第三十七話「血の影」
俺の名はバトゥ。ジョチの息子だ。
ジョチ——チンギス・ハンの長男。
だが、本当の長男だったかどうかを、一生疑われ続けた男の息子だ。
父の話をするのは好きじゃない。
父は俺が二十二の時に死んだ。キプチャク草原の自分の領地で、病だと聞いた。病が本当かどうかはわからない。叔父のチャガタイが手を回したという噂もある。
そして同じ年に、祖父も死んだ。
噂。俺の一族にはいつも噂がつきまとう。
父ジョチは本当にチンギスの子か。祖母ボルテがメルキトに奪われていた時に身籠った子ではないか。チンギスは「俺の子だ」と宣言したが、草原の誰もが疑った。チャガタイは宴の席で面と向かって「兄上の血が本物かどうか」と言い放った。
その父の息子である俺もまた、疑われている。
ジョチの血が怪しいなら、ジョチの息子の血も怪しい。チンギスの直系を名乗る資格があるのか。キプチャクの草原を支配する権利があるのか。
答えは決まっている。ある。祖父がそう決めた。父にキプチャクの領地を与え、父の死後はその長男の俺が継ぐ。チンギスの遺言だ。
だが遺言があっても、目はごまかせない。俺を見る目。他の一族の目。あいつはジョチの息子だ——そういう目。
慣れた。
慣れるしかなかった。
祖父の死は西夏遠征の途中だったと聞いた。落馬して、それきり。
祖父の顔はぼんやりとしか覚えていない。子供の頃に何度か会った。大きな手の男だった。目が鋭くて、近くにいるだけで空気が変わる男だった。
一度だけ、祖父が俺に声をかけてくれたことがある。
「おまえ、ジョチの子か」
「はい」
「目が似ているな。父に」
それだけだった。それだけの会話を、俺は二十年以上覚えている。
祖父は父の目に何を見ていたのだろう。父を自分の子だと信じていたのか。疑っていたのか。
聞けるはずもなかった。二人とも、もういない。
祖父の死後、二年間は空位の時代だった。
トルイが暫定的に帝国を管理していたが、正式なハンがいない不安定な時期だった。各地で小競り合いが起き、従属していた諸部族が動揺し始めていた。
1229年、クリルタイが開かれた。オノン河のほとり。祖父がチンギス・ハンを名乗ったのと同じ場所だ。
全モンゴルの長に選ばれたのは、オゴデイ。祖父の三男。
祖父が後継者に指名していた男だ。チャガタイは激しすぎる。トルイは軍人すぎる。オゴデイは——温厚で、人の話を聞ける男だ。
俺はオゴデイの即位式に出席した。白い毛氈の上に座るオゴデイを見上げながら、考えていた。
この男は、祖父とは違う。
祖父は刃物だった。近くにいるだけで切れそうな男だった。オゴデイは——杯だ。中身は酒。温かくて、丸くて、割れやすい。
オゴデイは酒を飲む。よく飲む。朝から飲むこともあると聞いた。祖父の巨大な影が重すぎて、酒でしか背負えないのだろう。
即位の挨拶で、オゴデイは言った。
「父上のようにはなれない。だが、父上が築いたものを壊さないことはできる。それが俺の仕事だ」
正直だった。嘘がない。祖父のような覇気もないが、祖父にはなかった率直さがある。
チャガタイが横にいた。二番目の叔父。父ジョチを生涯にわたって嘲り続けた男。今は自分の領地——中央アジアのチャガタイ・ハン国に引っ込んでいるが、目は油断がならない。
チャガタイと目が合った。
あの目だ。父を見ていたのと同じ目で、俺を見ている。
「おまえも父親に似てきたな。バトゥ」
チャガタイが静かに言った。
褒めているのか、嘲っているのか。たぶん両方だ。
俺は答えなかった。答える必要がない。言葉で返しても、この男の疑いは消えない。
証明するなら、別の方法がある。
父が遺した領地——キプチャク草原は、帝国の西端にある。
スブタイとジェベがかつて走り抜けた土地だ。カルカ河でルーシの連合軍を破った場所。だがモンゴルの支配はまだ確立されていない。走り抜けただけで、治めてはいない。
俺はキプチャクの領地に座って、スブタイが残した地図を見ていた。
スブタイの地図。二万キロの遠征で見てきたものを記録した地図。道の状態、水源の位置、各国の兵力。祖父が「いつか使う日が来る」と言った地図だ。
使う日が来た。
西方。ルーシの諸公国。ポーランド。ハンガリー。その先のドイツ。ヨーロッパと呼ばれる世界。
俺はこの地図を手に入れた時、決意した。
祖父がホラズムを滅ぼした。父が西方の領地を得た。そして俺が——この地図の先まで走る。
スブタイが偵察した道を、今度は征服する。
それが、ジョチの息子としての俺の答えだ。血の正統性を証明するには、誰よりも遠くまで走って、誰よりも大きな手柄を立てるしかない。
オゴデイに謁見を求めた。
大ハンの宮殿——オゴデイは祖父と違って宮殿を建てた。カラコルムという都市を作り、その中に石の建物を建てた。祖父はゲルから出なかったが、オゴデイは壁の中に住んでいる。
「バトゥ。何の用だ」
オゴデイは酒を飲みながら俺を迎えた。午前中だった。
「西方への遠征を許可していただきたい」
「西方?」
「ルーシ、ポーランド、ハンガリー。スブタイの地図に記された土地です。祖父が『いつか使う日が来る』と言った地図です」
オゴデイは杯を置いた。少し酔いが醒めた目で俺を見た。
「大きな話だな。兵はどれだけ要る」
「十五万。各家から兵を出していただきたい。ジョチ家だけでは足りない」
「十五万か。チャガタイ家にも、トルイ家にも、兵を出させろと」
「はい」
「チャガタイが反対するぞ。おまえに十五万を預けるなど、あの男が許すはずがない」
「チャガタイ家の代表として、チャガタイの孫を副将につけます。トルイ家からもモンケを。各家が参加すれば、反対の理由がなくなります」
オゴデイは少し笑った。
「おまえ、計算ができるな。ジョチの息子にしては——」
言いかけてやめた。自分の言葉の不用意さに気づいたのだろう。
「すまん。今のは——」
「気にしていません」
気にしている。だが顔には出さない。父がそうしていたように。祖母ボルテが顔に出さなかったように。
俺たちの一族は、顔に出さないことに慣れている。
オゴデイは杯を取り上げて、一口飲んだ。
「いいだろう。西方遠征を許可する。ただし——スブタイをおまえの副将につけろ。あの老人がいれば、俺も安心だ」
「スブタイ将軍は——もうかなりの高齢では」
「六十を超えているが、馬には乗れる。二万キロを走った男だ。おまえの遠征に、あの男の経験が要る」
スブタイ。
祖父の将。ジェベと二万キロを走り、カルカ河でルーシを破った男。あの男が、俺の副将につく。
「ありがたく受けます」
「それから、バトゥ」
オゴデイが真剣な目で言った。
「帰ってこいよ。おまえの父は——帰ってこなかった」
父への言及だった。ジョチは西方の領地に行ったきり、モンゴルに帰らなかった。そして死んだ。
「帰ります。必ず」
だが、内心では別のことを考えていた。
帰るかどうかは、西で何を得るかによる。
十分な手柄を得て帰れば、俺の血を疑う者はいなくなる。不十分なら——帰っても同じだ。ジョチの息子という影はついて回る。
西で、全てを証明する。
遠征の準備が始まった。
各家から兵が集まってくる。ジョチ家の四万。チャガタイ家から二万(チャガタイの孫バイダルが率いる)。トルイ家から三万(モンケが率いる)。オゴデイ家から二万。その他の諸部族から四万。合計十五万。
そしてスブタイが来た。
老人だった。背は曲がり、顔には深い皺が刻まれている。髪は真っ白だ。だが目は——あの目はまだ生きていた。鷹の目。全体を見る目。祖父がジャムカに似ていると言った目。
「バトゥ殿。スブタイ、参りました」
「将軍。長旅でしたか」
「馬に乗っていれば、どこでも同じです」
短い男だった。ジェルメに似ている。祖父の将たちは、みんな言葉が少なかったらしい。
「あの地図を持ってきました」
スブタイが革袋から地図を取り出した。
二万キロの遠征で作った地図。三十年前の地図だが、山と河の位置は変わらない。道は変わっているかもしれないが、骨格は使える。
「この道を、もう一度走るのですな」
スブタイが地図を広げながら言った。目が少し遠くなった。
「前回は二万で走った。今度は十五万です。前回は偵察だった。今度は——」
「征服だ」
俺が言い切った。
スブタイが俺を見た。しばらく見ていた。
「……ハンに似ておられる」
「祖父に?」
「いえ。お父上のジョチ殿に。目が」
父に似ている。祖父にそう言われたのと同じことを、祖父の将に言われた。
「お父上は——良い方でした。もっと長く生きるべきだった」
スブタイはそれだけ言って、地図に目を戻した。
俺は黙っていた。
父に似ている。その言葉が、刺のように胸に残った。似ていることは、誇りなのか。呪いなのか。
どちらでもいい。
俺はジョチの息子だ。それ以外の何者でもない。その名前を背負って、西の果てまで走る。
父が行けなかった場所まで。祖父が見なかった世界まで。
1236年、秋。
十五万の軍勢が西へ向かって動き出した。
スブタイの地図を手に、父の名を胸に、祖父の帝国を背負って。
ジョチの息子の戦が、始まる。




