第四十八話「神風」
海の向こうに、国がある。
日本。
中国の東、海を隔てた島国。高麗の向こう、対馬海峡を越えた先にある。
俺はこの国に使者を送った。何度も送った。「元に臣従せよ。さもなくば——」。
返事はなかった。黙殺された。
南宋に送った時も、ホラズムに送った時も、使者を殺されるか無視されるかだった。祖父がオトラルの使節虐殺に怒りを燃やしたように、俺も黙殺に苛立った。
だが日本の場合は、使者は殺されなかった。ただ——返事が来なかった。
「あの国は、我々を知らないのでしょうか」
マルコが聞いた。
「知っているはずだ。高麗を通じて、元の存在は伝わっている。知った上で、無視している」
「無視する理由は」
「海だ。海に守られていると思っている。陸続きではないから、我々が攻めてこられないと」
海が壁になっている。石の壁でも版築の壁でもない、水の壁。
壁は壊すものだと、祖父が教えてくれた。
1274年、十月。日本遠征軍が出発した。
兵力を記す。
元・高麗連合軍。総兵力約三万。うちモンゴル・漢人兵二万五千。高麗兵五千。軍船九百隻。高麗の造船所で二年かけて建造した船団だ。
指揮官は忻都。モンゴル人の将軍だが、海戦の経験はない。副将の洪茶丘は高麗出身で、海のことを多少は知っている。
三万。
祖父がホラズムを攻めた時は二十万だった。金朝を攻めた時は十万。それに比べれば、三万は小さな軍だ。
だが海を越える遠征は、陸の遠征とは桁が違う難しさがある。
船に載せられる人間と馬と食料の量は限られている。対馬海峡の渡海に丸一日かかる。嵐が来れば船は沈む。上陸した後の補給は、全て船で運ばなければならない。
ヤムの伝令網も使えない。海にヤムの中継点は設置できない。出発した後は、帰ってくるまで情報が途絶える。
祖父がジェベとスブタイを「自由に動け」と送り出した時と同じだ。手から離れた矢。着弾するまで、待つしかない。
報告は、二ヶ月後に届いた。
遠征軍が高麗の合浦から出発し、対馬海峡を渡ったこと。対馬と壱岐を攻略したこと。そして——博多湾に上陸したこと。
だがその報告は、勝利の報告ではなかった。
忻都が大都に戻ってきた。敗残の将の顔だった。
「何があった。全て話せ」
忻都は床に額をつけた。
「報告いたします。遠征軍は博多湾への上陸に成功しましたが——撤退を余儀なくされました」
忻都の報告を記す。
対馬。十月五日に上陸。守備兵は少数で、一日で制圧した。
壱岐。十月十四日に上陸。同様に制圧。
博多湾。十月二十日に上陸を開始した。
「上陸した時、浜辺に敵がいました。鎧を着た武者が、馬に乗って並んでいました」
「数は」
「推定一万から二万。正確にはわかりません」
「迎撃態勢を取っていたのか」
「いえ——妙でした」
忻都が首をかしげた。
「最初に一人の武者が前に出てきました。馬上で弓を持って、大声で何か叫んでいました」
「何と」
「通訳によれば——自分の名前と家柄を名乗っていたと。祖先の武功を語り、一騎打ちを申し込んでいたようです」
一騎打ち。
名を名乗って、一対一で戦う。
草原の戦いでは聞いたことがある。大昔の草原では、そういう戦い方もあったらしい。だが祖父が十進法の集団戦術を確立して以来、モンゴルでは一騎打ちは過去の遺物だ。
「それで?」
「我が軍は——名乗りが終わる前に矢を射かけました。集団で」
「当然だ。戦場で名乗りを待つ理屈はない」
「はい。ですが——相手の武者たちは、動揺していました。自分たちの作法が通じないことに。その後は集団で突撃してきましたが——」
「戦いはどうだった」
忻都の顔がさらに暗くなった。
「我が軍は上陸直後で陣形が整っていませんでした。船から降りたばかりで、馬もまだ全頭は揚げられていない。そこに敵の武者が突撃してきた」
「押されたのか」
「押されました。あの武者たちは——強い。個々の武勇が、尋常ではありません」
俺は少し驚いた。モンゴルの集団戦術は、世界中で通用してきた。金朝の兵も、ホラズムの兵も、ルーシの騎士も、ハンガリーの重装騎兵も、全てモンゴルの戦術の前に崩れた。
だが日本の武者は——
「一人一人が、恐ろしく強いのです。鎧が頑丈で、矢が通りにくい。刀の扱いが異常に速い。近づかれると——モンゴル兵が一対一で勝てる相手ではありませんでした」
「一対一で勝てない?」
「個人の武勇では、あちらが上です。ただし——集団戦術では我が軍が上回りました。十人隊で連携して囲めば、どんな武者でも倒せました。問題は——」
「問題は」
「数が足りなかったのです。三万では。上陸地点を確保するだけで精一杯で、内陸に押し進む余力がありませんでした」
そして震天雷を使った。
「てつはう——と、あちらの武者たちは呼んでいました。爆発音に馬が暴れて、武者が落馬する。最初は効果がありました。見たことのない兵器に動揺していた」
「最初は?」
「すぐに慣れました。二度目からは、爆発音がしても馬を押さえて突撃してきた。あの武者たちは——恐怖に慣れるのが異常に速い」
恐怖に慣れる。
祖父がブハラの前にモンゴル軍の焚き火を多く焚いて恐怖を煽った時、タヤン・ハンは震え上がった。だが日本の武者は、震天雷の爆発に一度怯んだだけで、二度目からは平然と突撃してくる。
恐怖が効かない相手。インダス河畔のジャラールッディーンと同じだ。死を恐れない人間には、心理戦が通じない。
「上陸は維持できたのか」
「一日は維持しました。だがその夜——」
忻都が声を落とした。
「嵐が来ました」
「海が荒れ始めたのは、日没後でした。風が急に強くなり、波が高くなった。船が揺れ始めて——」
「沈んだのか」
「二百隻以上が沈没、または座礁しました。九百隻のうちの二百です。兵の多くはまだ船の上にいました。上陸した兵は一部で、大半は船で待機していた。その船が——」
「損害は」
忻都が額を床につけたまま答えた。
「戦死と溺死を合わせて、推定一万三千。全軍の四割以上です」
四割。
一夜の嵐で、四割を失った。
戦場で四割を失うことはある。野狐嶺で金朝軍が六割以上を失った。モヒでハンガリー軍が半数を失った。だがそれは全て、人間の手による損害だった。
嵐は人間の手ではない。
天だ。テンゲリだ。
「残存兵力で再上陸はできなかったのか」
「不可能でした。船が損傷して渡海能力を失った艦が多数。兵は疲弊し、食料も水も船と一緒に沈んでいた。忻都は——撤退を決断しました。残った船で高麗に帰還しました」
忻都が頭を上げた。
「全て——俺の判断です。撤退の責任は俺にあります」
俺は忻都を見た。
この男を罰するべきか。三万を預けて、一万三千を失い、何も獲れずに帰ってきた。
だが——嵐は忻都のせいではない。嵐を予測できなかったことを責めるべきか。海を知らない人間に海の遠征を任せた俺の判断こそが、問題ではないか。
「忻都。おまえは罰しない。嵐はおまえの罪ではない。だが——」
「だが?」
「次は、もっと多くの船と兵を出す。そして——嵐の季節を避ける」
「次が——あるのですか」
「ある。俺はまだ、あの島を諦めていない」
忻都が去った後、俺は一人で窓の外を見ていた。
海。
草原を越えた。砂漠を越えた。山脈を越えた。城壁を壊した。
だが海は越えられなかった。
祖父が作った帝国は、陸の帝国だった。馬が走れる場所では無敵だった。だが馬が走れない場所——海の上では、ただの人間の集まりだ。
マルコが言った通りだった。「砂漠と海は違います。海には地面がない」。
地面がない場所では、モンゴル人の全ての優位が消える。十進法の軍制も、ヤムの伝令網も、替え馬の機動力も、複合弓の射程も——全て、地面があって初めて意味を持つ。
海は、モンゴルの限界なのか。
いや。まだ諦めない。
一度の失敗で諦めるなら、祖父はウーラハイの城壁の前で引き返していた。壁を壊す方法がなかった時、祖父は方法を学んだ。海を越える方法がないなら、方法を学べばいい。
もっと大きな船を。もっと多くの船を。嵐に耐えられる船を。
もう一度、行く。
だが——一つだけ、忻都の報告の中で引っかかることがあった。
あの武者たちのことだ。
一騎打ちを挑んできた武者。名を名乗り、祖先の武功を語り、正面から戦おうとした武者たち。
モンゴルの集団戦術に対して、個人の武勇で立ち向かってきた。非効率だ。祖父なら「馬鹿な戦い方だ」と笑っただろう。
だが——強かった。個々の武勇が異常に高く、恐怖に慣れるのが速く、一度怯んでもすぐに立て直す。
祖父の時代に、そういう敵がいただろうか。
いた。ジャラールッディーン。滅びゆく帝国の最後の息子。鎧を脱いでインダス河に飛び込んだ男。
祖父は「息子というものは、ああであるべきだ」と言って、追撃を止めた。
あの武者たちにも、同じものを感じる。自分の名と誇りのために、死を恐れずに戦う人間。
そういう敵を——大軍で踏み潰すことが、本当に正しいのか。
正しいかどうかは問題ではない。やるかやらないかだ。
俺はやる。もう一度。




