61話 北府の夜
俺はケイシャンの話を聞き頭が真っ白になった。
「お前は父親に聞いたのか......」
「親父は全ては話してくれない......だが、俺には親父の考えは分かる。裏切ったのも実は今回が初めてでは無い」
衝撃であった。あの頭が堅くてクソ真面目なリュウロウシが、シャアンを裏切るとは思ってもいなかった。だが、ケイシャンによると昔から勝ち馬に乗ってきたのだという。
「.......親父は上に立つ人間では無い。常に誰かの下についてきたんだ。しかし、まさかカンゲンの下につくとは......」
俺は誰も座っていない政務室の椅子を見た。シャアンと初めて会った時の事を思い出した。病を得ていた。もし生きていれば、このような事にはなっていないであろう。
「ケイシャン...お前はこれからどうするのだ」
「......分からん。だが、親父のようにカンゲンにつく気はない」
俺は呆然と立ち尽くした。何も考える事が出来ない。ボクシはそんな俺を見て何も言わなかった。俺と同じ気持ちなのだ。
ボクシは軍を労い、シュクユウら、新たに仲間になった者たちに、北府の宿舎の部屋割りを決めていった。労いの言葉をかけるのは本来ならば俺の仕事なのだ。
夜は酒宴を開いた。凱旋したのだ。ボクシは兵たちには馬鹿騒ぎする事も必要だと言った。
酒を飲んで歌い出す者、チョボをして賭け事をする者、みんな楽しそうに騒いだ。南蛮の兵たちは何やら不思議な踊りを披露していた。当人たちは神聖な伝統ある踊りだと言ったが、あまりの滑稽な動きに大爆笑であった。
そんな騒ぎを尻目に俺は木に背もたれ、ちびちびと酒を飲んでいた。
「将軍が暗い顔をするな」
アイが隣に座った。俺は何も言えなかった。
突然、大歓声が上がった。酒に酔ったシュクユウが脱いだのだ。南蛮の兵たちと共に踊り出した。コハンも悪ノリし、お色気全開で悩殺していた。そんな様子を見てアイは舌打ちした。
「まったく破廉恥だわ......え!ちょっとユウ!何反応しているの!?」
アイの視線は俺のあれに注がれていた。俺は慌てて手で押さえた。
「......この変態。その様子だと、あの事も覚えていないようね」
「覚えているさ。アイこそ聞いてなかったんじゃないのか」
アイは顔を赤らめた。あの日の告白は忘れられるはずは無かった。
「......ごめん。今はそんな気持ちじゃないんだ」
「分かっているわ......焦らなくてもいい。でもいつまでも待てないわよ」
「え!?いつまでも待つわの間違いでは!?」
「何言っているの。そんな気長じゃないのよ。いつまでも待っていたらお婆ちゃんになってしまうわ」
「......そんなに待たせる気はないよ」
やがて騒ぎは収まっていた。兵たちは遠征の疲れもあって、すぐに酔いつぶれて寝てしまう者が多かった。広場には寝床にも戻れず、大の字になって寝ている兵たちで溢れていた。
俺はボクシとアイ、そしてコハンと一緒に、広場で寝ている兵たちに毛布をかけて回った。コハンはあれだけ乱痴気騒ぎをしていたのに全く酒に酔っていないようであった。
「よく素面であんなことできるわね」
アイが呆れて言った。
「兵たちが喜ぶからいいじゃない。これも軍師たる者の務めだわ」
アイとコハンが二人でシュクユウを寝床に運んでいた。女性を広場で雑魚寝させて置くことは出来ない。
「それにしても兵たちはよく戦ってくれたな......」
「ああ。だけど、ユウ。真の戦いはこれからだぞ」
俺は空を見上げた。満天の星空である。この世界はこんなにも綺麗だ。だが、星空の下では人間の欲望が渦巻き淀んでいる。それは前にいた世界でも、この世界でも変わらないと思った。
◆
数日後、建康から呼び出しが来た。
論功行賞では無い。俺は嫌な予感がして仕方なかった。建康に行けばリュウロウシと顔を合わせるだろう。俺は何て言うべきなのか分からなかった。カンゲンのお膝元だ。建康でリュウロウシの裏切りを叫んでも、俺に良い事は無い。
俺に従うのは、ボクシと、そしてケイシャンであった。親父に会いたいと言っていた。
京口から向かう道中、いくつもの千人将の部隊とすれ違った。反乱や賊徒討伐へ赴く部隊だ。薄々感じてはいたが、東晋は乱れ始めている。だが建康はそういったものとは無縁かのように繁栄していた。表向きは。
「ユウ。よく見ろ」
ボクシは俺に路地裏を見ろと言った。ぼろぼろの服を纏った者たちが無気力に座っていた。中には子供もいる。痛々しい程、痩せ細っていた。繁栄の裏には民が貧困に喘いでいる。ほんの少し前は、このような光景を見ることはなかった。
宮殿に付いた。ここに皇帝とカンゲンがいる。その佇まいは、あの貧民を見た後だと何か悪の塊のように見えた。




