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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
Z-1023 公訴訟 学園処分無効確認及び損害賠償請求事件
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第93話:教師三人

 アネッテの言葉が落とした決定的な静寂の中、ヴィクトールはゆっくりと視線を合議体へと向ける。被告席のアルベルトは焦点の合わない目で宙を見つめ、壁際の甲冑の男たちは微動だにしない。


「学園運営の責任です。風紀総会に教師が出席していました。止めましたか」


 静謐な空間に、ヴィクトールの澄んだ声が響く。それは糾弾というより、冷徹な事実の確認である。


 対するクラウスが、手元の書類を揃えながら立ち上がった。学者としての矜持を保つ、防衛線の再構築。


「学園運営は生徒会の個別の活動を逐一監視する義務を負いません。事後に報告を受けて対応するのが通常の監督です」


 理路整然とした反論。だが、ヴィクトールは手元の記録に視線を落とすことなく、法廷の中央で静かに歩みを進める。


「教師は複数いました。私の調査では三人」


 ヴィクトールが指を一本立てる。


「一人は黙認していた。アルベルト派の動向を察知していたのに、生徒会の自治権を尊重して介入しなかった。消極的共犯です」


 壇上のテオドールが、眉間に深い皺を寄せてペンを動かす。ヴィクトールは二本目の指を立てた。


「もう一人は、容疑読み上げの途中で気づいた。一歩前に出かけた。だが観客の声に飲まれて止まれなかった。気づきながら止めなかった。これは無知よりも罪が重い」


 言葉の刃が、法廷の空気を切り裂く。アネッテは背筋を伸ばして前を見据え、その手は膝の上で静かに組まれている。


 ヴィクトールは三本目の指を立て、ゆっくりと手を下ろした。


「最後の一人は、最後まで気づかなかった。風紀総会を『ただの報告会』だと思って腕を組んでいた。これが学園の監督体制の正体です」


 三つの事実が、クラウスの「事後報告の原則」という盾を粉々に打ち砕く。


 被告席の隣、重厚な沈黙を保っていたベルンハルトが、ゆっくりと身を起こした。岩を擦り合わせるような低い声が、法廷の床を這うように響き渡る。


「学術法第7条。学園運営は認可組織の活動を監督する義務を負う。認可組織が生徒の権利を侵害した場合、運営は連帯して責任を負う」


 老弁護士の口から紡がれる条文は、単なる法解釈を超えた重みを持っていた。ルイーゼとリディアが、張り詰めた表情でベルンハルトを見つめる。


「制度は善人を前提に作られている。だが制度は悪人にも使われる。監督規定の曖昧さが、この事件を生んだ」


 その核心テーゼが、法廷全体に重くのしかかる。善意という名の怠慢、自治という名の放任。それらが組み合わさった結果が、アネッテを排除へと追いやったのだ。


 クラウスは反論の言葉を探すように口を開きかけたが、結局何も言わずに席へと腰を下ろす。反論の余地は、もはやどこにも残されていない。


 法廷に満ちていた論争の熱が引き、ひんやりとした静寂が降りてくる。それは、すべての立証が終わり、判決を待つだけの時間。


 ヴィクトールは法衣の袖を軽く払い、前を見据える。その双眸に宿る光が、最後の一撃を放つ直前の鋭さを帯びていた。


◇◇◇


 ヴィクトールは法衣の袖を軽く払い、ゆっくりと合議体へと向き直った。その所作には先程までの鋭い追及の熱はなく、深い静けさだけが漂う。


「裁判官殿。本件は法廷で裁かれるべき事案が、法廷の外で裁かれた案件です」


 壇上の三人に向けられた声は、どこまでも澄んでいる。ルイーゼとリディアが姿勢を正し、中央のテオドールが静かにペンを置いた。


「裁判官のいない場所で、弁護人のいない被告に、捏造された証拠を突きつけ、群衆の拍手で有罪にした。それが風紀総会の正体です」


 法廷という空間そのものが、言葉の重みで圧迫されるかのようだ。被告席のアルベルトは焦点の合わない目で小刻みに震え続け、クラウスはもはや手元の資料に触れることすらしない。壁際で立つ甲冑の男たちだけが、変わらぬ監視の視線を空間に投げかけている。


 ベルンハルトが、微動だにせず隣の若き弁護人の背中を見つめる。


 ヴィクトールは一度だけ短く息を吸い、再び口を開く。


「この法廷に原告が来たのは、法の力を信じているからです。私刑ではなく、法廷で決着をつけたいと。軍で解決できたのに、法を選んだのです」


 アネッテは背筋を伸ばし、静かに前を見据えている。その横顔から表情は読み取れないが、膝の上で組まれた指先が微かに白くなっていた。彼女の沈黙が、ヴィクトールの言葉を裏打ちする。


「——その信頼に応えていただきたい」


 ヴィクトールは静かに言葉を区切り、合議体に向かって深く、長い一礼をした。


 劇場のような華やかさはない。ただ、極限まで熱を帯びた論理の塊が、法廷の隅々にまで沁み渡っていく。


 ゆっくりと頭を上げたヴィクトールが自席へと戻る。クラウスからの反論は上がらない。


 完全な沈黙が降りた空間で、テオドールが左右の裁判官へと視線を向ける。三人の目が交錯し、机上で無言の頷きが交わされた。重厚な扉が閉じられた法廷は、最後の静寂に包まれる。


◇◇◇


 テオドールが静かに立ち上がり、手元の判決文に視線を落とす。張り詰めた沈黙の中、学園法務に三十年を捧げた主席判事の落ち着いた声が、石造りの壁に深く反響した。


「請求額3,500万クローネに対し、判決額2,750万クローネを認容する」


 その一言が、法廷の空気を決定的に塗り替える。ヴィクトールは表情を変えず、ただ静かにその言葉を受け止めた。


「第一。アルベルト、ブリッタ、生徒会役員、および学園運営は、原告に対する賠償金2,500万クローネを連帯して支払う。内訳は精神的損害、公爵家の名誉毀損、婚約への影響に対する賠償とする」


 テオドールが淡々と読み上げる認容項目は、被告たちにとって重い鉄槌となって降り注ぐ。


「第二。弁護士費用250万クローネを被告側の負担とする。第三。全容疑を事実無根と認定する。被告は風紀総会と同じ大講堂において、全生徒の前で公開撤回および公開謝罪を行うこと。第四。アルベルトの退学処分を認容する。第五。ブリッタの偽証に対する刑事告発を認容する」


 アルベルトは糸が切れた人形のように椅子に沈み込み、焦点の合わない目で床を見つめ続けている。その隣で、ブリッタが顔を覆い、音もなく肩を震わせた。彼女の背後では、連帯責任を負わされた生徒会役員たちが一様に項垂れ、その顔には絶望の色が濃く滲んでいる。


 テオドールは僅かに視線を上げ、傍聴席のざわめきをその権威で静めると、再び判決文に目を落とした。


「第六。学園運営の管理責任を認める。再発防止命令を認容する。第七。公爵領への逸失利益750万クローネは、損害の発生が立証されていないとして棄却する。第八。生徒会の永久解散命令は棄却する。ただし活動停止および再編成を命じる」


 公爵領への逸失利益の棄却は、ヴィクトールにとって織り込み済みの結果だった。戦術的に上乗せされた項目が削られただけであり、実質的な勝利に揺らぎはない。一方、生徒会の永久解散を棄却しつつも活動停止と再編成を命じる判断には、学園の自治に対する最低限の配慮と、それ以上に厳しい刷新の要求が込められている。


 クラウスは唇を固く結び、プロとしての冷静さを保ちながら、一つ一つの項目をメモに刻む。その筆致には、完全な敗北を認めざるを得ない者の諦念が宿っていた。


「以上をもって判決とする」


 テオドールが静かに判決文を閉じ、法廷に最後の一振りの槌音が響き渡る。


 判決の余韻が、波のように法廷全体に染み渡っていく。アネッテは変わらず静かに座っている。


 ヴィクトールは手元の書類をゆっくりと揃え、鞄に収める。隣のベルンハルトが深く、満足げな溜息を漏らすのを耳にしながら、彼は法衣の襟を正した。法廷の重厚な扉が開かれ、ヴィクトールは出口へと静かに歩みを進める。


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