76話 傍観者たち
オウヒツは連日、書簡をかきまくった。筆に力がこもっている。何度も汗を拭いながらかき続けていた。五百通の書簡をかき終えた時、バタンと倒れ大いびきをかいていた。
『カンゲンは東晋から受けた恩も忘れ、皇帝を監禁し王位を簒奪した逆賊である。忠臣は追放され、民は虐げられ、税も重い。いまや国中に怨嗟の声が溢れている。カンゲンを討つ時が来た。皇帝アンテイは再び立ち上がった。その元には東晋の忠臣たちが続々と集まっている。カンゲンの父、カンオンはかつて洛陽を手に入れ皇帝になろうとした逆賊である。カンゲンにはその血が流れている。カン一族だけの栄華に何の未来があろうか!今こそ立ち上がれ!建康を奪還し、東晋を再興するのだ!』
扇動的な檄文であった。カンゲンと言う文字に怨念が込められているように感じた。それが各地の太守、将軍、地方の有力者に届けられた。
俺は皇帝アンテイから剣を受け取った。カンゲンを討てという印だ。もちろんアンテイから直接手渡されたのではなく、ジョセンシが代わりに渡したものであった。アンテイは相変わらず、何も分からず口を半開きにして遠い所を見ている。
「必ずやカンゲンを討ちます」
俺はそう宣言すると建康に向けて出陣した。
従うのは二千の軍である。シュクユウが率いる南蛮兵を中心に、ドウサイとショカツ、シャカイ、モウチョウたちが俺の脇を固める。軍師はボクシで、アイも従軍した。会稽にはエンとコハンが一千で残った。会稽には皇帝がいる。絶対に落とされるわけにはいかないのだ。
俺は誰を会稽の守将にするか悩んだ。トウリョウもかつて東晋の将軍であるが、その手腕を知らない。そうするとオウヒツがエンを指名してきた。会稽太守を切り倒した腕は確かであるという。だが、それ以上に軍才があるという。俺はエンの素性を知らなかったが、オウヒツが言うならと、それに従った。
「あなた、まさかとは思うけど......」
コハンはエンと初めて会った時の疑念を口にした。銀髪の美女、水流剣の使い手。そのような者は中華広しと言えど、そうそういるものではない。
「そのまさかでしょうね」
エンはコハンの考えを否定しなかった。否定したところで仕方ないのだ。
「......あまり目立たないことね。今、魏に睨まれるのは避けたいわ」
エンは頷いた。コハンはエンに対してこれ以上は言わなかったが、それでも胸の中に不穏なものを感じていた。
◆
カンゲンはシュカを総大将にして撃って出て来た。その数、八千である。
「リュウユウか......まさかアンテイを立てて歯向かってくるとはな。オウヒツの奴も病などと称して、とんだタヌキ親父だ」
カンゲンは焦っていなかった。オウヒツが必死に檄文を送っていたが、それを見て集まってくるのは、雑魚どもに過ぎないだろうと読んでいた。各地の太守や、有力者たちは、がっちりと金と地位で繋ぎ留めているのだ。今更、アンテイやオウヒツについても何も良い事はない。
「シュカ。二千の軍など葬ってしまえ」
「かしこまりました。我が軍略のほど見せてご覧にいれましょうぞ」
「荊州にいる軍など呼び戻すまでも無い。それに慌てて呼び戻すと夏に背後を取られてしまう」
◆
建康まであと一日という場所で、両軍は対峙した。そしてそれを見守るように遠巻きにポツポツと軍が点在していた。いくつもの数百の規模の軍が、ひっそりとこちらを見ている。
「ボクシ......あいつらはオウヒツの檄文に応じたのではないか」
俺は遠くにいて、一向にこちらに挨拶すら寄越さないので少々苛立っていた。
「ユウ。あいつらは当てにするな。どちらが勝つか様子を見ているのだ」
「なんだそれは。勝った方に味方するというのかよ」
「そうだ。今集まってきている者たちは下っ端だ。本当に有力な者たちはカンゲンに押さえられている。下っ端どもは勝ち馬に乗って成り上がりたいのだ」
「......ハイエナみたいだな」
「それだけに鮮やかに勝つ必要があるのだ」
俺は頷いた。だが、シュカは兵力が勝っているのにも関わらず防備を堅くし動かなかった。つけ入る隙が無い。
「ふふん。リュウユウのやつは苛立っていることだろうな。決してこちらから手を出すな。リュウユウの武勇を侮るなよ」
「それでは、こちらが弱腰だと思われるのでは......」
「しばらく待て。今は攻撃の時ではない」
シュカは腕を組み、目の前の東晋軍では無く、もっと先の方を見て不敵に笑った。




