第37話:保護と檻の違いを教えてください
廷内の空気が、ヴィクトールの静かな立ち上がりとともに引き締まる。
彼は手元の書類を一瞥もせず、正面を見据える。
「原告七家族の主張は単純です。被告アルベルト・ヴァイスは、七名の女性を自宅に囲い込み、経済的に支配し、心理的に依存させ、社会的に孤立させている。全員が『合意している』と言いますが、その合意は自由意思に基づいていない」
ヴィクトールは人差し指を立てる。
その声はよく通り、静まり返った法廷の隅々まで届く。
「第一。恩義による拘束。七名中五名が、被告に命を救われたか、窮地から救出されたことで合流している。『命の恩人だから一緒にいる』。これは感謝であって合意ではありません」
二本目の指が立つ。
彼は被告側のエルマに、一瞬だけ視線を向けた。
「第二。経済的依存。七名全員の衣食住を被告が負担している。収入源は被告の冒険者報酬のみ。七名に独立した経済基盤はない。出ていく自由は、出ていった後に生きていける場合にのみ意味があります」
三本目の指を立て、ヴィクトールは原告席のマルガレーテを示した。
「第三。社会的孤立。七名中六名が、家族との連絡を被告経由でしか行っていない。原告ホフマンは一年間娘に直接会えていない。『幸せです』という手紙は来るが、それは本人が書いたのか、書かされたのか、あるいは本人がそう信じ込んでいるだけなのか。判別できません」
ヴィクトールは法壇に向き直り、一礼する。
「よって、王国民法第九十六条、意思表示の瑕疵。および第九十条、公序良俗違反に基づき、七名全員の『合意』の無効確認と、家族のもとへの帰還を求めます」
「反論します。七名は全員成人です。成人の居住と行動の自由は——」
エルマが鋭く声を上げた。
「自由。——自由というのは、選択肢がある状態を言います。 選択肢が『ここにいる』しかない場合、それは自由ではありません。弁護人。成人だから自由だ、は子供の理屈です。法廷でそれを言うのはおやめなさい」
アルベルト・ヴァイスが、笑顔のまま証言台に立つ。悪い人間に見えない。本当に見えない。
「被告。七名の女性と同居している経緯を説明しなさい」
アルベルトは迷いなく頷く。
「みんな、本当に困っていたんです。アンナは森で魔物に襲われていたし、ソフィーの村は原因不明の疫病に苦しんでいました。ベアトリスに至っては、あんな酷い奴隷商に捕まって……。目の前で助けを求めている人がいたら、手を差し伸べるのは当然じゃないですか」
「助けた後、なぜ彼女たちと一緒に暮らしているのですか」
ヴィクトールが、机に手をつきながら穏やかに問いかける。声だけ聞けば世間話のトーンだ。目は笑っていない。
「みんなが『一緒にいたい』と言ってくれたので。行き場を失った人もいたし、僕も彼女たちがいてくれるのは嬉しい。だから自然と、今の形になりました」
「あなたから『一緒に住まないか』と誘ったことは?」
ヴィクトールの質問に、アルベルトはわずかに視線を泳がせる。
「……言ったかもしれません。でも、無理強いしたことは一度もありません」
ヴィクトールは歩み寄らず、一定の距離を保ったまま書類をめくる。
「同居している七人に聞きました。全員が『アルベルトに誘われた』と証言しています。『来たいなら来てもいいよ』。あなたのこの言葉を、命を救われた直後の十八歳の少女が、どう受け取ると思いますか」
アルベルトは口を半ば開いたまま、沈黙する。
「…………」
「断れると思いますか? ——あなたは思うんでしょうね。そういう人だから七人も集まったんです」
アルベルトは眉を寄せ、言い返した。
「断ってもよかったんですよ。僕は——」
「『断ってもよかった』は、力を持つ側の台詞です。 断れる状況にあったかどうかは、断る側が決めることです。被告。あなたはそんなそんなこともわからないまま七人囲っていたんですか。善意だと仰るなら、せめてもう少し頭を使っていただきたかった」
アンナ・ホフマンが証言台に立つ。
原告席のマルガレーテが身を乗り出している。
「アンナさん。あなたはアルベルトと一緒にいることを望んでいますか」
エルマが問いかける。
「はい。アルベルトさんは命の恩人です。あの方のそばにいたいです」
「強制されていますか」
「されていません。自分の意思です」
ヴィクトールが代わりに前へ出た。
十八歳の少女を正面から見もしない。傍らに置かれた記録用の羊皮紙をめくりながら、事務作業の延長のような口調で尋問を始める。
「アンナさん。お母さんに最後に会ったのはいつですか」
「……半年前、だと思います」
アンナの答えに、ヴィクトールは短く「半年」と繰り返す。
「手紙は書いていますか」
「はい。月に一回、必ず」
「手紙の内容を覚えていますか。何と書いたのか」
「『元気です。幸せです』と……」
「毎月、同じ内容ですか」
ヴィクトールの口調に、アンナがわずかに出端をくじかれた顔をする。
「……はい。私が本当にそう思っているので」
「なるほど。では、今、お母さんがどんな顔をしているか知っていますか」
ヴィクトールが原告席を指し示す。
アンナが視線を向けると、そこには声を出さずに肩を震わせるマルガレーテの姿があった。
アンナの表情が微かに揺れる。
ヴィクトールはマルガレーテの涙をじっと見ている。泣かせたのではない。泣いているのを値踏みしている。使える素材かどうか。——使える、と判断した顔で、彼は頷いた。
「記録のためにお伝えします。原告マルガレーテ・ホフマンは、この一年間で八通の手紙を受け取りました。全て『元気です。幸せです』の一文。——その八通の手紙は全て、今、僕の手元にあります」
ヴィクトールは束ねた手紙を掲げ、法壇に向かって突きつける。
「インクの色が八通とも完全に一致。紙も同じ。同じ日にまとめて書いたものです」
「異議あり!」
エルマが鋭く立ち上がる。
「手紙の書き方は個人の自由であり——」
「個人の自由。結構」
ヴィクトールはエルマを一瞥もしない。
「自由な人間は、八ヶ月分の手紙を同じ日にまとめて書きますか? それは『安心させるための作業』であって手紙ではありません。お母さん。八通の『幸せです』は、全部同じ日に書かれていました。知っていましたか」
マルガレーテが声を出さずに泣く。首を横に振っている。
ヴィクトールは表情を変えない。依頼人の涙を法廷の武器に加工し終えた男の顔だ。
「もう一つ。アンナさん。被告の家を出て、お母さんのところに帰るという選択肢を考えたことはありますか」
「……考えたことはないです。帰る理由がないので」
「『帰る理由がない』のと、『帰れない』のは違います。 あなたはどちらですか」
「帰る理由が——」
「アンナさん」
ヴィクトールが彼女の言葉を遮る。
「あなたは被告の家で、自分のお金を稼いでいますか」
「……いいえ」
「もし今日、この瞬間に家を出たら、あなたはどこに住みますか」
アンナの唇が戦慄く。
「…………」
「食費はどうしますか。実家へ帰るための旅費は誰が出すのですか。——あなたが『帰る理由がない』のは、帰った後の生活の見通しが立たないからではありませんか」
「異議あり!」
エルマが勢いよく立ち上がる。
「被告が経済的に支援していることは事実ですが、それは支配ではなく保護です」
「保護と支配の違いを教えてください、被告代理人」
ヴィクトールは言った。
「被保護者が出ていく能力を持っていないなら、保護は檻と何が違うのですか。 被告代理人。あなたはまさかその程度の区別もつかないまま法務顧問を名乗っていたんですか? 依頼人が気の毒だ」




