8話 百人将の仕事
夜、リュウロウシに呼ばれた。
二人だった。
「座れ」
座った。
「お前は百人将だ」
「はい」
「百人将が何をするか分かっているか」
「百人を率いて戦う、ということですか」
リュウロウシが首を振った。
「違う。百人が戦えるようにすることだ。飯を食わせ、眠らせ、士気を保たせる。それが百人将の仕事だ」
俺は黙っていた。
「お前は試練でうまくやった。だが今夜、お前の部下たちはどんな顔をしていた」
思い返した。飯の時、みな静かだった。ソンオンの報せを聞いてから、誰も笑っていなかった。
「……暗かったです」
「そうだ。三日後に出陣する。怖くない兵などいない。その怖さを和らげるのもお前の仕事だ。分かったか」
「分かりました。ですが、俺に何ができるか……」
リュウロウシが立ち上がった。
「それを考えるのがお前の仕事だ。以上」
部屋を出た。
兵舎に戻ると、百人が思い思いに座っていた。話している者もいるが、声が小さかった。
ボクシが近づいてきた。
「何を言われた」
「部下たちと仲良くやれと」
「どうする」
考えた。俺に何ができるか。字は読めない。兵法も知らない。武術はあるが、それで士気が上がるわけでもない。
できることといえば一つだった。
「チョボをやろう」
「は?」
「賭博だ。みんなでやれば盛り上がるだろ」
ボクシが額に手を当てた。
「百人将が部下と賭博をするのか」
「リュウロウシには内緒だ」
「当然だ」
ボクシは呆れていたが止めなかった。
俺は兵舎の真ん中に立った。
「おい、チョボをやるぞ。賭けるものがある奴は集まれ」
最初は誰も動かなかった。
ドウキが立ち上がった。
「やります」
一人が立ち上がると、また一人が立ち上がった。気づけば大半が輪になっていた。
盤を囲んだ。木の棒が五本。表が黒、裏が白。
伍長たちが順番に棒を振った。
最初に目を引いたのはドウサイだった。
体つきが違った。同じ新兵とは思えない。肩幅が広く、首が太い。棒を持つ手が大きかった。
振った瞬間、全員が黙った。
「盧だ」
最強の目だった。
「おい……」
「初めてか?」
「初めてだ」
どよめきが起きた。ドウサイは表情を変えなかった。ただ静かに駒を進めた。その落ち着きがまた目を引いた。
次に目立ったのはシャカイだった。
他の伍長とは明らかに雰囲気が違った。身なりが整っていて、所作が洗練されていた。こんな場にいるのが不思議なくらい、育ちの良さが滲み出ていた。
「あいつ、何者ですか」
ドウキが俺の耳元で囁いた。
「知らない」
「なんでこんなところにいるんだ」
シャカイは棒を振った。雉だった。
「惜しい」
シャカイが薄く笑った。
「次だ」
その一言が妙に決まっていた。
賭けるものは銭ではなかった。飯のおかずの権利だったり、雑用の免除だったり、他愛もないものばかりだ。それでも夢中になった。
俺の番になった。
棒を手に取る。ざらりとした感触。精神を研ぎ澄ます。
(ここだ)
「盧だ!」
また最強の目だった。
「隊長ずるい!」
「いきなり二回目かよ!」
笑い声が上がった。
その笑い声に引き寄せられて、残りの者も近づいてきた。気づけば百人が輪を囲んでいた。
賭けは白熱した。ドウサイが連勝した。ドウキが雑用免除を全部吐き出して根こそぎ持っていかれた。シャカイが冷静におかずの権利を稼いだ。ボクシが珍しく顔を赤くして棒を振った。
夜が更けるにつれて、声が大きくなった。
ボクシが俺の隣で小声で言った。
「お前、勝てるのに手を抜いているな」
「気のせいだ」
「嘘をつくな」
俺は答えなかった。
場が盛り上がっている方が大事だった。
アイが入り口から覗いていた。呆れた顔をしていたが、口の端が上がっていた。
深夜になって解散した。
兵たちが笑いながら寝床に戻っていく。さっきまでの暗さが消えていた。
ドウサイが俺の前に来た。
「一つ聞いていいか」
「なんだ」
「この隊にいれば手柄を立てられるか」
俺はドウサイを見た。体は大きいが目が真剣だった。武功を求めている目だった。
「立てられる」
「根拠は」
「俺がそう言っているから、それが根拠だ」
ドウサイはしばらく俺を見ていた。それから小さく頷いた。
「分かった」
それだけだった。踵を返して寝床に戻っていった。
ドウキが俺の横に来た。
「隊長」
「なんだ」
「死なないよな」
俺を見る目が、珍しく真剣だった。いつもの生意気さが消えていた。
「死なない」
「俺たちも?」
「死なせない」
ドウキは少し黙ってから、ふんと鼻を鳴らした。
「根拠ないくせに」
「ない」
「……まあいいよ」
ドウキが寝床に戻っていった。
翌朝、出陣した。
北府の軍が動いた。
城門を出た瞬間、息を呑んだ。
見渡す限り、旗だった。数万の兵が隊列を組んで進んでいる。鎧の擦れる音、馬の蹄の音、無数の足音が重なって地面が揺れていた。
俺の百人将はその中の一つに過ぎなかった。
ボクシが隣で言った。
「これが北府だ」
「でかいな」
「当然だ。東晋最強の軍だ」
先頭にリュウロウシがいた。馬上から全軍を見渡している。試験官の顔ではなかった。将軍の顔だった。
二日進んだところで、リュウロウシから命令が来た。
「リュウユウの百人隊、偵察に出ろ。ソンオン軍の動きを確認し、報告せよ」
百人を連れて、本隊から離れた。
山の稜線に沿って進む。ボクシが地図を読んだ。シャカイが地形を確認した。ドウサイが先頭で警戒した。
半日ほど進んだところで、ドウサイが手を上げた。
全員が止まった。
稜線の向こうから、音が聞こえてきた。
人の声だった。だが普通の声ではなかった。何かを唱えているような、低く単調な声が、波のように続いていた。
稜線を這うように進んで、下を覗いた。
ソンオン軍だった。
数万——いや、まだ増えているかもしれない。だだっ広い平地に、無数の人間が集まっていた。
だが人数ではなかった。
雰囲気が、おかしかった。
全員が同じ方向を向いていた。誰も話していなかった。あの単調な唱え声だけが続いていた。そして全員の額に、小さな札が貼られていた。
紙の札だ。何か文字が書かれている。光がうっすらと滲んでいた。魔道具だ。
「なんだあれは」
ドウキが低い声で言った。
「五斗米道だ」
ボクシが答えた。
「死ねば仙人になれると信じている。だから死を恐れない」
「……あの札が?」
「魔道具だろう。痛みを感じなくさせているか、恐怖を消しているか。どちらにしても普通ではない」
俺はソンオン軍を見ていた。
数万の人間が、同じ方向を向いて、同じ声を出して、同じ目をしていた。
目が血走っていた。全員の目が。
戻るぞと言いかけた。
その時だった。
後ろで小さな音がした。石を踏む音だ。それだけだった。たったそれだけだった。
だが一人の兵が、足元の崩れかけた石に気づくのが遅れた。バランスを崩して、思わず声を上げた。
短い、小さな声だった。
だが静寂の中では十分すぎた。
平地の唱え声が、止まった。
全員が、同時に止まった。
そして——
血走った無数の目が、一斉にこちらを向いた。




