95話 下僕の策
俺は関中に入り、長安を目指した。後秦は潼関を失ったことで、関の東側の領地と分断されてしまい、長安で孤立している状況になった。しかも長安の周辺は夏の版図にあり、後秦のヨウセキトクは自由に動くことができなかった。
長安に籠る後秦軍は八万である。長安の東に位置する渭南には、出城のような格好で、四万の後秦軍が詰めていた。レイセキが先に長安に到着し、包囲していたが、渭南との連携に手を焼いていた。
レイセキの伝令が来た。渭南の攻撃は俺に任せるという内容である。俺が渭南を包囲したことにより、レイセキは長安包囲に専念することができた。
「しかし厄介な場所に出城があるな」
フリョウは地図を見て独り言のように呟いた。コハンも眉間にしわを寄せ考えこんでいる。フリョウが適当に言っているわけではなさそうであった。
「川が入り組んで包囲しづらい場所だわ」
兵数ではこちらの方が多いが、全軍で攻めることが出来ない地形であった。
「これは長引きそうだ。長安への援軍を止めるだけでよしとするか...」
「長期戦はダメよ。魏が立て直してくるわ」
ボクスウたちは引き下がったとはいえ、こちらが長安攻めに手間取っているとなると、大挙して仕掛けてくる可能性はある。しかもその矛先は潼関だけではなく、南下して荊州や建康を狙うこともありえるのだ。やはり長安攻めに時間はかけられない状況であった。
おりしも雨の季節に差し掛かった。渭南についてから連日の雨で、滞陣が長くなると、確実に兵の体力と士気を奪っていくに違いない。
「降伏の手紙はどうだ」
「だめだろう。新野で使って以来、完全に警戒しているようだ」
「ならば毒の符術は?」
「宛は外から水を引いていた街だからうまくいったのだ。あの渭南は兵しかいない出城だし、潜入するのは危険だ」
「ならば他に手は?」
「そう簡単にポンポンと策が出るわけないだろ。少しは自分で考えろ」
酷い軍師だ。俺は策を考えるのがお前の仕事だろうと、少しイラっとした。
渭南について五日が経った。連日の雨でうんざりしていた。長安も固く守っているようで、レイセキも攻めあぐねているようであった。
「カクレンに更に援軍を出してもらうのはどうだろう」
俺は気が進まなかったがそう言った。
「無理ね。既にアリを援軍と派遣している。さらにカクレンは北の魏軍と対峙しているわ」
夏の北側には草原が広がっている。そこを守る魏の将は、ジュンカンという女将軍なのだという。統万城というところを拠点に七万の軍で駐屯し、北側から夏に圧力をかけている。
ジュンカンの名前が出た時、エンの表情が曇った。ボクスウの時とは明らかに違う反応であり、俺はエンとジュンカンの間に女同士の何かがあるのかと思ったが、聞くことは出来なかった。
統万城の建築にまつわる話を聞き、俺はゾッとした。城壁がカクレンが望む硬さになかったら、建築に関わったものを城壁の中に生き埋めにしたという。それが何度も繰り返され、ようやくカクレンが満足した時には数千人の人夫が埋められたのだという。
カクレンは今もなお、統万城の奪還に執着している。そんなやつが俺を婿にしたいとは、恐ろしくて全身の震えが止まらなかった。
「自力で落とすしかないか...」
雨は止むことがなかった。
◆
「なあ姉御...」
「なんだチンアク。発言を許す」
軍議の最中、コハンの後ろに立っているチンアクが口を開いた。すっかりコハンの下僕で、許可がなければ発言も許されないのかと思った。
「ずっと雨が降っていて、川の水嵩が増していますぜ。それを利用するのはどうでしょうか?」
コハンはチンアクの言葉にハッとした。そして、ニヤリと笑いチンアクの頭をガッと掴んだ。
「お前にしては良い考えだ。褒めてつかわす」
チンアクは頭を掴まれ、髪を引っ張られていても何故か嬉しそうであった。俺もフリョウもドン引きであった。
水攻め。
川を決壊させ、渭南の砦に水を流し込む。チンアクの策に、俺はそんなことが可能なのかと思ったが、コハンもフリョウも乗る気であった。
「カイギョク。川を決壊させ、砦に水を向けろ。やれる?チンアクは筏をつくるのよ」
コハンの命令に二人は喜び勇んで準備に取りかかった。水軍の出の二人には陸の戦いは出番がないと思っていたのであろう。二人はコハンに良いところを見てもらおうと懸命に働いた。
雨は止まない。川の水嵩は増し、俺も軍を高台に避難させる程であった。陣の中には大量の筏が積み上がる。
「ユウ。決行するわよ。準備をしなさい」
俺は具足を最小限にとどめ棍棒を手に取った。ドウサイたちもチンアクに見習い水軍のように軽装であった。エンも軽装で胸にサラシを巻きヘソを出している。俺は目のやり場に困り、フリョウには刺激が強かったらしく鼻血を吹いている。
合図が送られる。川の上流で流れを堰き止めていたカイギョクがそれを受け、堰を切った。
大量の水が氾濫を起こしたように、大きな唸りを伴って砦に向かっていく。
俺は筏を押し出し飛び乗る。陸の上の水上戦が始まった。




