5話 勘が鳴っていた
明後日までに人を集めろ。
リュウロウシの言葉が頭の中で繰り返されていた。三人で練兵場の外に出た。日が完全に落ちていた。
まったく見当がつかなかった。
「どうする。誰に声をかける」
ボクシが腕を組んで言った。
「試験に落ちた奴らに声をかけるか」
「無駄だ」
ボクシがすぐに返した。
「試験に落ちたということは北府に認められなかった人間だ。数十人で千人の盗賊を退治するのに、そんな人間を連れて行っても足手まといになるだけだ」
「じゃあどうする」
ボクシが黙った。俺も黙った。
二人でアイを見た。
アイは気づいていた。気づいた上で空を見上げていた。
「……なんだ」
「人脈はないか」
「ない」
「本当か」
「ない」
ボクシが静かに口を開いた。
「アイ。もし試練が失敗したら、俺たちはシャアン様とリュウロウシ様に報告しなければならない。その時、お前が非協力的だったと伝えることになる」
アイの目が細くなった。
「……脅しか」
「事実を報告するだけだ」
「合格が取り消されるぞ」
「それはシャアン様とリュウロウシ様が判断されることだ。俺たちにはどうすることもできない」
沈黙が続いた。
アイは舌打ちをした。
「……ゾウ家の家人を呼ぶ。それでいいか」
「何人集められる」
「三十人」
ボクシと顔を見合わせた。ちょうどいい。
「頼む」
「貸しだぞ、リュウユウ」
アイは俺を睨みつけてから、踵を返した。
翌日の朝、練兵場の外れに三十人が集まっていた。
みな体つきが良く、目つきが鋭い。素人ではなかった。ゾウ家に仕える家人たちだ。アイが一言告げただけで、これだけの人間が集まった。
アイの出自が改めて頭をよぎった。
三十人がユウを見ている。値踏みするような目だった。これに数十人で千人の盗賊を退治しろと言われた男が、こいつかという目だった。
その中に一人、やけに若い男がいた。
年は俺より二つか三つ下だろうか。体は細いが目が生意気だった。じっとこちらを見ながら、口の端を上げている。
「お前が千人を退治するとかいう馬鹿か」
いきなり言ってきた。
「そうだ」
「本気か」
「本気だ」
男はしばらく俺を見てから、ふんと鼻を鳴らした。
「俺はドウキだ。お前が本物かどうか確かめてやる」
「確かめ方は?」
「一発殴らせろ。死ななかったら本物だ」
周囲の家人たちが笑った。
俺は顎を突き出した。
「どこからでもどうぞ」
ドウキが拳を握った。そのまま思いきり俺の顎に叩き込んだ。
痛くなかった。
ドウキが顔をしかめた。自分の拳を見ている。
「……痛っ」
「折れてないか」
「折れてない……けど」
ドウキはしばらく自分の拳と俺を交互に見ていた。それからニヤリと笑った。
「本物だな」
「そう言ったろ」
「ついていってやる。死ぬなよ」
「お前がな」
笑いが起きた。少し空気が柔らかくなった。
ボクシが三十人の前に立った。
「聞いてくれ。俺たちはソンオンの手下の盗賊団、千人を退治する。これはシャアン様の命だ」
ざわめきが起きた。
「報酬は北府への推薦状だ。試験なしで入隊できる。それだけの価値はある」
ざわめきが大きくなった。
「危険な任務だ。嫌なら今すぐ帰っていい。引き止めない」
誰も動かなかった。
ボクシが俺を見た。俺が前に出た。
「俺はリュウユウだ。字も読めないし、兵法も知らない。だが数十人で千人を叩きのめす自信はある。一緒に来てくれ」
笑いが起きた。だが温かい笑いではなかった。
一人の家人が口を開いた。
「字も読めない男の下で戦えというのか」
空気が変わった。
「孫子も読めない。呉子も読めない。兵法の欠片も知らない男が、どうやって千人を指揮するんだ」
反論できなかった。事実だった。
別の家人が続いた。
「俺たちはアイ様に従って来た。あんたの命令で動くつもりはない」
ざわめきが広がった。ドウキだけが黙って俺を見ていた。
情けなかった。字が読めない。それだけで指揮を奪われた。体力も魔法も関係なかった。試験の時と同じだ。俺はいつも同じところで躓く。拳を握ったが、殴る相手がいなかった。
アイが前に出た。
「……分かった。指揮は私が取る」
家人たちの表情が緩んだ。
アイが俺を横目で見た。
「文句あるか」
「……ない」
「なら決まりだ」
ボクシが俺の耳元で囁いた。
「アイに任せておけ。お前は体で働け」
「分かってる」
分かってはいたが、面白くなかった。
リュウロウシから場所が指定された。
京口から南に二日ほど下った山間の村だ。ソンオンの手下が村を占拠し、略奪を繰り返しているという。
「千人と言ったが、正確には八百から九百の間だ」
リュウロウシが地図を広げた。
「地形を活かせ。正面からぶつかれば三十人など一瞬で潰される」
「地図が読めない」
リュウロウシが俺を見た。
「……ボクシ、お前が読め」
「はい」
ボクシが地図を覗き込んだ。リュウロウシが指で地形を示しながら説明する。俺はその横で話を聞いた。山があって、川があって、村がある。それだけは分かった。
「出発は明朝だ。以上」
リュウロウシは地図を畳んで去っていった。
アイが地図を引き取り、家人たちと囲んで話し始めた。俺とボクシは輪の外だった。
声は聞こえなかった。だが断片的な言葉が耳に入ってきた。夜襲。山の裏手。斥候。アイが地図の一点を指で叩いている。家人たちが頷いていた。
悪くない作戦に見えた。だが何かが引っかかった。何が引っかかるのかは分からなかった。勘だけが、微かに鳴っていた。
「……完全に蚊帳の外だな」
ボクシが呟いた。
「ああ」
「お前が字を読めれば、こうはならなかった」
「分かってる」
「勉強しろ」
「今更言うな」
輪の中でアイが指を地図の上に走らせていた。家人たちが頷いている。ドウキだけが輪の外に出てきて、俺の隣に立った。
「あんた、本当に大丈夫か」
「大丈夫じゃないかもしれない」
「正直だな」
「嘘をついても仕方ない」
ドウキはしばらく考えてから言った。
「まあいい。俺はあんたについていく」
「アイの指揮に従わなくていいのか」
「アイ様の指揮に従いながら、あんたを見る。それだけだ」
悪くない目だった。
その夜、三十人で飯を食った。
焚き火を囲んで、めいめいが椀を手にしていた。家人たちはアイの周りに集まっていた。俺とボクシとドウキは少し離れたところに座っていた。
「明日の作戦はアイ様に任せるのか」
ドウキが聞いた。
「今日の流れでは、そうするしかない」
ボクシが答えた。
「止められないのか」
「無茶な作戦なら止める。だがアイは馬鹿ではない。それなりのものを考えているだろう」
焚き火が揺れた。
「なあ」
ドウキが俺に向かって言った。
「怖くないのか」
考えた。怖いかどうか。
「怖い。だが、ここで引いたらもっと情けない」
ドウキが焚き火を見た。炎が揺れていた。
「……俺も同じだ」
それきり二人とも黙った。焚き火の音だけが聞こえた。
明日、千人と戦う。
まったく正気の沙汰ではなかった。だが不思議と眠れる気がした。




