第35話:勉強するか
追い打ちは、すぐに来た。
「ケスラー徴税吏長、私からも一点、追加で請求させていただきたい」
オスカーが穏やかに、しかし容赦のない笑みを浮かべて口を開く。
「第一部の審判決定により、貴ギルドにはダンジョンを管理する法的根拠がないと認定されました。根拠なく徴収した入場料は、法的には『不当利得』に該当します」
ハインリヒの喉が、ひきつったような音を立てる。
「直近五年間で徴収された入場料の総額、三千万クローネ。この全額をリベルタス市へ返還するよう求めます」
「さ、三千万……!?」
「待ってください!」
エーリッヒが、すがりつくような勢いで机に身を乗り出す。
「入場料はすべて、ダンジョンの安全管理費用として実費で消えています。不当に利得を得たわけではありません!」
「管理費用、ですか」
オスカーは手元の帳簿をパラパラと捲る。
「ならば、その内訳を示してください。巡回員の人件費、魔法灯の維持費、安全装置の設置費用。それらが三千万クローネに達しているのなら、返還の必要はないかもしれませんね」
エーリッヒが震える手で帳簿を確認する。ある一点で、手が止まった。顔から、急速に血の気が引いていく。
「……どうしました?」
オスカーが、エーリッヒの視線を追い越すように数字を読み上げる。
「安全対策費、年間百二十万クローネ。五年分で六百万。……入場料収入の、わずか二割ですね。では、残りの二千四百万クローネはどこへ消えたのですか?」
「それは……ギルドの運営諸経費や、有事の備蓄金、本部の修繕費などに……」
「それは『管理』ではありません。ギルドの利益です」
オスカーの声が冷たく響く。
「公有地から無権限で利益を得ていた。市としては、本来市庫に入るべきだった富の返還を求める権利がある」
ここで、それまで黙って計算機を叩いていたディートリッヒが顔を上げた。
「なるほど、利益。であれば当然、所得として課税対象になります。オスカー財務官、先ほどの未納税額にこれを加算しましょうか。所得隠しとしての重加算税も検討に入りますが」
「いえ、徴税吏長」
オスカーは帳簿を閉じ、冷徹な一言を告げる。
「不当利得の返還と、脱税に対する課税は別の手続きです。返すべき金を返し、その上で足りない税を払っていただく」
ハインリヒの口から、魂が抜けたようなため息が漏れる。
「両方、やります」
「それでは、本件に関する第二の決定を述べます」
ニクラスの声が、審判廷に響く。彼は事務的に、だが一文字一文字に法的重みを乗せて読み上げる。
「決定。第一。未納営業税の追徴。直近五年分の営業税八百二十五万クローネに、延滞金二百万クローネを加え、合計一千二十五万クローネの追徴課税を確定させます。ただし、ギルドの運営継続を考慮し、十二ヶ月以内の分割納付を認めるものとする」
ハインリヒは微動だにせず、その数字を喉の奥で飲み込む。
「第二。ダンジョン入場料の不当利得返還。直近五年間の徴収額のうち、管理実費六百万クローネを控除した残額――二千四百万クローネを、リベルタス市へ返還せよ。これについては、二十四ヶ月以内の分割納付を認めます」
「第三。今後の納税義務。冒険者ギルドは、今後リベルタス市で営業を続ける限り、他の組織と同様に営業税を納める義務を負います。また、会計の年次公開を必須条件とする」
ニクラスはそこで一度言葉を切り、眼鏡を直した。
「合計、約三千四百二十五万クローネ。分割払いを認めていますから、今すぐに組織が破綻することはないでしょう。……ただし」
一拍の沈黙。
「この決定はあくまで、リベルタス市内のギルド支部に対するものです。他の都市、あるいは他の国のギルド支部がどう扱われるべきかについては、それぞれの都市や国の判断に委ねます」
ハインリヒの顔色が、さっと変わる。
リベルタスだけで三千万を超える負債。もし、大陸中の王国や自由都市がこの決定を「先例」として採用したら。
「……マスター」
傍らに立つエーリッヒが、震える声で手元の書簡の束を指し示す。各国支部からの緊急連絡が次々と届いている。
「各国の支部長から問い合わせが殺到しています。『リベルタスの決定は、自分たちにも及ぶのか』と」
ハインリヒは、天井を仰ぎ見る。
「……及ぶだろう。どの国も、どの支部も、俺たちと同じ構造で成り立っているんだからな」
◇◇◇
ギルド本部の執務室。
ハインリヒの机の上には、もはや木材の表面が見えないほどに書簡が山積みとなっている。それらはすべて、大陸中の支部長たちから届いた悲鳴だ。
「王国支部長。王国の税務局が動き始めたとのことです。『リベルタスと同等の調査を行う』と宣言した模様」
エーリッヒが、次から次へと書簡を捌いていく。
「ハンデルスブルクの商人ギルドは、ダンジョン管理権を自分たちに委託しろと市議会に要求。魔法師ギルドからは『次は自分たちだ』とパニック気味の問い合わせが届いています」
「……他人の心配をしている余裕があるのか」
ハインリヒが力なく呟く。だが、エーリッヒが差し出した最後の一通が、彼の思考を完全に停止させた。
「さらに深刻な問題です。王都の城門で、ギルドカードによる本人確認が拒否されました。『法的根拠のない民間団体の発行物は身分証として認めない』。これが王宮の公式見解です」
「カードが使えないだと……? それでは冒険者が国境を越えられんではないか」
「ええ。ギルドの法的地位が不明確である以上、発行物にも公的な効力がない。そう判断する都市が続出しています」
ハインリヒは、自分の分厚い掌を見つめる。
「各国が個別に動き始めたら、ギルドはバラバラに解体されるぞ。組織として維持できん」
「左様でございます。ですから、各国、各都市の代表を集めて協議する場を設けるしかありません。……三百年ぶりとなる、設立協定の再締結です」
「国際会議か」
ハインリヒの声に、覚悟が混じる。
◇◇◇
「ニクラス審判官、お疲れ様でした」
審判廷の外。ニクラスは、にこやかに書記官の労いに頷く。
「各国から、決定の詳細を知りたいと問い合わせが届いています。いかがいたしましょう」
「公開情報ですから、すべてお送りしてください。隠し立てするようなことではありませんよ」
ニクラスは、リベルタスの澄んだ空を仰ぐ。
「大陸中のギルドが震えているそうですが……」
書記官の懸念に、ニクラスは穏やかに、だがはっきりと答えた。
「法に基づいて運営すれば、震える必要はありません。震えているということは、これまでの運営が法に基づいていなかった。ただそれだけのことですよ」
◇◇◇
リベルタス支部、訓練場。
レナは、新基準となってから初めて実施された「A級昇格試験」の結果を受け取っていた。
実技試験は、文句なしの合格。
模擬戦闘もダンジョン踏破も、すべてが圧倒的な基準超え。だが――。
「……おい、ミレーヌ。これ、何かの間違いだろ」
受付窓口。レナは震える手で、採点表を突き出す。
「筆記試験、三科目のうち二科目が赤点。……不合格?」
「はい。間違いございません」
ミレーヌは、いつもの事務的な微笑みで答える。
「依頼報告書作成。赤点。『魔獣を倒した』。これ一行では、証拠資料として認められません。次に経費精算。……白紙です」
「戦った後に、薬草がいくらだのメシ代がいくらだの書けるかよ!」
「そして安全管理基礎。こちらは合格ですが、トータルで赤点です。レナさん、『討伐対象の体長、重量、部位損傷の有無を正確に記載せよ』という新規定は、先日の改善命令に基づくものですから」
「……倒したんだからいいだろうが。何だよ部位損傷って。首を落としたら、死亡。それでいいだろ」
「新しい基準ですから。次回は三ヶ月後です。ちなみに、冒険者のための『はじめての会計・報告書講座』も開設されました。受講されますか?」
レナは、自分の採点表と、窓口の向こうで一点の曇りもなく微笑むミレーヌを交互に見る。
理不尽な「態度」で落とされていた頃とは違う。今は、明確に決められた基準によって、自分は正しく落とされている。
「…………勉強するか」
レナは短く吐き捨てると、採点表を丸めてポケットに突っ込んだ。
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