83話 十面埋伏の計②
シバキュウシは追い続けた。騎馬隊二千と歩兵五千。まだ戦える。前方にリュウユウの旗が見える。もう少しだ。
狭い道に差し掛かった。両側に木が迫り、騎馬が二騎並ぶのがやっとだ。
縄が張ってあった。
先頭の馬が足を取られ、悲鳴と共に倒れた。後続の騎馬も次々と引っかかり、馬ごと地面に叩きつけられた。投げ出された騎兵たちが地面を転がる。
「くっ!また罠か!」
藪の中からテイゴが現れた。大槌を担いでいる。無言で投げ出された騎兵に近づき、大槌を振り下ろした。兜ごと頭が潰れる。鈍い音が響いた。次の男。また振り下ろす。テイゴは一言も発さず、淡々と槌を振り続けた。テイゴの歩兵五百も同じように黙々と叩いていった。
「突っ切れ!止まるな!」
シバキュウシは縄を剣で斬り、馬を走らせた。後続の騎馬もそれに続く。テイゴは追わなかった。倒れた者だけを確実に仕留めていった。
◆
渓谷に入った。両側が切り立った崖だ。道は一本しかない。嫌な予感がした。だが、引き返すわけにはいかなかった。
「シバキュウシ様!上に敵がいます!」
崖の上にコウビの姿が見えた。大柄な男が、岩の上に仁王立ちしている。
「よう!お前ら!上から降ってくるぞ!気を付けろ!」
コウビは高笑いしながら、部下たちに合図した。
岩が落ちてきた。
大小の岩が崖の上から次々と転がり落ちてくる。渓谷の入り口が岩で塞がれた。
「しまった......!」
シバキュウシは蒼白になった。退路を断たれた。上からは次々と岩が降ってくる。兵たちは崖にへばりつき、岩を避けようとするが、狭い渓谷では逃げ場がなかった。
「ははは!どうだ!岩の雨は気持ちいいか!」
コウビの笑い声が渓谷にこだました。シバキュウシは歯軋りした。だが、どうすることも出来ない。押し潰される兵が増えていく。
落石がようやく止んだ。シバキュウシは崩れた岩を乗り越え、必死に前に進んだ。騎馬はもう使い物にならない。徒歩で岩を越えていく。従う者は三千にまで減っていた。
◆
渓谷を抜けた。草原が広がっている。シバキュウシは少しだけ安堵した。開けた場所なら伏兵も隠れようがない。
だが、踏みしめる草の感触がおかしかった。
「乾いている......まさか!」
「やれ」
ボクシは短く命じた。火矢が放たれた。一本、二本。草原が一瞬で炎に包まれた。
阿鼻叫喚であった。服に火が燃え移り、兵たちがのたうち回る。髪が燃え、肌が焼ける匂いが充満した。火だるまになった男が走り回り、他の兵にぶつかって火を移していく。悲鳴が重なり合い、もはや個々の声を聞き分けることは出来なかった。
「水だ!川だ!あっちから水の音がする!」
誰かが叫んだ。川のせせらぎが聞こえる。兵たちは我先にとその方向に走った。シバキュウシも燃える軍服を脱ぎ捨て、走った。もはや体面も王族の誇りもなかった。生き延びることだけが頭にあった。
川が見えた。なんの躊躇いもなく飛び込んだ。冷たい水が焼けた肌を包む。生きている。そう思った瞬間。
水中で何かが足を掴んだ。
「ぐあっ!」
セキカの暗殺隊が水中に潜んでいた。川底に沈み、葦の茎で呼吸しながら待ち伏せていたのだ。水中から短刀が突き上げられ、飛び込んだ兵の腹を裂いていく。川の水がみるみる赤く染まった。
シバキュウシは必死にもがき、刃を避けた。水面に顔を出すと、川の中は地獄であった。赤い水の中で兵たちが沈んでいく。
なんとか対岸に辿り着いた。ずぶ濡れで、体中に切り傷がある。息が上がり、もう立つ力も残っていなかった。
だが、対岸にセキカが立っていた。濡れた髪を掻き上げ、短刀を指先でくるりと回している。
「うっふーん。わたしを捕まえてごらんなさい」
セキカは薄い衣服が水で体に張り付いていた。肌が透けている。投げキスをしてシバキュウシを挑発した。
「ぐぬぬぬ!この俺をどこまでコケにするのだ!」
シバキュウシは最後の怒りを振り絞り、セキカを追いかけた。もはや軍を指揮しているのではない。ただ目の前の女を捕まえたいという一心で走った。
「はあ、はあ......くそっ......待て!」
ずぶ濡れの下着が重い。足がもつれる。従う者は数百にまで減っていた。振り返ると、残った兵たちも疲弊しきっており、武器を持つ手が震えていた。
◆
ガサガサッ!
頭上から人影が降ってきた。ギエイだ。木の上に潜み、通りかかるシバキュウシに飛びかかった。シバキュウシは反射的に剣を振ったが、ギエイは身を捩って避け、シバキュウシの腕に短刀を突き立てた。
「がっ!」
剣が手から落ちた。ギエイはすぐに離れ、森の中に消えた。シバキュウシは血が流れる腕を押さえ、よろめきながら前に進んだ。もう考える力が残っていない。ただ前に進むしかなかった。
木々が開けた。
目の前に、大きな男が立っていた。棍棒を肩に乗せ、腕を組んでいる。
「ご苦労さん」
シバキュウシはへたり込んだ。従う者はもう誰もいなかった。いつの間にか、残っていた兵たちも散り散りになっていた。
リュウユウが数百の兵で囲んでいる。
「縛り上げよ」
俺は兵たちに命じた。シバキュウシは抵抗しなかった。疲れ果て、そんな気力は無いようであった。弱弱しく俺を睨むだけであった。
「......ボクシ。ここまでやる必要あったのか」
「こういう自尊心の高い奴はとことん追い詰めて心を折るのだ。テイイクの十面埋伏の計だ。ソウソウの軍師が考えた伏兵の極致だ」
「テイイクってすげえ奴なんだな」
「......お前に言われると、テイイクも苦笑するだろうよ」
俺が何も知らず聞いているのが、ボクシには可笑しかったらしい。声を出して笑っていた。




