87話 新たな軍師
俺は五万の兵を率い建康を出た。ボクシは見送りに来ていなかった。忙しくてそれどころでは無いのであろう。アイが後方支援隊に復帰し従軍した。長女のコウを実家に預けてきたようだ。
「あまり無理するなよ......」
「ユウこそね」
アイは久しぶりの軍でも活発に動き、治癒士たちにテキパキと指示を出していた。治癒士としての力量も落ちていない。それどころか前よりも魔力が増した気がする。
「子供産んで、おっぱい大きくなったせいかな.....」
アイは俺のセクハラ発言を聞き逃していなかった。アイの剣が俺の頬を掠った。
「おい!危ないだろ!」
「あら、二度と口を利けないようにするつもりでしたが、外したようですわ」
こんな時はいつもボクシのツッコミがあった。俺は振り返ったが、誰もいない。どこか寂しかった。
◆
船で揚子江を遡上した。襄陽でエンと合流し北上する手筈だ。リュウキは今回は荊州に残り、俺の軍への兵站を受け持つことになっていた。
江陵に立ち寄る。俺はそこで補給を受けながら、一日の休息を取ることにした。
ボクシの書いた紹介状を持ち、シャカイとケイシャンを連れ、その人物の庵を訪問した。俺の仲間の中ではこの二人が人を見る目があると思っていた。ドウサイとかでは気に入らなかったら殴りかねない。
江陵の街の人に庵の場所を聞くと、誰もが気味悪がっていた。
「......」
俺もシャカイもケイシャンも絶句した。
想像していた庵とは全く違っていた。竹林の中にある建物は、辺りに湿気が立ち込め、どんより灰色に淀んでいた。
「.....ここに人が住んでいるのか。まるで幽霊屋敷だな」
扉を開け、中に呼びかけた。反応が無い。声を大きくし何度か呼びかけた。
「うるさい!研究の邪魔をするな!」
中からひょろ長い男が出て来た。日に当たってないのか肌は青白く、目はくぼんで大きな隈があった。何日も風呂に入っていないのか、着物は薄汚れていて臭かった。
(おい.....ユウ、こいつ大丈夫か)
ケイシャンが俺の耳元でささやくように言った。俺も場所を間違えて違う人の家に来たのかと思った。シャカイは露骨に鼻を摘まんでいる。
「......フ、フリョウさんですか」
「誰だ、お前」
「俺は東晋のリュウユウです。ボクシの紹介で来ました」
「ボクシ?懐かしい名前だな」
俺は恐る恐るボクシの紹介状を出した。どうやら目的の人物はこいつで間違いないようであった。
フリョウは紹介状を見ると眉間にしわを寄せ機嫌が悪そうであった。
「......あいつは俺を戦場に放り込もうとしているのか。まあいい。せっかく来たのだ。入れ」
フリョウに促され、家の中に入った。ゴキブリが一斉にガサガサと隠れるのが見えた。
(うわあ......汚ねえ家だな)
シャカイは外で待っていると入ってこなかった。椅子に座ると埃が舞った。
「久しぶりの客人だ。もてなすことも出来んが、これでも飲め」
茶なのか。その液体は不気味なほど紫っぽい色をしていた。
「これは飲んで大丈夫なやつですか.....」
「は!?お前、失礼なやつだな」
フリョウが湯呑をグイっと飲み干した。その瞬間、ぶーっと噴き出した。
「おえええええ!間違った。これは毒だったわ」
俺もケイシャンも顔面蒼白だった。平気で毒を人に飲ませようとする。マジでこいつ大丈夫なのかとボクシを疑った。
「ふう.....危うく死ぬところだったぞ。ところでお前さんは将軍で、俺を軍師にしたいというのか」
「いや、どうやら人違いだったようです......」
「ふん。どいつも俺の見た目で判断する。ボクシもこんなデカイだけのやつを寄越しやがって」
俺もケイシャンも何も言わなかった。どこかで適当に切り上げて帰りたかった。
「まあ、ボクシの顔に免じて話は聞いてやるぞ」
俺もケイシャンも帰りたいオーラを出しているはずであったが、このフリョウという男は全く意に介さないようであった。
「お前たち、符術を知っているか」
「符?五斗米道が使っているやつですか。人を洗脳するやつです」
「馬鹿な!あんな邪道と一緒にするな!」
「.....す、すいません」
「いいか!符術というのは金系統の魔法の最高位にあるものだ!金系統は分かるな!?」
「.....はい。武器に属性を付与したりするものです。その使い手は希少であると」
俺の代わりにケイシャンが答えた。連れて来てよかったと思った。俺ではよく分からないと言うところであった。
「その通りだ。俺はその希少な金魔法の使い手で、その研究に人生を捧げているのだ。特に毒を魔法に採り入れることに成功したのは俺しかいない。だから研究で忙しいのだ。ボクシの紹介でもお前たちの軍師にはなれん」
「ボクシの紹介状には何と書いてあったのですか」
「.......世に出て研究の成果を見せろと書いてある」
「では、そうするのが良いのでは」
「うむ。俺もいつかは世に出て研究の成果を試そうと思っている」
「ならば、俺の軍師になってくれますか」
俺は帰るつもりだったが、そう言ってしまった。ボクシが紹介したのだ。人格には難があるが、役に立つはずだと思った。
「俺の才能があれば軍師も務まるであろう。だが、おいそれとどこの誰だか分からんやつに付いていくことは出来ん。そうだな。少し試させてもらおうか」
そう言うとフリョウは俺たちの前に札を置いた。
「これに触ってみろ」
ケイシャンが何か言いかけたが、フリョウに「いいから触れ」と言われ、ビクビクしながら札に触れた。するとボワッと札に光が灯って消失した。
「ふむ。悪く無いな。次はデカイ方の番だ」
俺は意味が分からなかったが、ケイシャンと同じように札に触れた。札が一気に大きな光の玉に膨れ上がり、天井を突き破り空の彼方へ消えて行った。
「.......」
何事かとシャカイも剣を抜いて飛び込んで来た。フリョウも俺たちも呆然と穴のあいた天井を見上げている。
「......お前さんのその魔力の量はなんだ......こんなのは見たことないぞ」
どうやら札は俺たちの魔力を計る道具であったようだ。
「面白い。お前さんに付いて行ってやる。楽しませてくれよ」
こうして、俺はマッドサイエンティスト軍師のフリョウを得た。もう不安しかなかったが、ボクシを信じるしかなかった。




