66話 簒奪と隠遁
カンゲンが王になり国号を楚とした。俺は建康に戻る途中、ギエイに会い話を聞いた。ギエイたち諜報隊は各地にいるかつての仲間たちの連絡役をしている。
「このまま建康に戻ると殺されます。素通りして京口に行くべきです」
ギエイの話によるとカンゲンは建康で待ち構えているという。俺を賊徒と結託して扇動している反逆者だと、架空の罪をでっちあげ捕縛しようとしているらしい。
東晋内の反乱は俺が海賊を討伐したことで、あらかた片付いているようだ。シュクユウが五斗米道の残党を討った。ジンキも山賊を討伐した。俺たちはカンゲンのいいように使われている。
もはやカンゲンに敵対する者はいない。リュウロウシは牙を抜かれ名誉職に追いやられている。オウヒツは文官で武力を持たない。カンゲンと戦う術が無い。皇帝アンテイは監禁された。おそらく何が起きているか理解できていないであろう。
カンゲンの国。聞いただけで俺は反吐が出た。この道中にも貧しい民が道端で喘いでいる。一時的に反乱は収まっているかもしれないが、またすぐに起こるに違いない。
「ボクシ、このままカンゲンを討つか......」
「やめておけ。無駄死にするぞ。カンゲンは必ず失敗する。時を待つんだ」
建康を素通りし、京口の北府に戻った。そこはもはや手入れする使用人すら居なくなっている。雑草が生え、かつての栄光はもう無い。政務室に入ると机も椅子も何もなかった。ガランとした空間だけがあり、薄日が差し込んでいる。
シャアンとの約束がある。俺はその時が来るのを待ち隠遁することにした。だが、屋敷はすでにカンゲンにより接収されていた。見張りもおり戻ることが出来なかった。
「俺たちの拠点に来てください」
ギエイが京口郊外にある諜報部隊の拠点に来いと言った。街の中にいるといつカンゲンの軍が押し寄せてくるか分からない。兵たちは解散した。ギエイの拠点は千人も収容できない。
「......ユウ、わたしはどうしたらいい」
アイが切実な顔で見てきた。俺はアイを見つめた。
「一緒に来て欲しい。俺にはお前が必要だ......」
「......そうだよな。お前にはわたしが必要だ」
俺はアイを抱きしめた。嬉しかった。俺もアイも泣いていた。いつまでも側にいて欲しい、側にいたいと思った。
◆
拠点は京口郊外の森の中にある。湿った空気の中を草をかき分けた先に建物があった。そこは元々は呉という国を作ったソンケンを祀る霊廟なのだという。
呉が滅びた後は、誰も管理するものがいなくなり放置され、いつしかその存在も忘れられていた。本堂の他に部屋がいくつかあり、数十人は寝泊まりすることが出来る。
俺について来たのは、アイの他、ボクシ、ドウキ、ドウサイ、シャカイ、ショカツ、テイゴ、モウチョウ、モウシュウシ、カンシュク、コウビであった。ギエイとセキカ、フコウシは各地にいる仲間たちとの連絡役として拠点を出入りしており、それぞれの状況が把握できた。
拠点での生活は特段することは無い。ドウサイたちとチョボをし、負けた者がご飯当番や掃除などをした。夜はアイが俺に文字を教えてくれた。以前よりは読めるようになっていた。
ボクシはギエイたちが集めてくる情報を整理している。シュクユウとコハンはカンゲンの招集に応じず、流浪の軍となり東晋各地を転々としているという。時折、リンシの商隊から補給を受けているようだ。ジンキの軍も同様であった。
カイギョクとチンアクはカンゲンに真っ向から反抗し、水軍の将軍を解任された。
「兄ちゃん。来たぞ。俺たちもここに匿ってくれ」
ギエイが二人を伴ってやってきた。カンゲンの軍に捕縛されそうになっていたのを助けたという。俺は受け入れた。この二人には海賊討伐の際に世話になっている。断ることは出来ない。
「安心しろ。兄ちゃんの女には手を出さないよ。胸が大きくないからな」
「お前ら、アイに聞かれると殺されるぞ」
◆
「ユウ。京口におかしな連中が潜伏している。気を付けろ」
「カンゲンの手の者か」
「分からない。おそらく違うと思う。セキカが探っている」
京口。
セキカは何者かに付けられている気配を感じた。セキカでなければ気が付かないであろう。手練れであった。
「三人......いや、四人か......」
セキカは走った。四人が人込みをすり抜け追いかけて来る。身のこなしも尋常でない。北府に向かう。あそこであれば誰もいない。
塀を乗り越えた。広場を横切り建物に入る。ここの構造は把握している。こちらの方が有利なはずだ。
廊下に誘い込む。この狭さでは同時に攻撃されることはない。
「何者だ。なぜ私をつける」
四人は答えなかった。セキカは一気に間合いを詰め、短刀を先頭の男の胸に突き刺した。男はドッと血を噴き出し倒れる。三人は剣を振るが廊下の壁にあたり、振り切れなかった。
二人目。喉を掻き切る。すでに廊下の床は血溜まりが出来ている。
「もう一度聞く。お前らは何者だ」
三人目が剣を突き立て、突進してくる。セキカは軽くいなし、短刀で脇腹を切り裂いた。そして四人目に体当たりし倒すと、馬乗りになって首を斬った。
セキカは素早く起き上がる。三人目が腹を抑え悶えている。
「お前一人になったぞ。その傷では戦えまい。命が欲しければ吐いてもらおうか」
「......」
何か呟いていた。よく聞き取れないが、その言葉は漢人のものではない。北の方の言葉だ。そして舌を自ら噛み切り息絶えた。
「......ギエイか」
「よく一人で四人相手に出来るな。出来れば一人くらいは捕らえて欲しかったな」
「捕らえることが出来なかった。それだけ手練れだったということだ」
セキカは短刀を拭い鞘に納めた。四人の骸の衣服を脱がし、何か手がかりが無いか探った。
「これを見ろ」
セキカはギエイに一人が身に着けていたものを差し出した。
それは黒貂の襟巻であった。南の方では滅多に見ることは無い代物だ。主に騎馬民族が身に着けている。
「匈奴か......ならば夏の手の者か」
「いや、これは鮮卑のものだ。以前、広固にいた時に見たことがある」
「ということはこいつらは魏の手の者か」
「おそらくそうであろう」
魏が何故、京口に刺客を送ってきたのか分からなかった。まさか魏はユウを狙っているのか。セキカは、やはり一人くらい無理してでも捕らえるべきだったと後悔した。




