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【20】

 死神日本支部庁舎のオフィスを飛び出したモルは、湿った霧が立ち込める車両保管庫へ駆け込んだ。並み居る業務車両の奥、漆黒のキャリッジ――コシュタ・バワーが名前のとおり静かに鎮座している。二頭の骸骨馬が前脚で地面を掻き、骨格の隙間から幻想的な緑の燐光を漏らしている。

挿絵(By みてみん)

「……騒々しいぜ、お嬢。『コシュタ・バワー』ってのはサイレント・コーチつまり静寂の馬車って意味なんだ。喧騒は似合わねえ」

 カボチャの頭を抱えた佐藤が影から姿を現した。

「そういうの今いらないから。佐藤さん、これ見てよ!」

 モルは腕いっぱいに抱えた「刈り取りリスト」の束を足元にぶちまけた。

 佐藤は無造作に数枚を拾い上げた。カボチャの眼窩に灯る怪火が、リストを鋭くスキャンしていく。彼は数秒後、低い声で呟いた。

「このリスト、何の順に並んでるんだ? 予定時刻順じゃなさそうだし……ああ、この数字順だな。だがこの数字がなにか分からねえ。三桁と七桁の組み合わせ。郵便番号じゃねえし……」

「佐藤さん、そんなことより問題は数なの。今日一日で三万件の回収って無茶だよ」

「いや、大事なことのような気がするぜ。予定場所はバラバラだが、毎日ニコニコ銀行の支店やATMってのがポツポツとあるな。これってあの兄ちゃんの勤める銀行だろ?」

「ホントだ。ちょっと多いね」

 モルが言い終わらぬうちに佐藤が御者台に飛び乗った。

「乗れ、お嬢。とりあえずリストの対象者を見て回るしかなかろう」

 骸骨馬が嘶き、緑の燐光を曳きながら、コシュタ・バワーは現世に向かって駆け上がった。


 一方こちらは毎日ニコニコ銀行本社のプロジェクトルーム。

「百パーセントに張り付いたまま変わりません」

 立ち上げっぱなしにしているオンライン会議システムの画面には、真っ赤に染まったホストコンピューターのコンソール画面と、悲愴感溢れるデータセンターのオペレーターが映っている。

「真司、まずはリソース食ってるプロセスの特定からだな。おそらくループしてる奴がいるんだろう」

 片桐の指示はごく真っ当な調査手順だ。状況が分からければ真司も同じことをしただろう。だがモニターを食い入るように見つめたまま真司は首を横に振った。

「……プロマネ、違います。これ、無限ループじゃない。外部からなにかデータが大量に送りつけられてます。ほぼすべてのプロセスがそのデータの処理にかかりきりなんです」

「外部から? ハッキングか?」

 片桐が驚愕の表情を現した。

「多分」

「そいつはやべえ。俺はシステム部長に知らせてくる。真司は調査を続けてくれ」

 片桐は慌ただしくプロジェクトルームを飛び出していった。

「チャットで伝えればいいのに。でもああやってあの人が飛び回ってくれるおかげで、俺はシステムのことだけに集中できる。なんだかんだ言って頼りになるプロマネだよな」

 真司はまた外部データの解析に没頭した。


 その頃、宝町支店では地獄絵図が展開されていた。今や全台のATMの前で操作した人間が倒れていた。他にも数十人単位の人間が待合室に倒れている。その全ての手にスマートフォンが握られている。無事だった客はみんな店外に逃げ出した。彼らがソーシャルネットワークサービスで拡散したので、店の外は黒山の人だかりになっていたが、店内に入ってくる蛮勇の持主はいなかった。

「しっかりしてください! もうすぐ救急車がきますからね」

 事実でないと知りながら、美咲はそう言わずにいられなかった。どのみち意識のない人間相手で気休めにもならないことに変わりはないのだが。

「美咲も危ないから逃げてくれ。感染症かもしれないから」

 さっきから何度も健太に言われている。

「ごめんなさい。そうすべきだと思うし、健太さんに迷惑かけてるのかもしれないけど。でもやっぱり健太さんを置いて出ていけない。私には生きてくれって言いながら、自分だけ死んじゃうなんて許さないから」

 涙目で訴える美咲を健太は毎回抱きしめてくれた。だから少しでも(それが自己満足に過ぎなくても)この場のためになにかしていたかったのだ。

「救急車はまだか!」

 五分おきに誰かが叫ぶ。市内中で一一九がコールされており、救急車が全然足りないのだ。美咲は倒れている人たちの間を飛び回り、手を握って励まし続けた。


 健太は自分が何をなすべきか分からず、ただ店内を見回すばかりだった。他の行員たちは美咲と同じように、倒れた顧客の対応に追われている。だが健太にはそれが自分のすべきことではないように思われた。

「僕は何をすべきか?」

 声に出して言ってみた。それに意味があったのか分からないが、健太は一様に顧客が握りしめているスマートフォンを調べてみようと思いたった。倒れている顧客を回って調べたところ、画面ロックされているものがほとんどだったが、それでも見ることのできた画面は全て『Helloニコニコ』サイトの中のページが表示されていた。このサイトは毎日ニコニコ銀行が預金者その他の契約者向けに公開している情報サイトで、銀行の店内であれば無料WiFiで閲覧できる。

「ATMを操作した客とウチのサイトを見た客が倒れてる。ウチのシステムに問題があるのか?」

「その可能性が高そうだな」

 背後から聞き慣れた低い声がした。

「やっぱりこの人たちは刈り取り対象なんですか?」

 健太は当たり前のように応対したが、この場の他の人間にその声は聞こえていないし声の主も見えていないはずだ。健太が一人で喋っているように見えるだろうが、そんなことを気にする余裕のある人間はこの場にいなかった。

「リストには載ってるんだが……」

「嘘でしょ? モルのリストは自殺でしょ? この人たちは自殺なんかじゃありませんよ」

「そうなのよ!」

 やはり聞き慣れた鈴のような声がした。

「それに今日の分だけで三万人分もあるんだよ。一日でそんなに自殺するなんてあり得ない。日本の年間自殺者数よりも多いんだよ」

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