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【4】

 健太は我を忘れて馬車の外へ飛び出した。

「やめろ! やめるんだ!」

 彼はネアンデルタール人の親子の前に立ちふさがり両腕を広げた。だがホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、どちらからも健太は見えていないようだった。ホモ・サピエンスたちは健太を無視するどころか彼の身体を通り抜けてネアンデルタール人の親子に襲いかかった。親子に抵抗する術などあろうはずがなかった。三人は健太の目の前で見る見る赤い肉塊と化していった。


「おおおっ!」

 ホモ・サピエンスたちが勝利の雄叫びを上げた。

「悪魔は滅んだ。正義は我らにあり!」

 石槍を振り回す者、飛び跳ねる者、周りの仲間と抱き合う者、興奮覚めやらぬ様子で集団は引き上げていった。後に残されたのは、燃えさしの焚き火と、にわかには人の姿と認識できない肉の山と、ウルと呼ばれた男の身体だった。

「……ひどい」

 健太は全身を震わせてその場に立ち尽くした。しばらくそうしていたが、急に気付いたようにそっとウルの顔を覗き込んだ。微かに息をしているのが分かった。

「佐藤さん! この人、まだ生きてる! 助けなきゃ」

 健太は御者台に駆け寄った。

「健太、我らは生者の世界に干渉することはできない」

「放っておくのか?」

「仕方あるまい」

「ちょっと! またアタシを無視して! 死神はアタシなんですからね! って、そんなことより、ほら!」

 御者台から這い降りてきたモルが地平線の一角を指さした。健太がその先を見ると、土煙が上がっている。何かが猛スピードでこちらへ走ってきているようだ。近づいてきたそれは、筋肉隆々の半裸の身体に狼の頭が載った異形の者だった。

挿絵(By みてみん)

「よう、おチビちゃん。こんなとこで何してんだ? お前さんの受け持ちは四万年後じゃなかったか?」

「おチビちゃんじゃありません! モルってちゃんとした名前があります!」

「おうおう、相変わらず元気なおチビちゃんだ」

「あっ、また……」

「お嬢、怒るな、怒るな」

 御者台の上から佐藤がモルをなだめた。

「佐藤もお守りで大変だな」

「慣れっこですから。ところで、ええと……ここでのお名前は?」

「ああ、この時代にはまだ名前なんか無えよ。ただネアンデルタールやホモサピが死を怖れる気持ちが具現化しただけの者だな」

「そうですか。では死の恐怖さんとお呼びしましょう。死の恐怖さんはこの五人の魂を回収しに?」

「五人? いや、四人だけだ。こっちのホモサピはリストに無えな」

 死の恐怖は手にした書類と見比べて言うと、ネアンデルタール人の親子に近づいた。

「ああ、こりゃ酷え。いつものことだがホモサピは残酷でいけねえ。おっと佐藤も元はホモサピだったな。気ぃ悪くすんなよ」

「いえいえ。私もホモサピは好きになれませんから」

 佐藤の言葉に軽くうなずいた死の恐怖はネアンデルタール人の親子に近づいた。

「おチビちゃん、その鎌を貸してくれ。石器で刈り取るのは手間がかかって仕方ない」

「そんなことしていいの?」

「この時代にそんなこと分かる奴はいねえよ」

「でも人にものを頼む言い方ではないですね」

「モル様。鎌をお借りできませんでしょうか?」

「仕方ありませんね」

 モルが差し出した鎌を死の恐怖が恭しく受け取った。それから彼はネアンデルタール人の父親の頭に触れた。すると彼と同じ姿をした半透明の魂がフワリと起き上がった。魂は足を踏み出そうとしたが、つま先が身体とくっついているようだった。死の恐怖がそれを鎌で切り離した。身体から離れた魂はフラフラと飛んでいきそうになったが、死の恐怖が素早くそれを掴んで背中に背負った革袋に放り込んだ。母親と子供たちの魂も同じように革袋に入れられた。

「俺の仕事は終わりだ。お前ら、なにしに来たのか知らんが、俺のナワバリは荒らすなよ」

 死の恐怖が立ち去ろうとした。

「ちょっと! アタシの鎌、返しなさいよ!」

 モルが死の恐怖の背中の革袋を掴んで引っ張った。

「ちっ、気づかれたか」

「当たり前でしょ!」

 死の恐怖がいかにも渋々といった様子で鎌をモルに返した。

「じゃあな」

 来たときと同じように土煙を上げて死の恐怖は走り去っていった。


「ええと、あの方は?」

 健太が御者台の佐藤に訊いた。佐藤が手にしたカボチャをクイクイと動かした。どうやらモルを指し示しているようだ。健太は慌ててモルのほうに向き直った。幸いモルは死の恐怖を見送っていて気づかなかったようだ。

「モル」

 健太は改めてモルに声をかけた。

「なに?」

「あの方は?」

「アタシたちの仲間。この時代を担当してる。この時代じゃまだ死神として書かれたり描かれたりしてないから、名前もないし、人々が怖れる狼の姿……頭だけだけど……として見えてるのね」

「見えてるって?」

「人が死ぬということはどの時代でも、どの場所でも同じこと。だから死神だってみんな同じはず。でも時代や場所によっていろんな死神がいるでしょ?」

「たしかに」

「それって文化的に『死神はこうだ』っていう姿でそれぞれの人に見えてるわけ」

「なるほどね……いやちょっと待って。モルの格好は西洋の死神でしょ? なんで日本人の僕に西洋の死神が見えてるの?」

「あなた、日本の死神がどんなだか分かる?」

「いや……」

「そうでしょ。二十一世紀の日本人にはこっちの死神のほうが馴染みがあるよね」

「そのとおりだ」

「そんなことより佐藤さん、これからどうするの?」

 モルは健太との会話を打ち切って御者台の佐藤に言った。

「元の時代に戻るさ」

「それだけ?」

「もう一箇所寄るところがある。二人とも馬車に乗れ」

 御者台の佐藤に促され健太が客室に入ろうとした時だった。一人残されていたウルの頭がかすかに動いた。健太は駆け寄っていった。ウルから健太は見えないはずだが、まるでその気配に驚いたように急に目を開いた。それから辺りを見回した。健太は馬車を振り返った。佐藤が手に持ったカボチャ頭でうなずいた。モルも御者台に戻っていて、佐藤の横でうなずいた。すぐにウルが立ち上がり、意外にもしっかりした足取りで歩き始めた。彼は仲間のホモ・サピエンスたちが去っていったのと反対方向に荒野を進んでいって、やがて視界から消えた。健太はそれを見届けてから馬車の客室に乗り込んだ。

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