第95話:四つの罪状
「王都中央裁判所刑事法廷を開廷します」
静寂を求める木槌の音が、重厚な石造りの法廷に高く響き渡る。
判事正ヴェルナーは、黒い法服の襟を正して真っ直ぐに法廷内を見据えた。集団食中毒事件という関心の高さからか、傍聴席は隙間なく埋まり、人々の熱気がじわりと伝わってきた。
視線を検察席へ向けると、新任の検察官が静かに一礼を返してくる。
オットー・コッホ検察官、四十五歳。豊かな二重顎と前に突き出た太鼓腹が、法服の前ボタンを今にも弾け飛ばしそうにしている。金縁の眼鏡の奥の温和な糸目には穏やかな笑みを湛えているが、手元の分厚い書類を揃える指先の動きは、時計職人のように精密そのものだった。
重い扉が開き、警吏に付き添われて被告人が入廷する。
日本からの転生者である二十代の青年、フェリクスは、唇を不機嫌そうに引き結びながら証言台の前に立つ。その表情には、法廷に立つ者特有の緊張感も、罪を悔いる様子も見当たらない。なぜ自分がこんな場所に引きずり出されているのか、全く納得がいかないという被害者意識が、不満げな目元にありありと浮かんでいる。
ヴェルナーは手元の起訴状に目を落とし、厳かに口を開く。
「——被告フェリクス。無許可営業、衛生管理法違反、過失致傷十二件、新規食材の無届使用」
淡々と、だが法廷の隅々にまで届く声で四つの罪状を読み上げた。
「王国の許可を得ず飲食店を営み、劣悪な衛生環境下で調理を行った結果、十二名の客に重篤な被害を与えた。さらに、生の鶏卵を米にかけた『卵かけごはん』、未知の調味料『マヨネーズ』、未知の発酵食品『味噌汁』、独自の発酵液を用いた『醤油ラーメン』なるものを無届で提供し……」
その刹那。
検察席に立つコッホの分厚い指が、書類の端をぴくりと跳ねさせた。眼鏡の奥の糸目がほんの一瞬だけ見開かれ、何かを期待するような光を放つ。だが、ヴェルナーが目を向けたときには、彼はすでに元の人の良さそうな笑みに戻り、恭しく書類を見つめていた。
「以上の罪状について、被告は内容を理解しましたか」
ヴェルナーの問いかけに、フェリクスは大仰に息を吐き出した。前世のありふれた知識を活かして画期的な料理を提供しただけなのに、という不服な思いが、彼の態度からはっきりと見て取れる。
「……理解しました。でも、僕は何も悪いことをしてないんですけど……」
ぶつぶつと呟く被告の小さな抵抗を、ヴェルナーは表情を変えずに受け流す。法廷はあくまで事実と法を照らし合わせる場であり、感情のやり取りをする場所ではない。
「では、検察官。立証を始めてください」
「承知いたしました」
促されたコッホが、豊かな腹を揺らしてゆっくりと立ち上がる。
◇◇◇
コッホ検察官が、机上の分厚い書類束を音もなく開く。
「被告は王都の裏通りに飲食店を開業しました。当然ながら、営業許可は取得していません」
落ち着いた声が法廷に染み渡る。恰幅のいい体躯を支える足取りは重厚だが、その口調には検察官としての怜悧な響きが宿っている。
「被告が提供していたのは、自称『異国の料理』なる未知の料理群です。しかしその実態は、王国の公衆衛生を根底から揺るがすものでした」
コッホは手元のリストを読み上げる。その声には、単なる事実の羅列以上の、静かな熱が混じり始める。
「まず、醤油ラーメンと称される麺料理。醤油の代用として独自に開発したという発酵液を使用していますが、成分分析の結果、食品として安全な発酵ではありませんでした。腐敗の一歩手前、有害な雑菌の温床です。次に天ぷら。衣の材料が本来のものと異なるのみならず、揚げ油の管理が極めて杜撰であり、数日間にわたる使い回しが常態化していました」
コッホの眉がわずかに寄る。
「おにぎりに関しても同様です。王国でも高級品とされる米を握りながら、保存方法は極めて不適切。夏場においても常温放置を繰り返しており、食中毒のリスクを意図的に無視したとしか思えません。そして——」
コッホがページをめくる。その指がわずかに震え、眼鏡の奥の瞳が鋭く光った。
「卵かけごはん。生の鶏卵をそのまま米飯にかけて提供しています。……ご存知の通り、この世界の鶏卵は加熱調理を前提としたものであり、生食を想定した衛生基準など存在しません」
「あの、ちょっといいですか」
証言台のフェリクスが、我慢しきれないといった風に手を挙げる。その顔には相変わらず、得意げな表情が漂っている。
「前世では生卵は普通に食べられていたんです。栄養価も高いし、あれこそが最高の贅沢で——」
「被告」
ヴェルナーの冷徹な声が、フェリクスの言葉を断ち切る。判事正の鋭い視線が、被告人を射抜いた。
「前世の話はこの法廷では証拠になりません。いま、我々はこの世界の卵の話をしています。許可なく発言することを禁じます」
フェリクスは不満げに口を尖らせるが、法廷を支配する重圧に圧され、渋々と口を閉ざす。
コッホが小さく頷き、立証を再開する。
「次に、マヨネーズと呼ばれる調味料です。これは生卵と酢を混合したものですが、驚くべきことにその保存は常温でした。製造から提供までの温度管理の記録はありません。……失礼、ありません、ではなく、記録自体が存在しません。調理場には日誌の一冊すら置かれていなかったのです」
「ありません、ではなく、存在しない」という言葉を強調した際、コッホの頬がぴくりと跳ねる。それは、食を司る者としての根源的な怒りが、穏やかな仮面の裏で脈動し始めた予兆であった。
「さらに味噌汁。被告はこれを『味噌もどき』と称して提供していましたが、実態は発酵に失敗した残骸です。立ち込める異臭に対し、客から指摘があっても、被告は『これが発酵食品の風味だ』と言いくるめて押し通しました」
コッホの声は再び平熱を取り戻すが、その言葉の端々には事実の重みが蓄積されていく。
「被害は開業から三ヶ月後に、最悪の形で表面化しました。食中毒の発生です。わずか一日のうちに、計十二名もの客が激しい腹痛と嘔吐を訴え、救急搬送されました。調査の結果、被害者全員が、被告の店で卵かけごはん、またはマヨネーズを摂取していることが判明しています」
コッホは書類を閉じ、ヴェルナーへ深く一礼する。
「以上が、検察が主張する本件の事実関係です」
法廷内には、十二名という数字の重みが重苦しく沈殿している。ヴェルナーは手元の記録にペンを走らせた後、ゆっくりと顔を上げ、証言台の青年を見据えた。
「では、被告。検察側の立証に対し、弁明があれば申し述べてください」
フェリクスが、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す。その瞳には、自分の知識がいかに正しく、この世界の基準がいかに遅れているかを説いてやろうという、自信が顔を覗かせる。




