【19】
「ぎゃああああああ! 出る! 出るよ、止まらないよお!」
モルが絶叫しながら執務デスクの前でのけ反った。
「モル先輩、なにを騒いでいるのですか?」
モルの後輩であり上司でもあるゴスロリファッションの主任がディスプレイ越しに声を掛けてきた。
「アリスちゃん! アンタあれが見えないの?」
「先輩! 職場でその呼び方はやめてくださいって、いつも言ってるじゃないですか」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ。あれあれ」
モルの指さした先では、骨董品のようなドットインパクトプリンターが、断末魔のような悲鳴を上げている。
「な……何なんですか?」
主任ものけ反りそうになって机の角にしがみついた。
「あれは刈り取りリストだよ」
「そんなはずありません。あんなにたくさん来るなんて」
モルはプリンターのところへ行き、トレイからあふれて床に散らばった用紙の一枚を拾い上げた。
「ほら。やっぱり刈り取りリストだよ」
モルは手にしたそれを主任の机に置いた。
「確かに刈り取りリストですね……」
主任がその一枚を表から裏から上から下から眺め、ひらひら振ったりしている間に、モルは床に散らばったリストを拾い集めた。
「これ全部、今日のノルマだよ……」
リストの束をパラパラめくりながらモルがうめいた。
「本部に確認してみます」
主任の指がタブレットの上で踊った。
チャットで問い合わせているのだろう。その指が止まったとき、主任の顔は怒りで真っ赤になっていた。
「話にならない! システム出力のとおりだ、の一点張り。自分たちが間違うかもしれないなんて、微塵も思ってないんだ」
「いや、でもこれ多分、三万人分くらいあるよ。これが正しいはずないよ」
「当然です。日本の年間自殺者数がだいたい二万人です。一日で三万人なんてありえません」
「アタシちょっと地上に行って見てくるよ」
「お願いします」
モルはオフィスを飛び出した。
毎日ニコニコ銀行宝町支店はいつもと変わらぬ混雑ぶりだった。支店の統廃合が進み、この地域に唯一残ったこの店に利用者が集中しているのだ。決して少なくない窓口だが、いつ終わるともしれない待ち時間に苛立つ客たちが列をなしている。加藤美咲もその一人だった。叔父の経営するデザイン事務所でアルバイトしている美咲は叔父に頼まれて、売上の入金確認に来たのだった。
「今どき入金確認なんてネットでできるのに……」
美咲は思うのだが、叔父はインターネットなるものをまったく信用していない。だからといってデジタルに疎いわけでもなく、最新の描画ソフトなどは平気で使いこなしている。
「人間は合理的に生きてなんかいない」
美咲は呟いた。いつも健太が言ってることの受け売りだ。そう言えば最近健太に会っていない。もう一週間になるだろう。そうか、まだ一週間だったか。毎日でも健太に会いたい美咲にとっては、一週間も気が遠くなる長さなのだ。思わず言葉が口をついて出た。
「健太さん、会いたいよ……」
「僕もだよ」
耳元に囁かれて美咲は飛び上がりそうに……いや、三センチくらい実際に飛び上がった。
「健太……さん?」
「ごめん、ごめん。驚かせちゃった。仕事でこの店に寄ったんだけど、美咲が並んでるのが見えたからさ」
「私の言ったこと、聞こえた……よね?」
美咲の顔は真っ赤だ。
「なんのこと?」
「もう!」
「あはは。とても嬉しいことが聞こえたよ」
「さっきのは本心?」
「もちろん。もう一週間も顔を見てなかったんだから」
「うふふ。周りから見たらバカップルかな?」
「今くらいはいいんじゃないか? そのうち『毎日顔を合わせてウンザリ』とか言われるようになるかもしれないし」
「そんなこと絶対言いません!」
美咲はつい少し大きな声を出してしまった。列の前の人の首がぐらりとかしいで肩越しに後ろを振り返った。
「大きな声出してごめんなさい」
とっさに美咲は謝ったが、振り返った目は何も見ていないようだった。そのままさらに首が傾いていき、ついに身体ごと横倒しになってしまった。
「おおい! お客さま救護!」
健太がカウンターに向かって叫んだ。すぐに奥の列にいた行員が飛び出してきた。彼は素早く状況を確認し、自分のスマートフォンで救急車を呼んだ。
「田所さん、ありがとうございます。後はこちらで見ます」
「お願いいたします」
健太が美咲のほうに向き直って言葉を掛けようとしたとき、ATMの列から悲鳴が上がった。健太は美咲を残してそちらへ走った。整然としていたはずの列はグチャグチャに崩れ、ATMの一つを遠巻きにしている。その中に一人の老婦人が倒れていた。健太が叫ぶ前に店の行員が駆けつけてきた。
「田所、いったいどうなってんだ?」
さっきの行員と違って今度の行員は健太の顔見知りだった。
「僕にも分からない。こっちのお客様は見てないけど、あっちのお客様は何の前触れもなくいきなり倒れた」
「お前、しばらくここにいてくれないか? どんな人手が入り用になるか分からんから」
「構わないけど……」
健太が美咲のほうを向いたのと、美咲が健太を呼んだのが同時だった。
「健太さん! 来て!」
健太が彼女に駆け寄ると、美咲は自分のスマートフォンの画面を健太に見せた。画面に映っていたのは美咲が動画を投稿しているソーシャルネットワークサービスのチャット画面だった。
『ニコニコ銀行のATM。いきなり人が倒れた』
『ワイも今ニコニコのATM並んでるけど、前でなんか騒いでる』
『電車の中でいきなり人が倒れた。手に持ってたスマホ覗いたけど、あれ多分ニコニコのアプリだ』
人が急に倒れたという投稿が下から上へとものすごい速さで流れていく。その多くに、毎日ニコニコ銀行のATMかアプリが関係している。
「美咲、これってなんてスレ?」
「ニコニコやばい」
「片桐さん!」
毎日ニコニコ銀行本社、次世代システム開発プロジェクトルームに毎日ニコニコ銀行のシステム運用担当者が飛び込んできた。
「とんでもないことが起きてます! ホストコンピューターのCPUが百パーセントに張り付いたままです!」
片桐は本来、次世代システム開発のプロマネなのだが、いま毎日ニコニコ銀行に常駐している会社のメンバーでは一番役職が高いので、実質的に会社を代表する窓口のようになっていた。
「すぐに調べます。真司! 手伝ってくれ」
片桐の呼びかけに真司が元気よく答えた。
「ラジャー! マイ・プロマネ!」




