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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
KZ-318号 生命力のカラス貸し 重傷害・請求無効確認事件
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第69話:被害者であった期間

「被害の実態を立証します。証人ブリギッテ氏を呼びます」


 傍聴席の最前列から、鈍い摩擦音が立ち上がる。重たい金属の車輪が、床板を軋ませる。オットーが、ゆっくりと車椅子を押して通路を進み出た。


 法廷内の視線が一斉に一点へ注がれる。シャンデリアの冷たい光が、座面に沈み込む小さな体を照らし出した。


 頭部を覆うのは、光沢を失った白髪。顔の皮膚は薄く透け、眼窩が深く窪んでいる。膝下まで覆う灰色の毛布の端から、細い腕が力なく垂れ下がっていた。関節の骨だけが不自然に隆起する手首。冬を越えられなかった枯れ枝のような指先が、わずかに震える。


 傍聴席から、衣服の擦れる音さえも消え失せる。


 ルイーゼは手元の調書から顔を上げる。ペン先を浮かせ、指先を微かに固くした。長い睫毛がゆっくりと下り、一瞬だけ両目が閉じられる。


「証人ブリギッテ。現在の体調を教えてください」


 裁判長の声は、どこまでも平坦だ。車椅子の上で、白い唇が微かに震える。


「……生命力が、ほとんどありません。回復しても……回復した分だけ、吸われるんです。毎日。寝ても、食べても。朝起きると……昨日より、体が重い」


 言葉の合間に、浅い呼吸が何度も混じる。骨と皮だけになった指先が、膝の上の毛布を弱々しく掴む。


「歩行は」


「……二ヶ月前から、立てません」


「年齢は」


「……二十四歳です」


 傍聴席の奥で、誰かが口元を押さえる気配がした。


 証言台の脇に留まっていたカスパルが、太い首を前へ突き出す。


「一度も説明を受けていません。あいつはサポート役です。生命力を分けるのが仕事だと思っていた」


 被告人席のファイトは、腕を組んだままつまらなそうに鼻を鳴らす。


 ブリギッテの細い首が、わずかに傾く。視線が、ファイトの足元あたりに力なく落ちた。


「……仲間だと……思っていました」


 オットーが、車椅子のグリップを握り直す。背筋を伸ばして正面を見据えた。


「……俺はまだ動けます。ブリギッテほどじゃない。でもスキルは使えなくなった。今は……ブリギッテの世話をしています」


 オットーの顎の筋肉が、固く引き結ばれる。静まり返った法廷に、ブリギッテの微かな呼気だけが白く濁って漂う。


◇◇◇


 ルイーゼが被告人席へ顔を向ける。


「被告。検察の立証に対し、弁明がありますか」


 ハルトマンが羽根ペンを置き、立ち上がろうとした。


「弁護側から——」


「俺が話す」


 ファイトが身を乗り出し、右手を荒々しく突き出す。


「被告。弁護人として申し上げます。ここは私に——」


「お前はクビだ。俺の弁護を俺より下手な奴にやらせる意味がない」


 振り返りもせず、吐き捨てるように言い放つ。ハルトマンの肩がこわばった。


「……被告。国選弁護人の解任は裁判長の許可が——」


 ルイーゼの声が割って入る。


「弁護人。被告が弁護を拒否しています。——解任を受け入れますか」


 ハルトマンは深く息を吸い込む。広い肩を一度落とし、散らばった書類を拾い集めた。赤いインクで修正線が引かれた白い紙片を、一枚ずつ丁寧に揃える。


「……受け入れます。——ただし被告が弁護人の助言を拒否して自ら解任を求めたことを、記録に残してください」


「記録します。——弁護人ハルトマンの解任を認めます。被告、以後は本人弁護となります」


 ハルトマンは書類の束を鞄に収め、弁護人席を立つ。傍聴席の最後列に腰を下ろした。


「生命力を受け取って消費した時点で契約成立だ。嫌なら受け取らなければよかった」


「あいつらは俺を捨てた。報いを受けているだけだ。追放した側が悪いに決まってる」


「追放された英雄はな、力を取り戻して、捨てた奴らに報いを与えるんだ。どの物語でもそうだろ。俺はそれをやっただけだ」


 身振りを交えながら捲し立てる声には、異様な熱がこもる。ファイトは両腕を大げさに広げた。


 検察官席から衣擦れの音が立ち上がる。ユストゥスが、完璧な姿勢のまま立ち上がっていた。


「反対尋問をします。被告。ここは物語ではありません。法廷です。——確認します。あなたの言う『朝貸し』の契約書はありますか」


 ファイトの腕が空中で止まる。


「……帳簿がある」


「帳簿はあなただけが書いたものです。相手方の署名はありますか」


 ユストゥスは手元のバインダーを一瞥すらしない。視線を被告の顔に固定したまま、問いを重ねていく。


「……ない」


「利率の説明を相手方にしましたか」


「する必要はない。俺のスキルだ」


「つまり。合意なし。署名なし。利率の説明なし。——被告、それは貸付ではありません。あなたが一人で書いた帳簿に基づく一方的な請求です」


「利率は俺が決めた。俺のスキルだ。法律じゃない。俺のスキルだ」


 パイプ椅子の背もたれを叩き、ファイトが怒鳴る。ユストゥスは微かに顎を引き、書類に視線を落とした。


「……検察からは以上です」


 ユストゥスが検察官席へ腰を下ろす。


 ルイーゼの視線が弁護人席へ向かう。空席だ。


「……被告。何か補足はありますか」


 ファイトは口を開きかけ、閉じた。


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