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第十八話「バルジュナ湖の誓い」


カラハルジトから撤退して三日目に、軍が崩れ始めた。

最初は少しずつだった。夜のうちに姿を消す家族。朝起きたらいなくなっている十人隊。一人、また一人と、闇の中に溶けるように消えていく。

止められなかった。

止める理屈がなかった。ケレイトとの戦いは引き分けに近かったとはいえ、こちらの損害は甚大だ。四千二百人が死んだ。残った兵も疲弊ひへいしきっている。首に矢を受けた総大将が血まみれの布を巻いたまま馬に乗っている。その姿を見れば、誰だって不安になる。

五日目に、ムカリが報告に来た。

「残存兵力、約四千六百」

出発時の一万二千から、半分以下に減っていた。負傷者の脱落と離散を合わせて、七千以上が消えた計算だ。

「去った者の行き先は」

「ケレイトに投降した者もいれば、草原に散って遊牧に戻った者もいます。中にはジャムカのところに行った者も」

ジャムカ。あの男は今頃、笑っているだろうか。

「追うか」ムカリが聞いた。

「追わない。去りたい奴は去ればいい。無理に引き止めた兵は、次の戦場で後ろから刺してくる」

ムカリはうなずいた。

七日目、さらに減った。三千二百。

十日目、二千八百。

去っていく者たちを、俺は責めなかった。責める資格がなかった。

この人たちは俺を信じてついてきた。「血筋ではなく行動で評価する」という約束を信じて、自分の氏族を離れ、俺の旗の下に来た。そして俺は、その人たちを戦場に連れていき、四千人を死なせた。

残った者が去るのは当然だ。

ボルテが馬の横を歩いていた。ジョチを背負い、次男のチャガタイの手を引いている。馬に乗る体力があるのにわざと歩いているのは、馬を負傷者に使わせるためだ。

「大丈夫か」

俺が聞くと、ボルテは少し笑った。

「私はこういうの慣れてるから。メルキトにさらわれた時のほうがひどかった」

笑える状況じゃないのに、この女は笑う。

「おまえは強いな」

「強くないよ。ただ、泣いてる暇がないだけ」

ジョチが背中で眠っていた。七歳の子供は、何が起きているか半分もわかっていない。ただ母の背中が温かいから、眠れている。

バルジュナ湖にたどり着いたのは、十五日目だった。

湖と呼ぶには貧相な水溜まりだった。草原の窪地くぼちに雨水が溜まっただけの、にごった泥水の池。周囲に木は数本しかない。草もまばらだ。隠れる場所も、食べ物もない。

だがここしか行く場所がなかった。

ケレイトの追撃隊が後方をうろついている。南に下ればジャムカの勢力圏。東はタイチウトの領地。北はメルキトの残党。どの方角にも敵がいる。

バルジュナ湖の周りだけが、誰の領地でもない荒れ地だった。誰も欲しがらない土地。だから安全だった。

二千八百人が、泥水の池のほとりに座り込んだ。

食べ物がなかった。

家畜はほとんど連れてこられなかった。馬は替え馬を含めて千頭あまり。食料の備蓄はとっくに尽きている。

ボオルチュが狩りに出たが、この荒れ地には獲物がほとんどいなかった。兎が数匹。鳥が数羽。二千八百人の腹を満たすには、話にならない。

ムカリが泥水を手ですくって飲んだ。

「……飲めなくはない」

「まずいだろ」

「まずい。でも水だ。死なない」

カサルが横で泥水を見つめていた。

「兄貴。これ、昔を思い出さないか」

「昔?」

「追放された時。母さんと俺たちだけで、オノン河のほとりで——」

思い出した。あの時と同じだ。

家畜もない。食べ物もない。仲間もいない。草原に放り出されて、泥と草を食って生き延びた日々。あれから何年が経った。十五年か。二十年か。

あの時は七人だった。今は二千八百人いる。

でも状況は同じだ。何もない場所で、ゼロから生き延びなければならない。

母が歩いてきた。

ホエルンは老いていたが、背筋は曲がっていなかった。あの時と同じだ。どんな状況でも、この人の背中は折れない。

母は泥水を見て、一言だけ言った。

「前にもこんなことがあったね」

「ああ」

「あの時は、私が死なせなかった。今度は——おまえの番だ」

それだけ言って、母は孫たちの世話に戻っていった。

三日目の夜、俺は決めた。

全員を集めた。二千八百人。焚き火を囲んで、泥だらけの顔が並んでいる。

疲れ切った顔。不安な顔。怒りの顔。諦めの顔。でも——まだここにいる顔だ。去らなかった人間たちの顔だ。

俺は泥水を革の杯にすくった。

茶色く濁った水。底に砂が沈んでいる。

杯をかかげた。

「聞いてくれ」

二千八百の目が、俺を見た。

「俺は負けた。ケレイトに正面からぶつかって、四千人を死なせた。生き残った奴の半分以上は去った。残ったのは、ここにいるおまえたちだけだ」

沈黙。風の音だけが聞こえる。

「去った奴を責めるつもりはない。あいつらは間違っていない。負けた指揮官のもとを離れるのは、当然の判断だ」

誰も口を開かない。

「でも、おまえたちは残った。泥水しかない場所に、飯もなく、先も見えない状態で、俺と一緒にいることを選んだ。なぜかは聞かない。理由なんてどうでもいい。残ったという事実だけが、全てだ」

杯の泥水を見つめた。

「この水を飲む。おまえたちと一緒に飲む。そして誓う」

声を張った。

「この苦しみを共にした者を、俺は生涯しょうがい忘れない。おまえたちが俺と一緒にこの泥水を飲んだことを、俺がどれだけ大きくなっても、どれだけ力を持っても、絶対に忘れない。バルジュナ湖の水を分けた者は、俺にとって最も近い者だ。ここにいる全員を、俺は家族と見なす」

杯を口に運んだ。

泥の味がした。砂が歯に当たった。冷たくて、まずくて、泥臭い水だった。

飲み込んだ。

杯を隣に回した。

ボオルチュが受け取って、飲んだ。何も言わなかった。ただ飲んで、次に回した。

ジェルメが飲んだ。ムカリが飲んだ。カサルが飲んだ。チラウンが飲んだ。

杯が回っていく。一人、また一人。名前を知らない兵も、顔を覚えていない牧人も、全員が泥水を飲んだ。

誰も残さなかった。誰も拒まなかった。

杯が一周して、俺のところに戻ってきた時、杯は空だった。

翌朝、変化が起きた。

目に見える変化じゃない。空気が変わった。

泥水の誓いの前と後で、二千八百人の顔つきが違っていた。昨日まで不安と諦めが浮かんでいた目に、何かがともっている。

希望、というほど大げさなものじゃない。もっと地味で、もっと強いもの。

覚悟だ。

この男と一緒にいると決めた。その決断を、泥水で飲み下した。もう迷いはない。

ボオルチュが俺の横に来た。

「なあ、テムジン」

「何だ」

「覚えてるか。あの時おまえ言ったよな。ゼロと一の差は、一と百の差より大きいって」

「……ああ」

「今はゼロか?」

「ゼロじゃない。二千八百だ」

「そうだ。二千八百。しかも全員、泥水を飲んだ奴だ。去る奴はもう去った。残ったのは、本物だけだ」

ボオルチュは笑った。あの馬泥棒を追いかけた時と同じ、屈託のない笑い方だった。

「本物の二千八百は、見せかけの二万より強いぞ」

バルジュナ湖で七日を過ごした。

その間に、狩りと採集で最低限の食料を確保した。泥水をして飲み水にする方法を、母が教えてくれた。布を何重にも重ねて水を通すと、砂と泥がある程度取り除ける。追放時代にやっていた方法だ。

七日目の夕方、チラウンの斥候が駆け込んできた。

「人が来ます。東から。三百人ほど」

「敵か」

「いえ——こちらの旗を掲げています」

丘の向こうから、三百人の集団が姿を現した。

先頭にいたのは、ジュルチェデイだった。

あのウルウト族の長。十進法の混成に最初に反対した男。タタル戦の後も、陰では不満を漏らしていた男。カラハルジト後に離散した中の一人だと思っていた。

ジュルチェデイは俺の前に来て、馬から降りた。

「遅くなった」

「……おまえ、去ったんじゃなかったのか」

「去った。一度は去った。ケレイトのところに行こうかとも思った」

「なぜ戻った」

ジュルチェデイは少し黙った。

「行く場所がなかったんだ。ケレイトに行っても、ウルウト族は下に置かれる。ジャムカに行っても同じだ。血筋で人を分ける連中の下では、俺たちは一生下のままだ」

ジュルチェデイの目は、以前とは違っていた。反発の目じゃない。腹を括った目だ。

「あんたの十人隊の混成は、正直ずっと気に食わなかった。一族を切り刻まれるみたいで。でも——カラハルジトで、あの混成部隊が崩れずに戦ったのを見た。隣の奴が誰だろうと関係なく、号令一つで動いた。あれは一族単位の軍じゃできない」

「……そうか」

「だから戻った。俺の三百人も連れてきた。好きに使え。十人隊でも何でも、あんたのやり方でやってくれ」

俺はジュルチェデイの手を握った。

「ありがとう。戻ってきてくれて」

四回目だ。この言葉を口にするのは。

ジュルチェデイの帰還を皮切りに、人が戻り始めた。

毎日のように、丘の向こうから小集団が現れた。五十人。百人。二百人。離散した兵が、バルジュナ湖のテムジンの元に戻ってくる。

戻ってきた者の多くが同じことを言った。

「他に行く場所がなかった」

裏を返せば、俺のところが唯一の「行く場所」だということだ。ケレイトでもジャムカでもナイマンでもない、もう一つの選択肢。血筋で人を分けない場所。

二週間で、兵力は五千を超えた。

さらに、予想外の人間が来た。

ケレイト族の中から、百人ほどが離脱してきたのだ。トグリルの古参の部下たちだった。

「テムジンとの戦いに納得がいかない。トグリル・ハンは誤っている」

彼らはそう言った。

書状の効果が、ここに来て出てきた。「テムジンは戦いを望んでいない。悪いのはセングムだ」と植えつけた印象が、カラハルジトの激戦を経て、ケレイト内部の亀裂を広げていた。

敵の中からも人が来る。

この事実が、俺に確信を与えた。

「血筋ではなく行動で評価する」。この原理は、敵味方の境界すら越える。ケレイトの中にも、この原理を求めている人間がいる。

バルジュナ湖を発ったのは、到着から三週間後だった。

兵力は一万二千に達していた。到着時の二千八百が、三週間で四倍以上に膨れた。カラハルジト後に離散していた兵が噂を聞いて戻り、ケレイトの内部から離脱してくる者が加わり、草原の小部族がまるごと合流してきた。

全員に、泥水を飲ませた。後から来た者にも、同じ杯で同じ水を飲ませた。バルジュナの水を分けた者は、全員が同じ誓いの下にある。

ボルテが隣に来て言った。

「次は、どうするの」

「ケレイトを潰す」

「一万二千で二万五千を?」

「二万五千もいないかもしれない。重騎兵は壊滅した。内部は割れてる。セングムとトグリルの間にも亀裂がある。実質的な戦力は、見かけより遥かに小さいはずだ」

「それでも数では負けてるでしょう」

「ああ。だから正面からはやらない。今度は——奇襲する」

ボルテは俺を見た。

「あの人を——トグリル・ハンを、倒すのね」

「ああ」

「父と呼んだ人を」

俺は少し黙った。

「父と呼んだのは本当だ。でも、あの人は俺を殺そうとした。宴で殺そうとした。父がタタルに殺されたのと、同じやり方で」

「わかってる。ただ——」

ボルテは言葉を切った。それから、小さく息を吐いた。

「辛いだろうなと思って」

「辛い。でも、やる」

ボルテはうなずいた。

「じゃあ、行こう」

俺たちは馬に乗った。一万二千の兵が動き始めた。

バルジュナ湖の泥水が、朝日を受けて鈍く光っていた。あの水を飲んだ。あの水で誓った。この誓いを破る者は、テンゲリが許さない。

二度目のどん底からの再起。

だが今度は、手の中にあるものが違う。

十五年前にゼロだった時、俺には母と弟たちしかいなかった。

今、俺には一万二千の「本物」がいる。泥水を飲んで残り、泥水を飲んで合流した、折れない人間たちだ。

この一万二千で、草原を獲る。

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