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第十一話「ハンの名」


人が増え続けた。

ジャムカのもとを離れて一月ひとつき。最初の二百人が、三百になり、五百になり、気がつけば千を超えていた。

来る者の顔ぶれは様々だった。ジャムカの陣を離れた者だけじゃない。噂を聞いて遠くからやってくる者もいた。タイチウトにしいたげられていた小さな氏族。居場所を失った牧人の家族。腕に覚えはあるが、血筋が低いせいでどこでも下に置かれてきた戦士たち。

みんな、同じことを言った。

「テムジンのところでは、血筋を問わないと聞いた」

たった一つの約束が、草原を渡る風みたいに広がっていた。

ボオルチュが言い出したのは、ある夜のことだった。

「テムジン。そろそろハンを名乗れ」

焚き火のそばで、干し肉をかじりながらの一言だった。

「……急だな」

「急じゃない。みんな思ってる。俺が言わなきゃ、誰かが言う」

「ハンを名乗ったら、ジャムカとの対立が——」

「もう対立してるだろ。腰帯の金具が返ってきた時点で終わってる。名乗るか名乗らないかで変わるのは、こっちの覚悟だけだ」

ボオルチュは干し肉を噛みちぎって、火を見ながら続けた。

「千人いるんだ。千人が一人の男についてきてる。でもその男にはまだ名前がない。テムジンっていう個人の名前はあるけど、みんなを束ねる旗がない。旗がないと、人はばらける。求心力ってのは、形がいるんだよ」

ボオルチュは普段、小難しいことは言わない男だ。でもたまに、核心を突く。馬泥棒を追いかけた時と同じだ。「面白いから行く」と言ったあの直感が、今は組織の本質を見抜いている。

「クリルタイを開こう」

ジェルメが静かに言った。いつの間にか、焚き火の向こうに座っていた。

「全員を集めて、正式にハンに推戴すいたいする。草原の作法にのっとって。そうすれば、外に対してもうちに対しても、テムジンが長だという形ができる」

「ジェルメまで言うのか」

「俺は最初から、あんたのために来た。ハンの名がなくても構わなかった。でも今は千人いる。千人を束ねるには、個人の信頼だけじゃ足りない。仕組みがいる」

二人に言われて、俺は黙った。

正直に言えば、迷いがあった。

ハンを名乗るということは、草原の権力争いに正式に参入するということだ。ジャムカだけじゃない。タイチウトのタルグタイ、ナイマン族、そしてトグリル・ハン。みんなが俺を見る目が変わる。「イェスゲイの遺児」から「競争相手」に変わる。

まだ千人だ。ジャムカは数千。トグリルは数万。ナイマンはそれ以上。この差を考えたら、名乗るのは早すぎるんじゃないか。

母に相談した。

ホエルンはゲルの中で、テムルンの髪を編みながら聞いていた。テムルンはもう八歳になっていた。母の隣に座って、大きな目で俺を見ている。

「おまえの父も、若くしてハンになった」

母はそう言った。手は止めない。髪を編みながら、静かに話す。

「周りはみんな反対した。まだ早い、もっと力をつけてからにしろ、と。でもイェスゲイは聞かなかった。今だ、と思ったから名乗った」

「それで、うまくいったのか」

「うまくいったかどうかはわからない。おまえの父は毒で死んだからね。でも——」

母は手を止めて、俺を見た。

「名乗らなかったら、もっと悪かっただろう。人が集まっている時に旗を立てなかったら、人は散る。散ったら、もう二度と集まらない。早すぎることはあまりない。遅すぎることは、よくある」

「遅すぎることは、よくある、か」

「そうだよ。機を逃す人間が、一番多いんだ」

母はまた髪を編み始めた。

「それとね、テムジン」

「なんだ」

「おまえはもう迷ってないでしょう。迷ってるふりをしてるだけで、心は決まってる。私に背中を押してほしいだけだ」

見透かされていた。母にはいつもそうだ。

「……押してくれるのか」

「押すよ。行きなさい。おまえの父ができなかったことを、おまえがやりなさい」

俺はうなずいた。

クリルタイを開いた。

全員を、オノン河のほとりの広い草地に集めた。千人余り。男も女も老人も子供も、全員だ。

草原のクリルタイは、議会であり、裁判であり、祭りでもある。重要な決定は、全員の前で行う。それが草原の作法だ。密室で決めるのは、定住の民のやり方だ。

朝の光の中で、俺は全員の前に立った。

緊張はしなかった。不思議なほど落ち着いていた。

最初に口を開いたのは、ムカリだった。

あの寡黙な男が、千人の前で声を上げた。

「テムジンをハンに推す。異議のある者は名乗り出ろ」

沈黙。

それから、ボオルチュが続けた。

「テムジンをハンに推す」

ジェルメ。

「テムジンをハンに推す」

チラウン。

「テムジンをハンに推す」

カサル。弟の声は力強かった。

一人、また一人と声が上がった。名前も知らない男が、女が、声を上げた。最後には千人の声が重なって、オノン河のほとりに響いた。

反対はなかった。

俺は白い毛氈もうせんの上に座った。四人の男——ボオルチュ、ジェルメ、ムカリ、チラウンが毛氈の四隅を持ち、俺を高く持ち上げた。

草原のハンの即位はこうやる。四人に担がれて、天に最も近い場所に上げられる。テンゲリに見せるのだ。この男が、我々の長だと。

高く上がった。

空が近かった。あの蒼い天が、すぐそこにあった。

父が死んだ日に見上げた空。首枷をはめられた日に見上げた空。ボルテを置いて逃げた日に見上げた空。いつも遠くて、冷たくて、何も答えてくれなかった空。

今、その空が近い。

手を伸ばせば届きそうだった。

俺はテンゲリに向かって、心の中で言った。

——見てるか。あの血の塊を握っていた赤子が、ここまで来た。

空は青いまま、何も答えなかった。

でも、風が吹いた。温かい風だった。

地面に降ろされた後、俺は最初の決定を下した。

「今日から、俺についてきた全員に役割を与える。血筋は関係ない。おまえが何をできるか、何をしたか。それだけで決める」

まず、ボオルチュ。

「おまえを筆頭の側近そっきんとする。俺の右に立て。俺がいない時は、おまえが全体を見ろ」

ボオルチュは少し照れたように笑って、うなずいた。

ジェルメ。

「おまえを護衛の長とする。俺の身辺を守れ。それから、刀と矢じりの生産を仕切れ。鍛冶のことはおまえが一番わかってる」

ジェルメは黙ってうなずいた。鍛冶屋の息子が、ハンの護衛の長。血筋で見れば、ありえない人事だ。でも誰も反対しなかった。ジェルメの実力は、全員が知っていた。

ムカリ。

「おまえを戦の副将とする。兵をまとめる力は、おまえが一番ある」

ムカリは腕を組んだまま、一言だけ言った。

「やる」

チラウン。

「おまえを斥候せっこう隊の長とする。偵察ていさつと情報収集はおまえに任せる」

チラウンの目が光った。

「必ず役に立ちます」

「知ってる。おまえの親父に助けられた時から、知ってる」

そして最後に、一つのことをした。

「ソルカン・シラを探し出して、ここに連れてこい」

チラウンに命じた。

チラウンは駆け出した。

十日後、ソルカン・シラが陣営に現れた。

老いていた。あの夜に俺を助けてくれた時から何年も経って、髪は白くなり、体は痩せて、つえをついていた。でも目は変わっていなかった。あの穏やかな、まっすぐな目。

ソルカン・シラは俺の前に立って、少し笑った。

「大きくなったな、テムジン」

デイ・セチェンと同じ言葉だった。

「あの夜の恩を返す。遅くなった」

「恩なんて——」

「恩だ。俺の命を救ったのは、おまえとおまえの家族だ。その恩は、一生かけて返す」

俺はソルカン・シラに、陣営の長老としての地位を与えた。判断に迷った時に意見を聞く、相談役だ。実務ではなく、知恵を借りる。老いた体に無理はさせない。でも、最も重い敬意を払う。

ソルカン・シラは目を細めた。涙がこぼれそうな顔で、でも泣かなかった。

「おまえの親父は、いい男だった。息子も、いい男になったな」

隣でチラウンが、唇を噛んで泣いていた。

その夜、ボルテと二人でゲルの中にいた。

ジョチが眠っている。もう歩き始めていて、日中は走り回って疲れて、夜はすぐに寝る。

「ハンか」

ボルテが少し笑った。

「なった」

「実感ある?」

「ない。全然ない。千人の長ってだけだ。ジャムカにもトグリルにも遠く及ばない」

「千人の長で始まらなかったハンはいないよ」

「そうかもな」

「でもね、テムジン」

ボルテが俺の手を握った。

「名前がついたってことは、責任がついたってことだ。あの千人の命は、全部おまえの肩に乗ってる。おまえが間違えたら、千人が死ぬ。わかってる?」

「わかってる」

「わかってない顔してる」

「……わかろうとしてる」

ボルテはため息をついた。でも手は離さなかった。

「まあいいよ。わかってないなら、わかるまで一緒にいてあげる」

「いてくれ」

「当たり前でしょ。あんたの嫁なんだから」

ボルテはそう言って、ジョチの毛布を直した。

ゲルの天窓から、星が見えた。冬の星は冷たいけれど、今夜の星は少しだけ温かく見えた。

翌朝、俺は陣営を歩いて回った。

千人のゲルが並んでいる。朝の煙が上がって、馬が嘶いて、子供が走り回っている。女たちが乳を搾り、男たちが弓の手入れをしている。

ごく普通の、草原の朝だった。

でも今日から、この千人は俺のものだ。俺が守り、俺が導き、俺が責任を取る。

腹の底の黒い塊が、静かに燃えていた。

怒りはまだある。父を殺したタタルへの。俺たちを捨てたタイチウトへの。ボルテを奪ったメルキトへの。でも今、その怒りは方向を持ち始めていた。闇雲な炎じゃなくて、一点に集められた火。鍛冶のの火みたいに、鉄をきたえるための火。

この火で、何を鍛えるか。

軍を。組織を。掟を。そしていつか——国を。

まだ遠い話だ。でも、もう夢じゃない。

ハンの名を得た日の朝は、いつもと同じ青い空だった。

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