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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
Z-209号 聖なる加護の囲い込み 合意無効確認請求事件
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第36話:涙は法廷で使います

 事務所の扉が開くなり、怒号と泣き声が室内に充満する中で、七人の親族が、揃いも揃って詰めかけている。

 彼らは銘々に、胸の内に溜まった泥を吐き出した。


「娘が一年も帰ってこないんです。手紙には『幸せです』としか……」


 マルガレーテ・ホフマンが、使い古したハンカチで何度も目元を拭う。

 間髪入れず、横から屈強な男が身を乗り出す。


「妹を引き取りたいと言ったら『ここにいたい』と。元奴隷の妹がですよ。本当にそう思っているのか……」


 クラウス・シュタイナーは、革職人の厚い指先を机にめり込ませる。

 その隣で、初老の男が力なく首を振った。

 元冒険者の娘を持つディーター・ブルクハルト。

 彼は怒る気力さえ失ったように、低い声でぽつりと漏らす。


「フリーダは冒険者だった。自分の足で立っていた。あの男に会ってから、自分で何も決めなくなった」


 三者三様の悲嘆。

 事務所の主であるヴィクトール・レンツは、黒い法服の襟を正し、そのすべてを黙って聞いていた。ただし見ていたのは親たちの顔ではない。手元の帳簿だ。羽根ペンの先が、親たちの嗚咽をBGMに数字を弾いている。

 七人目の親が喋り終わるのを待って、ヴィクトールはペンを置いた。帳簿を閉じる。口の端だけで笑う。


「整理しましょう」


 親たちの悲痛を聞いていなかったわけではない。聞いた上で、金に換算し終わったのだ。ヴィクトールは指を一本ずつ立てた。


「あなたがたの家族は、一人の男の家に同居し、男の経済力で生活し、男の冒険に随行し、男への感謝を行動原理としている。全員が『自分の意思』と言っている。——これは家族ですか。それともカルトですか」


 応接室に、重苦しい沈黙が落ちる。

 誰も口を開かない。

 誰も否定しない。


 ヴィクトールは一拍置いて、再びペンを取る。

 空の羊皮紙に、流れるような動作で数字を羅列し始めた。


「泣かないでください、奥さん。涙は法廷では有効ですが、ここは僕の事務所です。ここでは請求額だけが有効です」


 マルガレーテが顔を上げる。ヴィクトールは帳簿を指先で弾き、数字を突きつけた。


「七家族。一家族あたり三十万クローネ。合計二百十万。生活支援金を上乗せすれば五百万超え。三割で百五十万。素晴らしい依頼です。お受けします」


「お金の話ではなく、娘を……」


 マルガレーテが縋るように声を出す。


「お金の話です。法廷はお金の話をする場所です。『娘を返せ』は感情です。感情で人は動きません。判決で動きます。判決を取るのが僕の仕事です。あなたの仕事は僕に報酬を払うことです。わかりますか」


 マルガレーテは唇を噛み、しばらくの間、ヴィクトールの目を見つめ返す。

 しばらくして、短く応じた。


「…………わかりました」


 ヴィクトールは、深々と椅子に腰掛ける。


「よろしい。では、娘さんを取り返しましょう。僕の報酬のために」


◇◇◇


 法壇の中央に、マティアス・ブラント判事が着席する。

 溜息をついた。

 三度目となるヴィクトールとの対峙。手元の水差しには、胃薬を溶かした水が並々と注がれている。


「事件番号Z-209号原告マルガレーテ・ホフマン外六名対被告アルベルト・ヴァイス。親族引渡請求、精神的損害賠償請求、および事実婚関係の無効確認訴訟」


 書記官が事件名を読み上げる。マティアスは眉間を揉み、口を開いた。


「原告側弁護人」


「ヴィクトール・レンツです。お久しぶりです、裁判長」


 ヴィクトールが優雅に一礼する。

 顔を上げた瞬間、視線が裁判長席の隣に吸い寄せられた。若い女。鋭い目。法服の襟元から覗く鎖骨の線が細い。ヴィクトールの目が、品定めをする商人のそれに変わる。


「おや。陪席の方はお初ですね。美人の陪席は法廷が華やぎますね。お名前を伺っても」


「審理に関係ありません」


 ルイーゼが切った。

 手元の記録帳にペンを走らせたまま、視線すら合わせない。

 ヴィクトールは一瞬、目を細めた。面白い、という顔だった。歯牙にもかけないという態度の女は珍しくないが、本当に歯牙にもかけていない女は珍しい。


「失礼。では審理に関係ある話をしましょう」


 ヴィクトールは肩をすくめ、口角を上げる。


「最初から審理に関係ある話をしてください。 ……被告側弁護人」


 マティアスが促すと、反対側の席から一人の女性が立ち上がった。

 エルマ・リントナー。

 彼女は一瞬、一瞬詰まってから名乗る。


「エルマ・リントナー。被告の——被告の同居者であり、法務顧問です」


 法廷が、ざわめきが走る。


「裁判長。確認させていただきたい」


 ヴィクトールが、手を挙げる。


「被告側弁護人は、被告のハーレムの一員ではありませんか」


「ハーレムではありません。共同生活体です」


 エルマが言い返す。ヴィクトールは止まらない。


「呼び方は結構です。お好きに言い換えてください。弁護人は被告と同居し、被告の経済的支援を受け、被告の冒険に同行している。つまり本件で問われている『合意の有効性』の当事者そのものだ。自分の合意の有効性を自分で弁護するのは、利益相反ではありませんか。……それとも、弁護人にはその程度の法理もご説明が必要ですか」


「私はアルベルトの恩義によってではなく、職業的判断として合流しました」


 エルマが声を張り上げる。


「弁護士としての独立性は維持しています。他の六名の合意についても、私が客観的に確認しています」


「確認した人間が当事者。 ……裁判長。泥棒に『この金は俺のものです』と言わせているようなものですよ。弁護人はご自分で気づいていないんですかね。それとも気づいた上でこの席に座っているのなら、それはそれで大した度胸だ。どちらにしても弁護人としては終わっていますが」


 ヴィクトールが肩を揺らして笑う。本気で楽しんでいる。法廷で人を追い詰めるのが、この男にとっては一等地の見世物なのだ。

 マティアスは、ずきりと痛む胃を押さえながら、陪席のルイーゼを見た。

 彼女はただ静かに、エルマの表情を観察している。

 マティアスは咳払いを一つして、判断を下した。


「弁護人の利益相反については、本法廷の判断として——留保します。審理の過程で弁護人の客観性に疑義が生じた場合は、改めて判断します」

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