69話 月の女神
今度は十人であった。深夜に宿にいるところを襲撃された。事前に気配を察し窓から飛び降りた。辺りは暗く、家の中の燭台の光が仄かに漏れ出ている程度だ。
走った。殺気が迫ってくる。京口の街を出た。月明りの中、ひたすら森に向かって走った。剣を抜く。十人を同時に相手にすることは出来ない。森の中に誘い込んで一人ずつ片付けるしかない。
森に飛び込む。先頭の一人が何かを投げた。
「ぐっ!」
小さな短刀のようなものが肩に刺さった。ハクエンは振り向きざまに水流剣を薙ぐ。一筋の水が鞭のように伸び、先頭の男の首を跳ねる。木々を潜り抜け駆ける。追いつかれる。そう思ったとき、頭上から人影が降りて来た。
どうやら先回りして木の上に潜んでいたようだ。水流剣を咄嗟に振り上げ、人影を斬った。手ごたえはある。背中にドサッという音を聞きながら駆けた。
渓流に出た。川のせせらぎが聞こえる。躊躇わず飛び込んだ。その瞬間、矢が体を貫いた。
(ここで死ぬのか......)
意識が遠のいていく。死んだらケイに会うのかもしれない。あの男は私の気持ちを理解してくれただろうか。流される感覚も徐々に弱まっていった。
◆
「気づいたか......」
ハクエンは目を覚めた。ひんやりした空気を感じた。がらんとした部屋で、薄明かりが差している。左胸の下あたりに痛みが走った。矢がもう少し上に刺さっていたら死んでいたであろう。ついていたと言うべきなのか。
傷口には包帯が巻かれ、治癒魔法を施された形跡があった。傷のあたりが仄かに温かい。
「ここはどこだ......」
「お前に聞く権利はない。こちらの問いに答えてもらう」
京口で見た手練れの女であった。密偵の男と、大柄の男が立っている。剣を探った。当然なかった。
「私たちを斬るつもりか。その傷では無理だ」
「......」
「お前は誰だ。何の為に京口にいた。なぜ追われている」
「......質問が多いわ」
「ギエイ、フコウシ外せ。この女は口が堅そうだ。あれをやる。お前たちには見せられない」
ギエイとフコウシと呼ばれた男たちは部屋を出て行った。ハクエンは女と二人きりになった。
「......!?」
女はいきなりハクエンの右手の人差し指を押さえ、爪を剥いだ。激痛で顔が歪む。必死に耐えた。
もう一枚。今度は中指だ。
「ほう。この痛みに耐えるのか。見上げたものだ」
「私を傷つけてなんの意味がある......」
「それを探る為にやっている」
女は指に何やら小瓶に入っている液体をかけた。剥がされた爪がみるみる修復されていく。
「魔道具だ。便利なものだろ。この薬がなくなるまで、お前は爪を剥がされ続けるのだ」
そういって再び爪を剥いだ。ハクエンは堪らずうめき声をあげた。
「ふふふ。さすがの将軍でも痛いか」
「......」
「ばれていないとでも思ったのか。わたしはお前の事を知っている。お前は、かつてわたしの仲間たちを虐殺した国の将軍だ」
「太平道の信者か......」
「そうだ。お前たちは五十万人もの人間をまるで蟻を踏みつぶすように殺した。ハクエンよ。お前はなぶり殺してやる」
「......そうか。なら気の済むまでやればいい。わたしはどうせ罪人だ。殺されても文句は言わない。だが、お前はそのような事をする人間では無いような気がする」
女はハクエンの頬を殴りつけた。
「黙れ。お前に何がわかる。わたしはビャクレン様直属の暗殺者だったのだぞ。これくらいどうということはない」
ハクエンは殴られ続けた。何も言わなかった。抵抗しなかった。
「......叫べよ。助けを求めろよ。なぜ、何も言わないのだ。なぜ、抵抗しないのだ」
「無意味だ。お前はこれを本心からやっているとは思わない......」
「つまらん女だ。このまま助けずに見殺しにすればよかったか......お前は追われている。魏王を殺したからだ。なぜ、ここに来た。逃げる先はもっとあったはずだ」
ハクエンは女の顔を見た。殴られ瞼が腫れ視界が狭い。ハクエンは目を閉じて言った。
「分からない。何かに導かれたような気がする......」
「導かれただと?おかしな事を言うやつだ」
女はそう言うと残りの魔道具の液体を顔にかけた。腫れがみるみる引いていく。女は部屋を出た。一人残され静寂がハクエンの身を包んだ。
やがて別の女が入ってきた。先ほどの女とは別の種類の人間だ。
「わたしの名はアイ。包帯を替えにきたわ」
アイと名乗った女は治癒士であった。体を貫いた矢傷は重症であったはずだが、もう傷口が塞がっていた。手を当てられる。温かい。痛みが和らいでいった。
「少しずつ食べて。あなたはとても衰弱しているわ」
粥が置かれた。薄っすら塩が振ってある。
ハクエンは言われた通り少しずつ食べた。腹に染みわたってくる。不意に涙が流れた。
「あなたはとても辛い思いをしたようね。わたしの前では泣いていいわ」
助かった。助けられた。そしてここに来た意味を考えた。導きというしかなかった。
◆
翌日、ハクエンの前に首が並べられた。
「お前を追っていたやつらだ。ここの場所を探られても困るので始末した」
女は首を持って出て行った。入れ替わりに、とても大きな男が入ってきた。
「俺はユウだ。あなたの名前は?」
「あの女から聞いていないの......」
「ああ。セキカは何も言っていない。ただ、あなたに会えとだけ言われた」
「......わたしの名はエンよ......」
「エンさんか。よろしく頼むよ」
ユウはそれだけ言うと出て行った。ハクエンは不思議な気持ちになった。ケイとは全く似ていない。ただ何か共通の気配を感じる。これに導かれたのだと思った。
◆
「おい。ボクシ......あんな別嬪さんを受け入れて、アイ怒らないかな。美人すぎてまともに口きけなかったぞ」
「お前、何を照れてんだ。馬鹿だろ」
俺は心臓が高鳴った。アイと初めて会った時も感じなかったことに戸惑った。エンの美しさに心が打たれた。それはまるで月のような美しさだ。
「お前......まさか。やめておけ。お前より年増だぞ、絶対」
「そ...そうだな。俺にはアイがいるしな」
俺は棍棒を持ち上げ素振りした。ボクシはそんな俺が可笑しかったらしい。ずっと笑っていた。




