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【14】

 あれきりモルたちは姿を現さず、佐藤が何を言いかけたのか健太が知る機会もないまま、主任の告げた期限を迎えた。仕事を休むことも考えたが、なにもせずに時を待つことに耐えられそうもなく、いつもと同じように融資先回りをして過ごした。もちろん話が弾むはずもなく機械的に挨拶して帰るだけだったが、少しは気が紛れて助かった。そんなだったから定時前には予定した訪問先を全て回り終え、そのまま逸る気持ちと裏腹な重い足取りで加藤デザイン事務所を訪ねた。重い鉛を飲み込んだような胃の腑の痛みに耐えながらドアを開けると所長の加藤が出迎えてくれた。

「やあ田所さん、いらっしゃい。美咲! 田所さんがいらしたよ!」

 予め美咲を訪ねていくことは伝えてあったから、加藤はすぐに奥の部屋へ声をかけた。パタパタとスリッパの音をさせて美咲が出てきた。

「こんにちは。どうぞ」

 美咲は穏やかな笑みで健太を中に招き入れた。

「先日はありがとうございました」

 応接セットのソファに腰掛けた健太に、まだ立ったままの美咲が頭を下げた。

「いえいえ。こちらこそ楽しかった。案内してくれてありがとう」

 言いながら健太は手振りで美咲に座るよう促した。美咲は一瞬迷ったようだったが、小さく頷いてから健太の隣に腰を下ろした。健太もそれが当然のような気がした。そこへ加藤も入ってきた。

「田所さん、今日は深煎りの豆しかないんで、僕が淹れてあげましょう。美咲も飲むだろ?」

 二人が並んで座っているのを見てニヤリとした加藤が言った。

「はい。いただきます」

 答えた美咲は少し顔を赤らめている。

「僕はじっくり淹れた深煎りが好きでね。時間がかかるからごゆっくり」

 浮かれた調子で言って加藤が隣の部屋へ行った。

「今日はどうしたのですか?」

 美咲がなんの屈託もない顔で訊いた。

「いや、特別な用事じゃないんだけど……動画の編集は順調にいってるかなと思って……」

「それでわざわざ?」

「美咲さんの顔も見たかったし……」

「嬉しいです。私も田所さんにお会いしたかったです。この間撮った絵の編集でご相談したいこともありますし」

「そんな、僕の意見なんて参考にならないよ」

「そんなことありません。田所さんに好きと言ってもらえるのが今の目標なんですから」

 言ってから急に気づいたのか、美咲は耳まで赤くなってうつむいた。

「あ、あの、田所さんの好みに合うような緩い動画を作るのが目標ってことで……」

 そんな美咲をかわいいと思えば思うほど、健太は苦しくなる。それでも動画の話で盛り上がれば美咲の生きる意欲が上がるかもと思い直した。

「分かった。なんでも訊いて」

 編集方針について話している所へ、加藤がコーヒーカップを三つ載せたトレイを持って入ってきた。

「やあ、お待たせ。いや、邪魔して悪いね、と言うべきかな」

「もう、叔父さんたら。動画の話をしてただけですよ」

「そうかい、そうかい」

 目を細めた加藤がコーヒーカップを口元に運びかけて動きが止まった。無くなってみて初めて気付く喧騒の消えた完全な静寂。健太は反射的に作業場との境の扉を見た。扉がゆっくりこちら側に向かって開く。扉の向こうには予想通りフリフリのゴスロリファッションに身を包んだ少女が立っていた。右手にタブレット、左手に大きな鎌を持つ死神。モルの上司である主任。ゆっくりこちらへ向かって歩いてきた。

挿絵(By みてみん)

「一週間、ですね。約束の刻限デッドラインです」

 主任の声は凍りついた空気を振動させることもなく、直接脳内に響く。

「待て! 彼女に死ぬ気なんてまったくないんだ」

 健太は思わず叫び、美咲を守るように主任の前に立ち塞がった。だが、主任は冷ややかな一瞥を健太にくれただけで、その視線は健太の背後、美咲へと注がれた。

「無駄ですよ、田所健太さん。彼女の『生きたい』という意志は、この一週間、一度として天秤を傾けることはなかった。……そして、彼女自身も、半ば悟っている」

「……え?」

 健太が驚いて振り返ると、美咲は動きを止めていなかった。主任の言葉にゆっくり頷き、健太に穏やかな微笑みを投げかけた。

「田所さん、私、最期にあなたに会えて良かった」

 美咲の声は落ち着いていた。

「美咲さん、知っていたのか?」

 美咲は静かに目を閉じ、深く息を吐いた。

「はっきりとは……でもなんとなく感じていました。生きる意欲が落ちてることに」

「そんな……まだまだ新しい動画を作るんじゃないのか?」

「みんなに認めて欲しいって焦ってたときは、もっともっとって。寝る間も惜しんで動画作ってました。苦しいばかりでした。だんだん頭が働かなくなって、どうでもいいやって……投げやりになりそうでした……ううん、投げやりになれればよかったんだろうけど、それもできなくて」

「でも今は違うだろう?」

「はい。田所さんのおかげです。もともと好きで始めた投稿なのに、強迫観念に囚われてました。でも田所さんが、もともとの私の動画のほうが好きと言ってくれたから」

「それなのに死を受け入れるの?」

「だからです。ありのまま受け入れてくれる人がいる。たった一人でもいい。その人が好きと言ってくれた。だからもう思い残すことはないんです。運命に逆らおうとは思いません」

「そんな……」

 健太は自分が美咲の生きる執念を消したも同然と知って、美咲の座るソファとテーブルを挟んだ向かいの椅子に倒れ込んだ。


「それでは、加藤美咲さん。魂の回収を開始します」

 主任は手にしたタブレットを手近のサイドテーブルに置き、代わりに巨大な鎌を両手で構えた。美咲がゆっくり立ち上がり、主任の前に進み出る。同時に鎌が振り上げられた。

「私、初めてだから……優しくしてください」

 美咲が首を差し出した。


「嫌だ……」

 健太の口から言葉がポロリとこぼれた。

「嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……」

 鎌を頭上に振り上げたまま主任の動きが止まった。

「嫌だ……嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」

 健太が『バシンッ!』と両手で激しくテーブルを叩いて立ち上がった。

「冗談じゃない! 思い残すことはないだって? 僕はどうなる! 僕をこんな気持ちにさせといて、いなくなるつもりなのか?」

 健太のあまりの剣幕に美咲はもちろん、主任まで身をこわばらせている。

「美咲がよくても僕がよくない! 僕は美咲に生きていて欲しいんだ!」

 怯えの混じった顔で健太を見つめていた美咲の目が大きく見開かれた。

「田所さん、それって……」

「美咲! 僕と一緒に生きてくれ! 僕には君が必要だ!」

 健太の叫び声と同時にサイドテーブルの上のタブレットが破裂した。

「メーターが振り切れた……?」

 困惑を隠せない主任の後ろから低い声が響いた。

「お前さんの負けだ、主任さん」

 いつの間にか佐藤が立っていた。隣には天秤を持ったモルもいた。天秤は『生きたい』に傾くだけでは足りず、事務所の床にめり込んでいる。

「いきなり百トンの分銅を落としたみたいな勢いだったよ」

 モルが嬉しそうに言った。主任がふっと溜息をついて鎌を下ろした。それから美咲になにか話しかけようとしたが、美咲が先に口を開いた。

「死神さん、ごめんなさい。やっぱり私、死ねません。田所さ……健太さんと一緒に生きたいです」

 主任はまだ煙のくすぶっているタブレットと美咲を見比べ、眉間に皺を寄せて考え込んだ。

「なにを考えることがある? もう勝負はついたんだ。敗軍の将はとっとと撤退しろ」

 言うなり佐藤が主任を背中から羽交い締めにして後ろへ引きずり始めた。向かう先にはコシュタ・バワーが待っている。

「兄ちゃん! 冥界に無理を通させたんだぞ。ちゃんと責任取れよ!」

 佐藤が、主任を馬車の客室に押し込みながら健太に向かって叫んだ。


「あの……美咲さん……」

 馬車が走り去るのを見送った健太は並んで立つ美咲に向き直った。

「美咲……のほうがいいです。健太さん」

「美咲、僕は余計なことをしたのかな?」

「はい。そう思います。せっかく未練がなくなってたのに、この世に大きな未練を作ってくれました。ちゃんと責任取ってくださいね?」

 いつも優しく微笑むばかりだった美咲の満面の笑みを見て、健太は思わず美咲を抱きしめてしまったが、美咲は逆らうことなく健太の胸に顔を埋めた。

「スペシャルティもいいけど、深煎りも捨てがたいよな……え?」

 止まっていた加藤が動き出し、抱き合う二人を見て目を丸くした。

「えっ、えええええええ!」


「佐藤さん、美咲さんは健太の願いに応えたってことなの?」

 主任を乗せたコシュタ・バワーの御者台でモルが佐藤に尋ねた。

「そういうことになるんだろうな」

「愛の力だね」

 モルの言葉に佐藤が複雑な顔をした。

「また群れの本能とか言うの?」

「野暮なのは分かってるけどな。群れの中で役に立ちたい、誰かに必要とされたいってのも本能だ。追い出されなくなるからな」

「そんなこと言ってるから女の子にモテないんだよ」

「なにを言うか! 俺だって生きてた時は……」

「モテたの?」

「知らん!」


 コシュタ・バワーの客室では、硬いシートに座る主任が膝の上に置いた何も映らないタブレットを見つめていた。

「まったくホモ・サピエンスにも困ったものだ。自分のために生きるより他人のために生きるほうが嬉しいというのだからな」

 主任がタブレットを窓から車外に放り投げた。それが放物線を描いて落ちていきながら砂が崩れるように粉々になって消えるのを見送った彼女は、深く背もたれに身を預けた。その表情に悔しさはなく、満足感に満ちているようだった。

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