48話 満身創痍
アイは後方にいて負傷者の治療をしていた。次々と怪我人が運ばれてくる。100人程の治癒士では全く手が足りない程であった。
「アイ様!お逃げください!本陣が退却しています」
伝令が駆け込んできた。鎧は欠け血と泥でどす黒くなっていた。
「ユウは!?将軍は!?」
「カクレンに傷を負わされ撤退中です!」
アイは気が気でなかった。本陣が退却したとなっては、ここに止まっては危険であった。だが、ここには重傷で動けない者も多い。置いていくことは出来なかった。
「アイ......やむを得ない。動けない者は置いていけ」
ショカツであった。胸に大怪我を負っていたが、何とか動けるまでに回復していた。
「馬鹿なことを言わないで!そんなこと出来ないわ!」
「分かっている。だが、これは戦だ。時には非情な判断をする必要がある」
アイは唇を噛み締めた。ショカツの言うことは正しい。言い返すことが出来なかった。
争闘の気配が近づいて来ている。
「時間は無い。もしお前が捕虜になったら、ユウはどうするか考えろ」
アイは身動き出来ない兵たちを見た。皆んな、すがるような目をしていた。アイは首を振った。とても置いていくことなど出来ないと思い涙を流した。
「......お前は戦場に向いていない。失礼する」
ショカツはアイを抱え上げ走り出した。
「な......何をする!お、降ろせ!」
アイはショカツの肩にがっちりと担がれ身動き出来なかった。動ける者たちがショカツに続いた。アイは嗚咽する。涙で視界が滲む。残された者たちの姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。
◆
俺は南鄭に向かおうとしたが、ボクシが褒中に向かうべきだと言った。
「このまま南鄭に入ったら、お前は敗軍の将として処断されるかもしれん。褒中に行って兵糧を抑えて立て直すのだ」
「......もっと早く南鄭に向かっていたら、こうはならなかったのかな......」
「俺たちが負ける形にならなければカクレンは追って来ない。そうしたら石門だけ抑えられて漢中は詰む。だが......まさかこれほどとは」
崖を騎馬で駆け降りて来た。匈奴の者でも至難の技だ。それをカクレンは難なくやってのけた。
俺は肩を抑えた。鈍い痛みが引かなかった。あそこで怪我をしなければ、もっと踏ん張ることが出来たはずだ。
「......すまない」
「謝るな。まだ戦は終わってない」
ボクシはそう言ったが、悔しさで顔が歪んでいた。
◆
褒中。
南鄭の東側にある中規模な城だ。ここは漢中の倉庫の1つの役割を担っていた。
俺は城に入り倉庫を抑えさせた。案の定、物資は大量にあった。カンキが余裕が無いと言ったのは嘘であった。
「このような狼藉は許さぬぞ!」
「狼藉?前線への補給をしなかった貴様らが言うことか!俺は将軍だぞ!」
俺は褒中の守将を蹴り飛ばし、城から叩き出した。カンキに対して腹が立った。
やがて北府の兵たちが褒中に集まってきた。セキカとフコウシが俺の居場所を触れ回って集めたらしい。
ドウサイがテイゴとコウビに支えられて来た。殿を務めた歩兵隊の損害は大きく、半数以上を失っていた。
「ユウ......すまない」
「俺のせいだ。ドウサイの責任ではない」
「違う......カムキとリュウイが討たれた。俺たちを逃す為に最後まで戦ったんだ......」
俺は呆然とした。カムキとリュウイの2人は矛が折れても、退路を確保するように立ち回ったという。最後はカクレンに首を刎ねられた。俺は何も言うことが出来なかった。
「ユウ......」
アイであった。ショカツが肩に担いでいた。怪我をおして、アイを担ぎながら走ってきたのであろう。全身、汗でびっしょり濡れていた。
「何してるのよ!何、負けてるのよ!」
アイは降りるなり、俺の胸を殴ってきた。その力ない拳を何度も受けた。アイは泣きじゃくり、俺の胸にしがみついた。何度も馬鹿、馬鹿と言っていた。
俺はアイを抱きしめた。胸にアイの涙が染み込んでいった。
褒中に集まって来た兵は6千程であった。4千を失っていた。その6千もボロボロであった。
カンシュクは鉄鞭で撃たれた傷が深く立ち上がれない。ドウサイも血を多く失ったようで寝込んでいた。俺も左手が上がらない。何とか軍として立て直したものの、まさしく満身創痍であった。
◆
カンキは激怒した。褒中の物資を抑えられてしまった。しかも南鄭は直接、夏の攻撃を受ける羽目になってしまった。
後退してくる北府の軍を城外で戦わせるつもりだったのだ。それが、夏軍に包囲されてしまった。褒中の物資を当てに出来なくなったせいで、南鄭の方が逆に危うくなってきた。
夏軍の兵糧はどの程度あるのかは分からない。だが、桟道と石門を抑えられているなら、補給は続いていると見てよかった。
カンキは褒中に伝令を出しまくった。早く夏軍を追い払えと言わせた。益州にいるシバチョウにも救援を要請した。漢中を失うわけにいかない。
カンキが欲を出して益州に出兵したから招いた事態である。その事を忘れて、怒りの矛先は北府の軍に向かうのであった。




