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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
K-2323 異世界で食堂を 業務上過失致傷等被告事件
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第98話:料理人資格制度

 ヴェルナーは手元の判決書を静かに整え、顔を上げた。


 法廷内のすべての視線が、判事正の一挙手一投足に注がれている。検察席のコッホも、被告席で項垂れるフェリクスも、傍聴席を埋め尽くす人々も、等しく息を潜めてその時を待っていた。


「判決を言い渡します」


 低く重厚な声が、石造りの空間に厳粛に響き渡る。


「被告フェリクスは前世の記憶を持つ転生者です。『前世の料理を広めたかった』と主張しています。しかし被告は前世で料理人ではありません。食べていただけです」


 ヴェルナーは事実のみを冷徹に紡ぐ。


「食べることと、安全に食べさせることは、まったく別の技術です。被告は営業許可を取得せず飲食店を開業しました。衛生基準を満たしていません。生食禁止を知りながら生卵を提供しました。発酵食品の管理は極めて杜撰でした」


 ヴェルナーの視線が、証言台の青年を真っ直ぐに射抜く。


「前世に冷蔵庫があったことを知っていて、この世界で冷蔵設備なしに生ものを出した。被告は『前世では普通だった』と繰り返しました。——前世は前世です。この世界はこの世界です」


 一音一音に重みを込めた宣告が、フェリクスの心に打ち込まれる。


「前世の常識をこの世界にそのまま持ち込むことは、『知識』ではありません。怠慢です」


 判事正はここで言葉を切り、深く息を吸い込んだ。


 検察官が論告で提示した『資格』の概念を、判決として確定させる。


「前世で食べていただけの人間に、この世界で食べさせる資格はありませんでした」


 法廷全体を支配する沈黙の中、ヴェルナーは判決の核心部分へと言葉を進める。


「量刑を申し渡します。無許可営業について。罰金二百万クローネ。衛生管理法違反について。罰金三百万クローネ。新規食材無届使用について。罰金百万クローネ」


 罰金額が読み上げられるたび、フェリクスの肩が微かに跳ねる。


「過失致傷について。被害者は十二名。うち重症者二名。重症者一名は子供であり、現在も後遺症が継続している。——禁固五年」


 判決の重みが、具体的な数字となって提示された。


「以上を併合し、被告フェリクスを禁固五年に処す。加えて、王国内での飲食業営業を永久に禁ずる。被害者十二名への損害賠償を命ずる。額は別途算定。……以上、判決とする」


 もはや言い逃れの余地はなく、フェリクスは崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。


 ヴェルナーは手元の木槌を握り、静かに、しかし力強く打ち下ろした。


「被告を連行してください」


 警吏たちが進み出て、虚ろな目をしたフェリクスの両腕を掴む。抵抗する気力すら失った青年は、引きずられるようにして重い扉の向こうへと消えていった。


◇◇◇



 警吏に両腕を掴まれ、法廷の出口へと引きずられていくフェリクスが、亡霊のように虚ろな目で振り返った。


「……前世の味を……この世界にも……」


 未練がましく呟く青年に、ヴェルナーは裁判席から冷徹に告げる。


「この世界には、この世界の味があります」


「——連行してください」


 重厚な木製の扉が閉じられ、法廷はようやく本来の静謐を取り戻した。


 自室の執務机に戻ったヴェルナーは、法服の襟をわずかに緩めて深く息を吐き出す。今回の事件が残した疲労は、思いのほか重く肩にのしかかっていた。


「裁判官殿。お疲れ様でした。……あの『マヨネーズ』、証拠品として保管庫にあるんですが」


 入室してきた書記官が、ひどく顔をしかめながら報告書を差し出してくる。


「……処分してください」


「すでに処分班が嫌がっています。蓋を開けたら——」


「聞きたくありません」


 ヴェルナーが即座に手で制止したところへ、控えめなノックの音が響く。


「ヴェルナー判事。一件、ご報告が」


 現れたのは、法廷での厳粛な顔を仕舞い込み、すっかり普段の穏やかな空気を纏ったコッホだった。


「何でしょう」


「例の証拠品の件で、私が処分を引き受けようかと」


「……あなたが?」


「興味があります」


 コッホの分厚いレンズの奥で、食の探求者としての好奇心がきらりと光る。ヴェルナーと書記官は、無言のまま顔を見合わせた。


「……止めた方が……」


 書記官の引きつった声をよそに、コッホは豊かな腹を揺らして熱っぽく語り始める。


「発酵管理に失敗した場合、どこまで腐敗が進むのか。資料として価値があります」


「あなた、それを食べる気ですか」


「まさか。匂いを嗅ぎたいだけです」


「……止めた方が……」


 今度はヴェルナー自身が呆れ声で呟く。


「いえ、これは食を司る者の責務ですから」


「あなたの『責務』は、いま、私が判事として禁じます」


 ヴェルナーが低い声で言い渡すと、コッホは名残惜しそうに視線を彷徨わせた。


「……承知いたしました」


 少し残念そうに引き下がる検察官の姿に、室内の空気がわずかに緩む。しかし、書記官の次の一言が、再び重い現実を引き戻した。


「胃薬で思い出しましたが、被害者の方が差し入れにお菓子を——」


「…………」


 ヴェルナーの動きがぴたりと止まる。


 固いものが食べられなくなった、あの幼い子供の姿が脳裏を掠めた。


 ヴェルナーは疲労の滲む動作で椅子に深く腰を下ろし、窓の外に広がる王都の夕闇を見つめた。


「……当分、人が作ったものを食べたくない気分です」


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