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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
KZ-318号 生命力のカラス貸し 重傷害・請求無効確認事件
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第71話:久しぶりに、減ってない

「判決を言い渡します」




「まず、追放について」




「被告は追放された被害者を自称しました。『追放された側が主人公だ』と。——しかし指導記録が示す通り、除名は勤務態度不良に対する七回の指導の末に行われた、パーティー編成権に基づく正当な措置でした。事前通告あり。猶予期間あり。改善の意思なし。——検察の論告の通り、追放は正当です。被告は被害者ではありませんでした」




 ファイトが力なくパイプ椅子に崩れ落ちる。




「次に、貸借合意について」




「被告は"朝貸しだった"と主張しました。——しかしパーティーメンバーは誰一人、貸付であるとの説明を受けていません。帳簿は被告だけが管理していた。相手方に開示されていない帳簿は、合意の証拠にはなりません。消費は合意の証拠にならない。——商会で取引先に茶を出して、"飲んだから契約成立"と言ったら笑われます。私は商会で育ちました。この帳簿は債権管理ではありません。加入初日から仲間を担保として見ていた搾取の計画書です」




「被告は"俺のスキルだから俺のルール"と主張しました。スキルの行使は王国の法域内で行われました。被告のルールは法律の下位にあります」




 ディートリッヒが静かに口を開く。




「数字を確認します。被告のスキルには利息の機能がない。にもかかわらず日利一〇パーセントの複利を一方的に設定した。この利率は王国利息制限法の上限の約二四三倍。二四〇日の複利適用で約五四〇兆。全人類の生命力を集めても返済できない額です。——これは貸付ではありません。返済不能な額を設計した時点で、債権ではなく搾取の道具です」




「被告は自動回収機能で三名から一日も休まず生命力を回収し続けました。二十四歳の女性を二ヶ月で歩行不能にし、一名を冒険者として機能不能にし、一名を弱体化させました」




 ルイーゼが判決を読み上げる。




「架空債権。全部無効。債権不存在を確認します」




「自動回収。即時停止命令。判決と同時にスキルの回収機能を強制封印します」




「生命力返還。被告の体内に蓄積された回収済み生命力を、裁判所の監督下で被害者三名に返還。スキルの封印を一時的に解除し、返還完了後に再封印します」




「資産没収。搾取で得た生命力により購入した装備・資産の全額没収」




「禁固十二年。重傷害三名、殺人未遂、暴利行為、私的執行の併合」




「法廷侮辱付加罰。禁固三年追加。裁判官への脅迫、公務執行妨害、不正司法介入。現行犯。即時付加」




「合計。禁固十五年」




「冒険者資格。永久剥奪。スキル『活力融通』の他者への行使を無期限禁止」




 ルイーゼはゆっくりと視線を動かし、傍聴席の最後列を見た。声の温度がわずかに変わる。




「なお。元弁護人ハルトマン氏には申し上げます。被告が弁護人の助言を拒否し自ら解任を求めたことは記録に残っています。弁護人の責任は問いません」




 傍聴席の端で、ハルトマンの広い背中が微かに震える。ゆっくりと頭を下げた。




「…………ありがとうございます」




◇◇◇




 屈強な法廷衛兵二人が両脇から腕を掴み、ファイトを立ち上がらせる。扉へと歩かされながら、ファイトは首だけを捻って背後を見た。




「……おかしい。俺のルールでは、俺が正しいはずなんだ」




「あなたのルールは、この法廷には適用されません。——連行してください」




 重厚な扉が閉じられる。




◇◇◇




 石造りの廊下に、高い窓から乳白色の光が降り注いでいる。オットーが両手でグリップを握り、ゆっくりと車椅子を押し出す。金属の車輪が硬い石畳の上に鈍い摩擦音を落としていく。




 廊下の突き当たり。太い柱の影に、カスパルが立っている。窮屈な上着のまま、冷たい石壁に広い背を預けていた。分厚い掌には、ブリギッテの荷物を詰めた粗末な麻袋が握りしめられている。近づく車椅子の音を聞いても、何も言わない。ただ、ゆっくりと壁から体を離した。




 車椅子が止まる。




 ブリギッテの膝の上に置かれた指先。白く浮き出ていた関節の強張りが、ふわりと解ける。肺の底に溜まっていた澱を押し出すように、小さな唇が微かに開いた。




「……止まった。吸われてない。……久しぶりに、減ってない」




 膝を覆う灰色の毛布が、彼女の穏やかな呼吸に合わせてゆっくりと上下する。




 三人は何も話さない。カスパルが先頭に立ち、オットーが車椅子を押し、連れ立って廊下を歩み始める。足音と車輪の軋みが、白い光の差す出口へと向かっていく。




◇◇◇




 少し離れた別の廊下。真鍮の窓枠から差し込む斜光が、宙を舞う埃の粒を金色に照らしている。




 ハルトマンが重い足取りで歩みを進める。くたびれた上着は深いシワにまみれ、肩のラインが落ち窪んでいた。窓際の書類台の前に、ユストゥスが立っている。調書の束を整理する紙の音が、規則正しく廊下に響く。




「……レンツ検察官」




 ユストゥスは手元から視線を上げない。書類を革鞄へ滑り込ませながら応じる。




「お疲れ様です。弁護人として最善を尽くされましたね。被告がアホだっただけです」




「……それは慰めですか」




「事実の描写です」




 鞄の留め金が、カチリと音を立てる。ハルトマンは短く息を吐き、窓枠に軽く背中を預けた。




「……あの論告は効きました。"被害者であった期間は〇日"。——お兄さんも法廷ではああいう一言を持っている。血ですか」




 初めて、ユストゥスが顔を向ける。薄い唇が正確な発音で言葉を紡ぐ。




「性格の悪さは遺伝します。——兄は金を取るために刺す。僕はアホを黙らせるために刺す。結果的に同じところに刺さるだけです」




 ハルトマンの口元が微かに開き、言葉を探すような動きを見せる。だが、結局は飲み込まれた。ユストゥスは鞄を片手に提げて踵を返す。黒い法服の裾が翻り、硬い靴音が廊下の奥へと遠ざかっていく。




◇◇◇




 数ヶ月後。王都中央裁判所、ルイーゼの執務室。




 開け放たれた窓から柔らかな風が吹き込む。マホガニーの机には、処理を待つ書類の山が積み上げられている。規則的なノックとともに扉が開き、カスパルが足を踏み入れた。法廷での窮屈な上着とは違う、着慣れた厚手の木綿シャツ。太い指先で数枚の書類を不器用に掴んでいる。




「……カスパルさん。書類はこれで揃っています。ブリギッテさんの治療補助金と、生活再建支援金。——お体の方は」




 ルイーゼは手元の調書から視線を上げ、ペンをペンレストに置く。




「……だいぶ戻りました。冒険者には戻れませんが、鍛冶屋の手伝いぐらいは。——ブリギッテも杖で歩けるようになりました。白髪に色が戻りかけてます」




 カスパルの首元には、かつての険しい緊張感がない。太い首を撫でながら、照れ隠しのように視線を床へ逸らす。




「……よかった」




 ルイーゼの口元がわずかに緩む。カスパルは書類を机の端に置き、両手を太い腰に当てた。




「あと、もう一つ手続きがあって来たんですが」




「何ですか」




「婚姻届です。ブリギッテとオットーの。——証人欄が二人分あるんですが、一人は俺が書きます」




 ルイーゼの手にしたペンが止まる。




「…………こちらの窓口ではありませんが」




「知ってます。でも先に報告したかった。——判事さんがあいつを止めてくれなかったら、この届は出せなかった」




「…………」




「式は俺が仕切ります。——あいつら二人とも不器用なんで」




 カスパルは懐から折り畳んだ羊皮紙を取り出し、ルイーゼの机の上に置いた。証人欄の二行目を、太い指先でトントンと叩く。




「もう一人分、空いてます」




 ルイーゼはしばらく羊皮紙を見つめていた。やがてペンを取り、小さな文字で自分の名前を書き入れる。




「…………こちらの窓口ではありませんが」




「二回言いましたね、それ」




 日に焼けた顔にしわくちゃの笑みが広がる。カスパルは深く頭を下げると、羊皮紙を丁寧に折り畳んで懐に収め、踵を返した。重たい足音が扉を抜け、廊下へ消えていく。




 ルイーゼが窓の外を見る。抜けるような青空を、白い雲がゆっくりと流れていた。

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