88話 新軍師の力量
俺はフリョウの姿に目を見張った。まるで別人であった。ケイシャンもシャカイも口を開けて驚いている。連れて帰ったフリョウを見て、あまりの汚さにアイが見かねて無理やり風呂に入れたのだ。
着物は新しく綺麗なものに取り換えられ、髪は結われ髭を剃られている。青白い顔は変わらないが、その姿は長身の書生のようであった。
「まったく、あの女は強引だな。いつか、あのデカ乳揉んでやる」
「......俺の嫁なので止めてくれ」
「なんだと!?お前さんもあんな気の強い女を嫁にして大変だな!」
フリョウはゲラゲラ笑い、手に持った羽扇でヒラヒラと自分の顔をあおいでいた。頭がおかしいだけでなく、セクハラ発言も連発する。俺は後でアイにこいつには近づくなと言っておこうと思った。
襄陽についた。
エンが出迎えた。リュウキも一緒にいた。
「リュウユウ将軍。ご苦労」
「リュウキ殿。お久しぶりです」
リュウキはリュウユウの兵站を受け持つことに内心、不満であり、怒りで煮えたぎっていた。だが、それを顔に出すほど愚かではない。
「兵站は任せてくれて問題ない」
リュウキはそれだけ言うと、準備をするといい、どこかへ行ってしまった。
「ユウ。久しぶりね。また大きくなったかしら」
エンの笑顔が眩しかった。シャカイがそわそわしている。俺はそういえば、シャカイが酔った勢いで告白し玉砕したことを思い出した。
(おい!誰だあの美女は!まるで天女ではないか)
フリョウが俺の袖を引いてきた。その青白い顔は興奮しているようで、少し赤かった。
「エンさんだ。俺の軍の副将だ」
「フ、フ、フリョウです!軍師やります!作戦は俺にお任せください!」
フリョウのあまりに緊張したあいさつに、みんな大爆笑であった。どうやらこいつは年上が好みらしい。エンには悪いが、とりあえずアイの乳は守られたと思い、ホッとした。
「ここから北上するわ。最初の目標は新野よ」
俺が率いてきた五万と、エンが率いている二万が合流し七万の軍となった。漢中からはレイセキの十万が長安に向けて進軍を開始している。俺の軍は新野、宛を落し、潼関を抜いて長安へ向かう。
新野は小城ではあるが、潼関を狙うにあたって拠点とするのにちょうどよい場所にあった。
軍議が開かれた。俺の他に、副将のエン、軍師としてフリョウとコハン、各隊の隊長であるドウサイ、シャカイ、ショカツ、カンシュク、シュクユウたちが居並ぶ。
コハンの後ろには何故かカイギョクとチンアクが立っていた。
「お前ら、どうして立っているのだ。座ればよいだろう」
俺は二人に声を掛けたが、頑として座ろうとせず、不思議に思った。コハンが「座りなさい。早く」と言った。
「は!姉御のご命令とあれば!」
「あ、姉御ってなに!?」
俺は驚いた。あれだけ傍若無人であったカイギョクとチンアクの二人がコハンの前では、大人しい飼い犬のようになっている。一体何があったのだと考えたが、コハンの事だ。とても口に言えないことをやったに違いないと思った。そしてなぜだか、シュクユウが恥ずかしそうにしていた。どうやら俺の考えは当たっているようであった。
「ゴホン!えー、今回の作戦だが俺の考えを聞いて欲しい」
フリョウが緊張しながら喋り出した。エンの方をチラチラ見ている。エンはそれに気づいているが、気にならないようだ。
「ふふふ。新しい軍師様のお手並み拝見ね」
コハンはフリョウの考えを聞こうと言った。
「新野は小城だ。最短で落として宛へ進もう」
俺でさえ、そんなことは分かっていると思った。皆も同じような表情で、フリョウの言葉を待っている。
「そこで、俺が手紙を書いて降伏を勧告する」
「新野は五千の兵とはいえ、ヨウセキトクの弟が守備していて士気は高いわ。そんな勧告に応じるとは思えないわ」
「まったく同感ね。それに宛付近には魏のボクスウの軍がいる。必ず援軍に駆け付けるはずだわ」
フリョウはエンとコハンの疑念を聞いて、ニヤっと笑った。
「まあ、俺にお任せください。明日には吉報をお届けしましょう」
「分かった。任せたぞ。問題はボクスウとやらの軍だな」
魏の猛将ボクスウ。率いる軍は三万の騎兵で、これまでにも多くの戦功を挙げてきた魏を代表する将軍の一人である。
「......あの男はまるで風のように駆けてきて、火のように敵を屠る。厄介な相手だわ」
「エンさんは、ボクスウを知っているのか」
「知っているわ。あの男の名前は中華全土に轟いているわ」
俺はボクスウの名を口にするエンの表情が少し曇っているのに気が付いた。エンの過去について詮索したことは無かったが、どうやら魏から来たことは知っている。過去に何かあったのかと思った。
「ボクスウが来る前に新野を落すことが鍵ね」
「降伏勧告に応じなければ速やかに攻撃に移る。期限は明日の昼までよ」
「そんなに時間は掛からない。まあ、俺に任せよ」
俺はフリョウが自信満々なのが不安で仕方なかった。何せ毒を茶と間違えて飲まされそうになったのだ。
「とりあえず散会だ。新野に向けて出陣する」
◆
新野に着くと、城は既に開門していた。まだ昼にもなっていなかった。フリョウがドヤ顔で城壁に立ち旗を掲げていた。
「一体どうやったのだ。簡単に降伏勧告に応じたのか」
「この手紙を読ませたのだ」
フリョウに差し出された手紙を読んだ。頭がクラクラして、意識が遠のくのを感じた。フリョウが俺の手から手紙を取ると、俺はハッとしたように気が付いた。
「符術の応用だ。この手紙を見た者は、書かれている内容の通り行動する」
「......つまりは洗脳か。五斗米道と同じようなものか」
「違う!あんな邪道と一緒にするなと言っただろ!」
「ご、ごめん。それにしてもたいしたものだ......」
手紙一つで、城が開いた。俺は少し恐ろしくなった。これを使えば戦わずして、次々と開城していくことになる。
「次の宛でも同じようにするのか」
「ああ、俺の符術の恐ろしさを目の当たりにするがよい」
俺は新野に兵站拠点を置いた。アイの後方支援隊も配置し、怪我人の療養をさせる場所にする。リュウキとの連絡役をフコウシに任せ、ショカツに兵站部隊の護衛として五千を与えた。
準備は万端だ。激動の長安攻防戦が幕を開けた。




