【18】
「部長、しかし……。これは、業界をリードする画期的な……」
必死に弁明するプロマネをシステム部長が手で制した。
「誰がそんなもの欲しいと言ったのか? 君、『魔法のように繋がりたい』などと言ったのか?」
「さあ? 私の知る限り、そのような話をした覚えはありませんね」
担当の課長がノンビリした口調で答えた。それを聞いてうなずいたシステム部長は視線を真司へと向けた。
「栗山くんと言ったかな。君は、自分の会社から出された、この『ゴミ』について、どう思う?」
真司は、自分の上司と、さらにその上司(役員)を交互に見た。二人は、自分を完全に「空気が読めない駄目な人間」と見做している。ここで本心を言えば真司はもう会社にいられなくなるだろう。そう思ったとき、急に床に転がる薬瓶の映像が真司の脳裏にフラッシュバックした。「もう意味のないことに貴重な僕のリソースを浪費するのは嫌だ」と真司の中で叫び声が聞こえた。
「……私は」
真司は、掠れた声を絞り出した。
「私は、御社が本当に求めているのは、流行ではなく、一〇年止まらない安定性だと判断しました。プロマネの提案は……それを実現する上での、脆弱性を増やすだけのガラクタです」
会議室中が、静まり返った。プロマネと役員が噛みつかんばかりの顔で真司を睨んでいるのは感じたが、そちらへ顔を向ける勇気はなかった。
「……ほう、脆弱性とな」
システム部長の表情が心なしか和らいだように見える。
「では、君なら、どうする?」
真司は、自分の鞄からA4用紙の束を取り出して机の上に載せた。
「……こちらに、御社の要求定義に一〇〇パーセント合致した、堅牢で誠実な基本設計書があります。AIもメタバースもありませんが、一〇年止まらない、嘘のないシステムです」
「……見せてくれるかな」
静まり返った会議室では静かに言ったシステム部長の声もよく通った。真司が覚束ない足取りで会議室を横切り、システム部長に書類の束を差し出すと、部長は大切そうにそれを受け取った。
パラッ、パラッ、という紙の音だけが室内に響く。プロマネがようやく声を絞り出した。
「部、部長! 申し訳ありません、こいつは最近、精神的に不安定でして……。これはただの落書きです、今すぐ下げさせますから!」
「黙れ」
部長は手元から視線を動かすことなく、しかし断固たる調子で言った。
「私の仕事を邪魔するなら即刻出ていってもらうぞ」
プロマネはただフリーズすることしかできなかった。
部長の指が止まった。
「……栗山くん。この、三層構造の排他制御のロジック。なぜ、あえて枯れた技術であるこの方式を選んだ?」
真司の喉が、ひくりと動いた。
「……最新の非同期処理ライブラリを使えば、一見したパフォーマンスは上がります。ですが、銀行の基幹系において、一億分の一の整合性エラーは致命傷です。この『枯れた』方式を最新のハードウェアで最適化すれば、速度を維持したまま、理論上の不整合をゼロにできる。……それが、このシステムの『誠実さ』だと思ったからです」
険しい顔で書類を読んでいた部長が笑みを浮かべた。
「システムに誠実さを求めるエンジニアなんて絶滅したと思っていたが、生き残っていてくれたとは」
部長は書類を机に置き、プロマネの方を向いた。
「先ほどの君の『魔法のような体験』案では、この不整合への対策が一切書かれていなかった。ユーザーが『魔法』にかかっている間に、裏で預金残高が消えても構わないというわけだ」
「そ、それは……開発の段階で調整を……」
「調整? クソにどんなキレイな粉砂糖を振りかけてもクソはクソだ。おっと、下品なことを口走ってしまったよ」
役員が、必死にフォローを入れる。
「部長、栗山の案はあくまで私案であり、弊社の正式な……」
「そうか。なら当行で彼を雇入れ、当行内製でシステム化することにしよう。これだけのシステムなら他行に売り込むこともできるだろうしな。これが彼の私案なら文句はないだろう?」
部長は真司を真っ直ぐに見た。
「この設計の責任者は、栗山くん、君だ。どうかな?」
この期に及んでプロマネも役員も観念したようで、ただ放心した目で成り行きを見守っている。二人とも真司の「はい」という快諾と、会社の「倒産」という二文字を思い浮かべていたであろうことは想像に難くない。ところが真司の返答はその想像を覆すものだった。
「……いえ。部長、私は責任者にはなれません」
「何故かね?」
システム部長は面白がる顔で机に乗り出してきた。
「私は、システムの設計には自信があります。プログラミングスキルだって大抵の人間には負けません。ですが、設計が出来てプログラムが書けても、システムは完成しません。システム開発には管理すべきことが山のようにあります。進捗管理、変更管理、障害管理、予算管理、リスク管理、要員管理。それはプロマネという高度な専門職です。銀行にそのような方がいらっしゃるとは思えません」
真司が言葉を切ってシステム部長を見ると、部長がゆっくりうなずいた。
「もし私が責任者になんかなったら、そういうこと一切を自分ですることになります。ハッキリ言って、そんなことしたくないですし、設計に集中できなくなります」
机に乗り出していた部長が今度は反対に椅子の背もたれに深く寄りかかって笑い出した。
「いや、君の言う通りだ。正直というか、欲がないというか。しかし困ったな。これが彼の私案だというのなら、どうすべきか……」
部長がゆっくり会議室の中を見回した。それまで青ざめていたプロマネが、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。
「……部長! この設計書の実現はぜひ弊社にやらせてください。私にプロマネをさせてください!」
「君の持ってきたものじゃなくて、『この』システムでよいのだね?」
「私の提案が『ゴミ』であることは認めざるを得ません。でも今はそれを悔しく思いません。私はシステムの専門教育も受けていませんし、システム設計のセンスがあるとも言えません。ましてやプログラムなんて一行も書けません。それがコンプレックスでした。だからスゴイと言われるものを作りたかった」
言葉を切ったプロマネが真司に細めた目を向け、またシステム部長に視線を戻した。
「ですが今、こいつの言葉で分かったんです。設計してプログラム書くだけがシステム屋じゃない。私がいかに重要な仕事をしてきたか。私は今、彼がこのシステムを作り上げるのを全力でサポートしたくてたまらないんです」
プロマネは真司の方に向き直った。
「栗山、システム設計に関して俺はお前にまったく敵わない。だがプロマネとしてはお前は俺の足元にも及ばねえ。『汚れ仕事』は全部俺が引き受ける。お前は設計に専念しろ。それと、俺がプロマネをやるからといって、俺がお前の上司である必要もねえ。芸能人でも野球部でも、マネージャーはサポート役だ。俺をプロマネとして使ってくれ。頼む」
プロマネが真司に向かって頭を下げた。
「栗山くん、君がそれでいいのなら、私はそれで構わないが?」
姿勢を正したシステム部長が静かに言った。困惑顔の真司だったが、やがてきっぱりと言った。
「偉い人に頭を下げる役は嫌です。だからやっぱりプロマネが上司ってことでお願いします」
「ねえ、健太はあのシステム部長さんのどんな弱みを握ってるの?」
人のいなくなった会議室でモルが目をしばたかせた。彼らは会議の最初からそこにいたのだが、当然他の誰にも見えてはいなかった。
「弱みなんか握ってないよ。あの人、僕の高校の先輩で、ときどき飲みに行くんだ。多分あの人も『多数派』じゃないから。空気読まないとか言って嫌ってる人も多いけど、圧倒的な実績であの地位にいるんだ」
「それで、どんな弱みで言うこときかせたの?」
「そんなことしてないって。ただ、あのプロマネの持ってきた提案がクソだったら、真司の設計書を見てやって欲しいって頼んだだけだよ。あれを採用してくれなんて言ってない。あの結果は真司の実力だよ」
「ふうん……ところであのプロマネさん、急に人が変わったみたいだったね。本当は悪い人じゃなかったのね」
「お嬢、勘違いしちゃいけねえ。あいつは別に『善人』になったわけじゃない。ただ、本能に従っただけさ」
「また本能?」
モルが辟易しているのは彼女の顔から明らかだ。
「そうさ。連中の根源的な恐怖は『群れから追い出されること』だ。あの場面で意地を張れば契約は白紙、会社での居場所はなくなる。だからあいつは、生存のために『群れの勝ち馬』を栗山に切り替えたのさ。彼らにとっての誠実さなんてのは、状況次第でいくらでも書き換わるソフトウェアみたいなもんだ」
佐藤は馬車の扉を開けながら、さらに続けた。
「だがな、それが彼らの強さでもある。自分のプライドよりも群れの存続を優先し、勝てる方に付く。あのプロマネは、その『群れの本能』に忠実なだけだ。悪意があるわけじゃない。ただ、そういうふうに世界を解釈する装置として動いているだけなのさ」
モルがなにか言いかけたが、先に口を開いたのは健太だった。
「なんかそこまでひねくれた見方は嫌だな……あれはプロマネさんが真司くんの『意気』に感じたのだと思いたいよ」
「意気ねえ」
佐藤はポンポンと腕の中のカボチャを叩いた。
「さすがに人間が『群れの本能』だけで生きてるというのは極端ですよ。多数派だろうがそうでなかろうが、同じ人間なんだから。同じく熱くなるものがあると思いませんか? やっぱりいいものは誰にとってもいいものなんですよ。ただ、群れの本能って奴がバイアスになって見えなくなってることはあるかもしれないけど」
佐藤はカボチャの表面をつるりと撫でてから御者台に飛び乗った。
「さ、もう行くぞ。兄ちゃん、そんなことより今は考えなきゃいけないことがあるんじゃないのか?」
「考えなきゃいけないこと? なんですか?」
「兄ちゃん、営業に行ってきますって言って支店を出てきたんだよな? 手ブラで帰る言い訳を考えなくていいのか? って言ってんだよ」
「わあ! そうだ!」
頭を抱える健太を見るモルは笑いをこらえられない様子だ。
「ふふふ。ひひひ。健太も手ブラで帰って怒られる苦しみを味わうがいい。おおっほほほほ」
「お嬢だってまた刈り取りそこねたんだ。人のこと笑ってらんないぜ」
「ぎゃあああああ」
苦悩する二人を乗せて馬車は都会の空に飛び去った。




