36話 再会そして東の海へ
夜の城内で、両者は動かなかった。
ギエイと四人。セキカと暗殺団。
どちらも息を潜めていた。
ギエイが静かに口を開いた。
「我々はビャクレン様を傷つけに来たのではありません」
セキカが答えなかった。
「ビャクレン様を逃したい。東の島国へ。カンゲンの手が届かない場所へ」
セキカがしばらく黙っていた。その目は冷たいままだった。だが殺気が少し変わった。
「……武器を置け」
ギエイが四人を見た。四人が順番に武器を地面に置いた。
「ビャクレン様に直接聞く」
ギエイたちは囲まれたまま連れていかれた。
◆
ビャクレンの前に立った。
ギエイが説明した。東晋の先鋒の将が計画したこと。カンゲンの思惑。建康に護送される前に逃がしたいこと。倭という島国のこと。
ビャクレンは静かに聞いていた。
倭という言葉が出た瞬間、目が変わった。
ギエイが気づいた。だが何も言わなかった。
「条件がある」
ビャクレンが静かに言った。
「何でしょうか」
「リュウユウに会わせろ」
◆
ギエイが戻ってきた。
「ビャクレン様にお会いできました」
「どうだった」
「条件があると言われました」
「何だ」
「リュウユウに会わせろ、と」
俺は黙った。
ボクシが俺を見た。何も言わなかった。
◆
その前に片付けることがあった。
リンシとチョウセキを呼んだ。
「頼みがある」
チョウセキが腕を組んだ。話を聞きながら、だんだん顔が険しくなっていった。
「……東の国か」
「倭だ」
「細々とではあるが交易はある。だが海が荒れる。時化れば船ごと沈む。高くつくぞ」
「分かっている」
「分かっているで済む話じゃない。船頭も嫌がる。積み荷も限られる」
チョウセキが頭を掻いた。
「……何人だ」
「まだ分からない。ビャクレンと、その手勢」
「手勢……何人だ」
「それも分からない」
チョウセキが天を仰いだ。
「お前という男は……」
リンシが静かに笑った。
「チョウセキ。お願いできますか」
「……リンシが頼むなら断れないが」
「貸しですよ」
「分かっている。分かっているが……」
チョウセキが深く息を吐いた。
「やってやる。だが次から次へと無茶を言うな」
「ありがとう」
「礼はいい。準備を始める」
チョウセキが立ち上がって去っていった。
リンシが俺を見た。
「ユウ。ビャクレンという人は……どんな方ですか」
「……会えば分かる」
リンシが少し間を置いた。
「そうですね」
それだけだった。
◆
深夜、俺は少数だけ連れて城壁の外で待った。
ボクシ、ギエイ。それからアイが黙ってついてきた。止めなかった。止める理由が見つからなかった。アイは何も言わなかった。俺も何も聞かなかった。
静かだった。遠くで虫の声がした。
城門がわずかに開いた。
人影が出てきた。
先頭にビャクレンがいた。白い衣が夜の闇に浮かんでいる。その後ろにセキカ。そして数人の手勢。フコウシ、コウビ、モウシュウシ、テイゴの四人がビャクレンの手勢の後ろについた。
四人の顔が強張っていた。コウビはいつもの大声が出ない。モウシュウシは唇を引き結んでいた。フコウシは無言で前を向いていた。テイゴは無言のまま手が柄の近くにあった。
ギエイは無言で周囲を確認し続けていた。
一人の男がビャクレンの隣から前に出た。目つきが鋭い。周囲を素早く確認していた。その顔を見て、俺は思い出した。
広固だ。オウヒツの護衛として行ったあの時に会った男だ。
「……ゴロウか」
男が俺を見た。少し目を細めた。
「あの時の護衛か」
「そうだ」
ゴロウがしばらく俺を見ていた。面識があると分かっても、警戒は解かなかった。それでも表情がわずかに変わった。
ゴロウがビャクレンに何か言った。ビャクレンが静かに首を振った。ゴロウがまた言った。ビャクレンが今度は少し強く首を振った。
ゴロウは黙った。だが離れなかった。手勢を連れたまま後ろについた。
ビャクレンが俺の前に来た。
月明かりの中で顔が見えた。
「……久しぶりだな」
「……ええ」
それだけだった。
なぜか言葉が出なかった。ビャクレンも黙っていた。
◆
馬を並べて駆けた。
夜風が冷たかった。蹄の音が地面に響いた。
誰も喋らなかった。
ギエイが先頭で周囲を確認しながら走った。フコウシは口を引き結んだまま前を向いていた。コウビは大声どころか息も殺していた。モウシュウシは顔が強張っていた。テイゴは無言のまま後方を時折振り返った。
いつ追っ手が来てもおかしくなかった。
城からどんどん離れていく。後ろを見た。松明の火が小さくなっていく。
ビャクレンは前を向いたまま何も言わなかった。
俺も何も言わなかった。
ただ馬を走らせた。
◆
海についた。
チョウセキの船が沖に停まっていた。松明の火が揺れていた。
コウビが小さく息を吐いた。
「……着いたか」
それだけだった。四人の肩から力が抜けた。
俺はビャクレンと並んで立った。
波の音がした。潮の匂いがした。
ビャクレンが海を見ていた。
「倭……」
小さく呟いた。
「知っているのか」
「……ええ。知っています」
ビャクレンが俺を見た。
俺もビャクレンを見た。
何かを言おうとした。言葉が出なかった。ビャクレンも同じだった。
しばらく二人で見つめ合っていた。
その時、ビャクレンの目が俺の後ろに動いた。
俺は振り向いた。
アイがいた。
アイがビャクレンを見ていた。複雑な目だった。警戒と、もう一つ何かが混じった目だった。隠しているつもりかもしれないが、隠しきれていなかった。
ビャクレンがそれを見た。
しばらく黙っていた。
それからゆっくりと俺に向き直った。
微笑んだ。
「……行きます」
「ビャクレン」
「この世界に、あなたを思う人がいる」
俺は何も言えなかった。
「それで十分です」
ビャクレンが船着き場へ向かった。
俺はその背中を見ていた。
何か言わなければならない気がした。だが言葉が出なかった。
波の音だけが続いていた。




