31話 喪
京口に戻ると、シャアンはすでに埋葬されていた。
葬儀は静かだった。
北府の将兵が全員集まった。千人将から兵卒まで、全員が喪服を着て並んでいた。普段は感情を見せない古参の兵たちが、目を赤くしていた。
リュウロウシが弔辞を述べた。
「シャアン様は北府の父であった。その教えは我々の中に生き続ける」
短かった。飾らなかった。だが誰もが黙って聞いていた。
俺は位牌の前に立った。
何も言えなかった。スロットしか知らなかった男が、気づけばここまで来ていた。全部、この人が導いてくれたわけではない。だが道標はいつもここにあった。
香の煙が細く立ち上っていた。
◆
葬儀の後、リュウロウシが俺を執務室に呼んだ。
「シャアン様からお前に預かっていたものがある」
書状だった。
手が少し震えた。開いた。
筆跡は震えていた。病が進んでいた頃のものだと分かった。だが内容は明確だった。
「ユウへ。カンゲンを止めるのはお前しかいない。北府を頼む。リュウロウシを支えろ。大将軍を目指せ。お前ならできる。俺はそう信じている」
それだけだった。
俺は書状を持ったまま黙っていた。
「……重いな」
「そうだな」
リュウロウシが静かに言った。
「だがシャアン様はお前を選んだ。俺ではなく、お前を」
「なぜ俺なんですか」
「さあ。俺にも分からん」
リュウロウシが少し笑った。珍しい顔だった。
「だがシャアン様の目に狂いはなかった。少なくとも、俺はそう思っている」
俺は書状を懐にしまった。
◆
その夜、リュウロウシが珍しく酒を飲んでいた。
俺が呼ばれた。二人で杯を重ねた。リュウロウシは寡黙だった。しばらく黙って飲んでいた。
「ユウ」
「はい」
「俺はもう老いた」
「将軍……」
「シャアン様がいた頃は、この人を守ればいいと思っていた。北府はシャアン様のものだった。俺はその剣であればよかった」
リュウロウシが杯を置いた。
「だが今は……北府を誰が支えるのか。俺が死んだ後、誰が守るのか」
「将軍はまだ……」
「まだ動ける。だが時間は限られている」
リュウロウシが俺を見た。
「お前が大きくなるまで、北府を持たせなければならない。それが今の俺の仕事だ」
俺は何も言えなかった。老将が自分に託そうとしているものの重さが、じわりと肩に乗ってくる気がした。
「将軍。俺はまだ五百人将です。大将軍などという話は……」
「今はそうだ。だがシャアン様はお前の10年後を見ていた。俺も同じものを見ている」
リュウロウシが再び杯を手に取った。
「飲め。今夜だけは、難しいことは考えるな」
「……はい」
二人で黙って飲んだ。夜が深くなっていった。
◆
その頃、建康では。
シュカがカンゲンの前に跪いていた。
「遅い」
カンゲンの第一声だった。扇を手に持ったまま、冷たい目でシュカを見下ろしている。
「ハンリョウが討たれたことはすでに聞いている。西府の副将が敵の女将軍一人に討ち取られた。それをなぜ止めなかった」
「申し訳ございません。ハンリョウが独断で……」
「言い訳は聞いていない」
シュカが頭を下げたまま黙った。
しばらく沈黙が続いた。カンゲンが扇をゆっくりと動かした。
「それで。北府はどうだった」
「……北府の五百人将、リュウユウという男が際立っておりました。リュウロウシ将軍と連携し、カクレンを退散させました」
「五百人将が」
カンゲンの目が細くなった。
「南燕との戦いでも頭角を現していたと聞く。今回もか」
「はい。ハンリョウが討たれた後、実質的に戦局を立て直したのはリュウユウでした」
カンゲンがしばらく黙った。
「シャアンが死に、北府はリュウロウシだけと思っていたが……」
「カンゲン様」
「厄介な芽だ」
カンゲンが扇を閉じた。
「早いうちに摘んでおく必要がある」
◆
数日後、建康から使者が来た。
論功行賞のため、リュウロウシと将校たちが建康へ出頭するようにとの命だった。
建康の朝廷は広かった。カンゲンが上座に近い位置に座り、皇帝の名で褒賞が読み上げられた。
前回の南燕戦とは比べ物にならなかった。金品の量が違う。北府への分配も明らかに多かった。
「北府の奮戦に対し、特に五百人将リュウユウの働きを称え、千人将に昇進を命ずる」
その言葉が読み上げられた瞬間、周囲がざわめいた。
俺は一瞬、自分の耳を疑った。
千人将。
正式な辞令だった。カンゲンが主導した論功行賞の中に、俺の名前があった。
「……受けていいんですか」
俺はリュウロウシの隣で小声で聞いた。
「受けろ。断れば角が立つ」
リュウロウシが静かに答えた。その顔は平静だった。だがその目は違った。何かを考えている目だった。
朝廷を出た後、ボクシが俺の隣に来た。
「カンゲンにしては気前がいいな」
「そう思うか」
「思う。前回はほとんど何も寄越さなかった。今回はこれだ」
ボクシが声を低くした。
「気前がいい時ほど、裏がある。何かを企んでいる」
「何を」
「まだ分からない。だがお前を昇進させることで、何かを得ようとしている」
俺は建康の空を見上げた。
千人将。悪い話ではない。だが手放しで喜べる気がしなかった。
懐の書状が重かった。
◆
京口に戻ると、俺はその夜、屋敷の縁側に座っていた。
夜風が冷たかった。
懐から書状を取り出した。シャアンの震える筆跡を、もう一度読んだ。
(お前ならできる)
千人将になった。シャアンが見ていた10年後には、まだ遠い。
だがやるしかない。それだけは分かった。
俺は書状を丁寧にたたんで、また懐にしまった。
夜の京口が静かだった。遠くで波の音がした。




