第四十五話「大都の夢」
弟アリクブケとの戦いは、四年間続いた。
帝国を一つに保つために、帝国を割って戦った。記録だけを残す。
1260年、最初の会戦。俺の軍八万がアリクブケの軍四万とモンゴル高原南部で激突。アリクブケ軍を撃退するも、戦死は双方合わせて一万を超えた。
1261年、シムルタイの戦い。俺の先遣隊三万がアリクブケの主力五万に敗北。戦死六千。俺にとって初めての本格的な敗戦だった。
1262年、再戦。俺の本隊十万がアリクブケ軍六万を包囲殲滅。アリクブケの兵力は半減した。だがこちらの損害も戦死八千。
1264年、アリクブケの降伏。四年間の累計で、モンゴル人同士の戦死は推定四万以上。
祖父が束ねた草原の民が、孫の世代で互いに弓を引いた。同じ十進法で編成され、同じヤサに従い、同じ複合弓を引く兵同士が殺し合った。どちらの矢にも、祖父が定めた規格統一の矢じりがついていた。
これ以上は語りたくない。
1264年。アリクブケが降伏した。
弟が俺の前に引き出された。痩せていた。目が虚ろだった。四年間の戦いで、かつての覇気は消えていた。
「兄上。負けました」
俺は弟を見た。
殺すべきか。反乱を起こした弟を。帝国を割った弟を。モンケなら殺しただろう。フレグなら迷わず殺す。祖父なら——
祖父はジャムカを殺した。だがそれは、ジャムカ自身が「殺してくれ」と頼んだからだ。
「殺さない」
アリクブケの目が動いた。
「おまえは俺の弟だ。祖父の遺言を覚えているか。『兄弟を殺し合わせるな』と」
「もう——殺し合いましたが」
「殺し合った。だがこれ以上は殺さない。おまえは幽閉する。命は取らない」
アリクブケは何も言わなかった。連れていかれる背中が小さかった。
アリクブケはその二年後に死んだ。幽閉先で。病だと発表した。病が本当かどうかは——俺自身にもわからない。看守に殺すなと命じたが、命じた通りに動く人間ばかりではない。
父トルイが「病死」した時と同じだ。帝国の内側では、命令と実行の間に暗い隙間がある。
内戦が終わった時、俺は四十九歳だった。
帝国を見渡した。
もう一つの帝国ではなかった。
バトゥのキプチャク・ハン国は、バトゥの死後も独立した国として動いている。フレグのイル・ハン国は西アジアに根を下ろしている。チャガタイ・ハン国は中央アジアにある。
四つの国。名目上は俺が大ハンで、全てを統べているはずだが、実態は違う。西の三つのハン国は、俺の命令をもう聞かない。それぞれの王が、それぞれの判断で動いている。
帝国は、もう一つではない。
祖父が作った一つの帝国が、四つに割れた。割れたものを、もう一度繋ぎ合わせる力は——俺にはない。
だが俺の手の中には、まだ最大の一片がある。中国だ。
中国の北方はモンゴルが支配している。南には南宋がまだ残っているが、いずれ飲み込む。中国全土を手に入れれば、世界最大の人口と最も豊かな土地が俺のものになる。
その中国を治めるには——首都がいる。
「大都を建てる」
劉秉忠に告げた時、老学者は少し驚いた顔をしたが、すぐにうなずいた。
「どこに」
「中都の近くだ」
「チンギス・ハンが落とした中都の?」
「そうだ。祖父が壊した城の隣に、新しい城を建てる」
劉秉忠の目が光った。学者の目だ。破壊の跡に何を建てるか——その問いが、この男の知的好奇心に火をつけた。
「設計を任せる。中国の都市計画と、モンゴルの草原の知恵を組み合わせろ。どちらか一方ではだめだ。両方を融かし合わせた、新しい都を」
「具体的には、何をお望みですか」
「城壁は要る。だが城壁の中に、草原を入れろ」
「草原を?」
「広い庭だ。木と草と水がある庭。ゲルを張れるくらい広い庭を、宮殿の中に。俺はモンゴル人だ。石の壁だけに囲まれたら息が詰まる。祖父が中都に入らなかったのは、そのせいだ。だが俺は入る。入るために——壁の中を草原にする」
劉秉忠は筆を取って、図面を描き始めた。
大都。後の世に北京と呼ばれることになる都市の原型が、この日の図面から始まった。
建設には何年もかかった。
俺はその間、戦も治世も並行して進めなければならなかった。大都を建てながら、南宋との戦いの準備を進め、帝国の制度を整えていく。
一つの巨大な弓を作っている。祖父の言い方を借りれば。
異なる素材を組み合わせて、一つの素材では出せない力を作る。
モンゴルの騎馬と軍事力。漢人の行政と技術。ウイグルの商業と文字。チベットの宗教と文化。ペルシアの天文学と医学。
全てを組み合わせて、一つの国を作る。
祖父がやったのは弓だった。小さな弓——木と角と腱の弓。それを軍に拡大し、国に拡大した。
俺は、さらに拡大する。国を越えて、文明を束ねる。
「もう一つの弓ですな」
劉秉忠が図面を広げながら言った。
「もう一つの弓?」
「チンギス・ハンの複合弓。異なるものを合わせて、新しい力を作る。ハンがやろうとしていることは——国の規模の複合弓です」
この男は、祖父を知らないのに、祖父の原理を理解している。
「劉秉忠。おまえは漢人だ。祖父がおまえの国を壊した。恨みはないのか」
「恨みですか」
劉秉忠は少し考えた。
「金朝を恨んだことはありません。金朝は我々漢人を支配した異民族の王朝でした。チンギス・ハンがそれを壊した。壊された後に——ハンが新しいものを作ろうとしている。その新しいものが、古いものより良ければ——恨む理由がありません」
「古いものより良くなるかは、まだわからない」
「だから作るのです。作ってみなければ、わからない」
大都の設計が進む中で、一つの制度を整えた。
紙幣だ。
交鈔と呼ぶ。紙に額面を刷り込んで、通貨として流通させる。
金や銀の貨幣は重い。大量に運ぶには馬が要る。だが紙なら軽い。商人が千キロ先の市場に行く時、金貨を何十キロも背負っていく必要がない。紙を一枚持っていけばいい。
「紙に価値があるのですか」
モンゴルの将軍の一人が首をかしげた。
「紙そのものに価値はない。だが俺が『この紙は銀十両と同じ価値がある』と宣言し、帝国全体でその宣言を守れば——紙が銀になる」
「宣言だけで?」
「宣言だけでは足りない。仕組みがいる。紙幣を銀に交換できる場所を帝国中に設ける。交換が保証されていれば、商人は紙幣を信用する。信用が通貨を作る」
ヤムの駅伝制と同じだ。仕組みが信用を作り、信用が帝国を動かす。
祖父がヤムで情報を流したように、俺は紙幣で価値を流す。帝国の血管を、もう一本増やす。
大都が形になり始めた頃、劉秉忠と二人で建設現場を歩いた。
城壁の基礎が据えられていた。巨大な石の基礎の上に、版築と煉瓦の壁が積み上がっていく。高さはまだ人の背丈ほどだが、完成すれば十五メートルを超える。
祖父が壊した壁を、俺が作っている。
「不思議ですな」
劉秉忠が呟いた。
「何がだ」
「チンギス・ハンは壁を壊す技術を一生かけて磨きました。投石機を作り、火薬を学び、壁を砕いた。その孫のハンが——壁を作っている」
「祖父は壁を壊した。壁の向こうにあるものを奪うために。俺は壁を作っている。中に住む人間を守るために。やっていることは正反対だ」
「正反対——ですか」
「でも、壊し方を知っている人間は、壊されにくい壁の作り方も知っている。祖父が投石機で壊した壁の弱点を、俺たちは知っている。その弱点を塞いだ壁を作れる。壊すことと作ることは、逆だが——繋がっている」
劉秉忠は深くうなずいた。
城壁の向こうに、広い空き地があった。ここが宮殿の庭になる。草を植え、木を植え、水を引く。壁の中の草原。
祖父が入れなかった壁の中に、草原を持ち込む。
それが俺の答えだ。草原を捨てるのではなく、壁の中に草原を作る。二つの世界を、一つの都市に収める。
複合弓のように。
ある夜、完成しかけた宮殿の一室で、一人座っていた。
窓から空が見えた。蒼い空はもう暗くなっていて、星が出ている。
祖父。
あなたはゲルの天窓から星を見ていた。俺は宮殿の窓から星を見ている。
同じ星だ。同じ蒼い天の下にいる。
あなたは壊した。壊して壊して壊し続けた。城壁を、国を、文明を。
俺は作る。あなたが壊したものを拾い集めて、新しい形に組み直す。
あなたの右手は、最後に開いたと聞いた。何も握っていなかった、と。
俺の右手には、筆がある。
筆で法を書き、紙幣を刷り、図面を描く。あなたが弓を握ったように、俺は筆を握る。
それが——あなたの孫の、やり方だ。
大都はまだ完成していない。だが俺の仕事は止まらない。
南に、南宋がある。中国最後の漢人王朝。これを飲み込まなければ、中国は一つにならない。
そして東に——海がある。海の向こうに、まだ見ぬ島国がある。日本というらしい。
祖父は草原を越え、砂漠を越え、山脈を越えた。
俺は——海を越えられるだろうか。




