60話 心変わり
北府に帰還した。激闘で多くの命を失ったが、将軍になって初めての戦で勝利した。俺は凱旋した気持ちで堂々と北府の門を開けた。
「あれ?誰もいない......」
北府の中は閑散としており、使用人が掃き掃除をしているだけで兵の姿はなかった。俺は館に入り、政務室に行ったがリュウロウシも不在であった。
「出征でもしたのか......」
俺は使用人を捕まえ何があったか聞いた。使用人は困った表情を浮かべ言い淀んでいた。
「そ、その......リュウロウシ様は建康に召喚されました」
「召喚だと?どういう事だ」
俺は使用人に問い詰めても、これ以上のことは聞き出す事が出来なかった。
「ユウ!戻ったか!遅いぞ!」
ケイシャンだった。リュウロウシの息子である。
「親父が...親父がカンゲンについた......」
俺は驚愕した。ケイシャンが言ったことを理解できなかった。カンゲンについたとはどういう事だ。ケイシャンは事の経緯を説明してくれた。
◆
俺が益州に向けて出発した頃であった。リュウロウシの元にカンゲンの腹心のシュカが訪れた。
「リュウロウシ将軍。ご無沙汰しております。襄陽での戦以来ですね」
「......何しに参った」
「そんな怖い顔しなくてもいいではありませんか。今日は我が主、カンゲン様のお言葉をお伝えに来ました」
「カンゲン殿が何の用だというのだ」
シュカは政務室の中をゆったりと歩き、すぐには話そうとしなかった。棚に飾っている皇帝から北府に与えられた感謝状を眺めていた。これまで北府の軍は数々の戦功を上げている。中でも淝水の戦いで秦の符堅を打ち破ったのは、長い中華の歴史の中でも類を見ない程の戦果であった。
「シャアン様というのは偉大だったのですな」
「今更、何を当たり前の事を言っているのだ」
「この感謝状の多くはシャアン様に与えられたものだ。リュウロウシ将軍、あなた宛てのものは少ないですね......おや?これはリュウユウ将軍のものですか。彼は若いのに大したものだ」
「何が言いたい。ワシも暇では無いのだ。そろそろ本題に入ってもらおうか」
「これは失礼しました。単刀直入に言います。カンゲン様の元に来て欲しい」
「......」
「カンゲン様はあなたの手腕を高く評価しています。中華は秦が滅び、魏が台頭してきています。かつての淝水のような戦になった時、東晋は団結して戦わなければなりません」
「......当然の事だ。北府はその為に存在している」
「そうです。北府が西府がと争っている場合では無いのです。カンゲン様は二つの府が一つになり、共に魏と戦うことを望んでおります」
「ぬけぬけと言いおる......カンゲン殿の野望を知らないとでも思ったのか」
「それは誤解です。カンゲン様は誰よりも国の事を憂いています。陛下の身を守る為に将軍のお力が必要なのです」
「......」
「それにこの感謝状......いずれリュウユウ将軍のものに塗り替えられるのではないですか?あなたの北府の総帥の座も安泰ではありますまい」
「リュウユウが育つなら問題ない。シャアン様の願いでもある」
「......本当にそうお考えですか。あなたは焦っているのでは」
「黙れ!お主にワシの何が分かる!帰ってもらおうか!」
「......分かりました。非礼はお詫びします。ですがご自身の気持ちをよくお考えください」
「帰れと言った」
シュカは一礼し立ち去った。リュウロウシは椅子に深々と腰掛けため息をついた。シュカの言うことを反芻した。
◆
リュウロウシは息子のケイシャンに相談しようか悩んだ。だが答えは分かっている。あの息子は裏切り者と罵るに違いない。棚の感謝状を見た。これが全てリュウユウのものだけになる。想像すると、どこか寂しく、そして悔しくもあった。
(ワシはあの男に嫉妬しているのか......)
五十をとうに過ぎていた。後身を育てるのが余生と思ってもいたが、戦に出た時の高揚を忘れていなかった。まだ戦える。まだ戦功を上げられる。そして大将軍になる機会はまだある。
(己の欲望の為にカンゲンについてよいのであろうか)
シャアンは許さないだろう。長いこと共に戦ってきた。シャアンの皇帝に対する忠義心は本物であった。簒奪を狙うカンゲンは排除する。それがシャアンの晩年の目標であった。だが、その前に寿命が来た。その想いはリュウロウシ、そしてリュウユウに託された。
(いや、正確にはワシではなく、リュウユウだけに託された......)
その実、リュウロウシはシャアンほど皇帝に対する忠義心は無い。皇帝アンテイは知的障害を持っており、話すこともままならない。シバ一族による近親婚の弊害であった。血が濃すぎるのだ。東晋にはアンテイに代わる皇帝が必要であった。
シュカの訪問から二週間後、リュウロウシは建康に赴くのであった。




