【13】
健太は飛び出しそうになった叫び声をなんとか飲み込んだ。おそらくモルの姿は彼にしか見えていない。健太は、まったくどこでもよいのだが偶々そこに座っただけ、というように装ってモルの隣の席に座った。
「あっ、美咲さん。カウンターで良かったですか?」
健太はいかにもうっかりしてたという感じで訊いた。
「構いません。むしろカウンターのほうがいいです」
美咲は特に不審に思う様子もなく健太の隣、モルと反対側に座った。
「田所さん、この辺りでは珍しい富山風のラーメンなんですよ」
美咲がカウンターの上に置かれた写真入りのメニューを開いて健太の前に広げた。
「汁が真っ黒なんだな」
「ええ。この濃い醤油スープが特徴なんです。本場だと見た目通りしょっぱいみたいですけど、ここのはマイルドな味付けで食べやすいですよ」
「じゃ、この黒ラーメンのセットで」
健太が写真の一つを指さすと、美咲がカウンターの向こうの大将に手を挙げた。
「黒ラーメン二つ。一つはセットでお願いします」
「黒ラーメン二つ!」
他に従業員がいるわけでもないのだが、大将は大声で復唱してから麺を二つ、てぼに放り込んだ。美咲は楽しそうに大将の動きに見入っている。健太はちょうどいいタイミングだと思い、ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出した。
「美咲さん、ごめん。融資先からメッセージが入ってる」
「気になさらないでください」
健太はモルに画面が見えるようスマートフォンを構えてから、メモアプリを立ち上げた。
『お前、こんなところで何やってんだ?』
「ちょっと、死神をつかまえて『お前』呼ばわりですか?」
モルの反応は口頭だが、健太以外に聞こえている様子はない。
『ラーメン頬張る死神にリスペクトを要求されても……』
「うっ。死神はラーメン食べちゃいけないって言うんですか?」
『食うのは構わないけど、それを畏れ敬えと強制されてもなあ……』
「ええい、もういいです。そんなことにこだわってる場合じゃないんです」
健太は『こだわったのはモルなのに』と打ちそうになって思い留まり、話を先に進めようとしたが、大将の「お待ち!」という声と湯気を立てているどんぶりに遮られた。
「何かお仕事でトラブルですか?」
美咲が心配そうに健太の顔を覗きこんでいる。
「いえ、たいしたことはないです。ラーメン食べましょう」
健太はとりあえずモルを無視してラーメンに集中した。モルも健太の横で再び箸を動かし始めた。それからしばらくはただ麺をすする音だけが続いた。
「ふう。美味しかった。田所さん、気に入っていただけましたか?」
ほぼ同時に食べ終わった健太に美咲が訊いた。
「旨かったよ。美咲さんの言うとおり、見た目ほどしょっぱくなくて、むしろ魚介の味が強いんだね」
「お口に合って良かったです。この辺りで他にこの味はありませんから」
健太に微笑んだ美咲は続けてカウンター越しに大将へ声をかけた。
「おじさん、ごちそうさま。今日も美味しかったです」
「美咲ちゃん、いつもありがとうな。美咲ちゃんの幸せそうな顔見れば、『頑張ろう』って思えるよ」
美咲が小さなポーチの口を開こうとするのを見て、健太は急いで大将に言った。
「払いはまとめて僕が」
それを聞いた美咲が咄嗟に何か言いかけたが、すぐに思い直したように頭を下げた。
「ごちそうさまです」
店を出た二人はまた商店街をのんびり歩いた。あちらこちらから美咲に声がかかる。彼女はすっかり人気者のようだ。美咲はスマートフォンで撮影しながらその全ての人と話を弾ませる。最後には、この映像をアップしていいか確認することを忘れない。そして映された誰もが『店の宣伝よろしく』の一言で快諾してくれた。そうやって歩いているうちに、アーケードの突き当たりまでやってきた。
「田所さん、ここまで付き合ってくださりありがとうございます」
美咲が健太に頭を下げた。
「僕も楽しかったよ。投稿で見たまんまなんだね」
「何の演出もなくて。でも、その方が好きだって田所さんが言ってくれたから……」
美咲の頬にかすかに赤みがさしたように見える。
「さっ、帰りましょう。ここを戻るとまた皆につかまって遅くなっちゃうから、別の道にしますね」
美咲の言葉に従って二人は商店街の一本北側の通りで駅まで戻り、そこで別れた。それぞれの家が反対方面だったからだ。
「で、一体どうしたって言うんだ?」
健太は上り線ホームのベンチで次の快速を待ちながら、隣にちょこなんと座るローブ姿に話しかけた。ラーメン屋からずっとここまで、モルが付いてきているのは分かっていたが、美咲に気付かれずに話をできるタイミングがなかったのだ。
「のんびりしてる場合じゃないよ。アナタ、あの女に『生きたい』って強く思わせたいんでしょ。でもこれを見なさい」
モルがローブの下から取り出したのは、小さな天秤で、モルが支点をつまんで掲げると、しばらく左右に揺れてから、ちょうど釣り合って止まった。
「こっちに傾けば『死にたい』って思ってる。反対側なら『生きたい』って思ってるってことなの。見ての通り彼女、死にたいと思ってはいないけど、『生きたい』って強く思ってるわけでもない」
「それなら問題ないだろ? 自殺者リストに載る可能性はないんだから」
健太の言葉にモルは大きな溜息で応えた。
「いい? 間違いだったとはいえ、いったんリストに載ったんだから、そんな簡単に取り消せないの。むしろ間違いだったからこそ難しいとも言える」
「なんでだよ!」
「組織が間違いを認めないのは、現世も冥界も同じ」
「そんなバカな! くだらない面子にこだわって人の命を奪うというのか?」
「そんなの珍しいことじゃないでしょ」
モルの言葉に健太は反論できない。
「どうすればいいんだよ!」
「アタシにも分からない。今の彼女は健太という理解者を得て満足してる。だから積極的に死のうとかはまったく思ってない。でも『生きたい』って強く思うにはそれだけじゃ足りないんだと思う」
「何が足りないんだよ?」
「それをアタシに訊くの? アタシは死神ですよ。訊くなら『どうしたら死にたくなるか』にしてちょうだい」
胸を張るモルの背後から、別の聞き覚えのある低い声がした。
「それに答えられるお嬢だったら、主任に正座させられることもあるまい」
「佐藤さん! また余計なこと言う!」
「お嬢、怒るな、怒るな」
佐藤はモルの頭をポンポンと軽く叩きながら、もう一方の腕に抱えたカボチャ頭を健太の方に向けた。
「なあ兄ちゃん、お前さんは『生きたい!』って強く思ってるか? 単に『死にたいと思っていない』って以上にな」
佐藤に言われて健太は考えこんだ。改めて考えてみると、そこまで生きたいと強く思っていない気がする。健太の顔から佐藤はそのことを読み取ったようだ。
「そうだろう。俺や兄ちゃんみたいな遺伝子はそこまで生に執着しないみたいだな」
「だったら美咲さんも……」
「いや、あの娘は俺たちとは違う。きっと……」
佐藤の言葉をモルが遮った。
「いけない! もうこんな時間! 早く行かなきゃ刈り取りに間に合わない」
「おっといけねえ」
佐藤も慌てた様子で話を中断した。
「兄ちゃん、すまねえ。またな」
モルと佐藤が線路に向かって駆け出す。健太が二人の行く先を見ると、入線してきた電車のように例の馬車、コシュタ・バワーが滑り込んできた。それは、モルと佐藤が御者台に飛び乗るほんのひととき停車しただけですぐに発車し、線路に沿って加速しながら空へ飛び上がっていった。まるで機械の身体をタダでくれる星に少年を連れていくみたいだなと思った健太の前に、今度は快速電車が停車した。




