族子弟だ。
大人たちの勢力が変われば、その影響は必ずここまで届く。
そして。
その最初の象徴となったのが――。
ユーザ・デイ・エクウスの第一王子派への転向だった。
それは小さな変化に見える。
だが。
ルキウスには、そうは見えなかった。
自分の周囲から。
少しずつ。
何かが崩れ始めている。
その感覚だけが、はっきりと残っていた。




