30話 落城
七日目の朝だった。
東晋の陣に疲労の色が濃くなっていた。
毎日攻めた。毎日弾かれた。梯子をかけては落とされ、丸太で門を叩いては跳ね返され、投石車の石は城壁に傷一つつけられなかった。井闌車はヨウソウの火魔法で灰になった。
兵の目から光が消えかけていた。
「早く落とせ」
シュカが書状を手に持っていた。顔が強張っていた。
「カンゲン様からの催促だ。これで三度目になる」
「焦っても城は落ちない」
リュウロウシが静かに言った。
「兵糧攻めしかない。補給はリンシの商会が充実させてくれている。時間をかければ必ず落ちる」
「時間はない」
「なぜだ」
「カンゲン様が……」
「カンゲン殿の都合で兵を無駄死にさせるつもりか」
シュカが口を閉じた。目が細くなった。
「リュウロウシ将軍。此度の総指揮は私が預かっております」
「それは承知している」
「ならば私の命に従っていただく。今日も総攻撃をかける」
リュウロウシが黙った。
シュカが全軍に命じた。
「総攻撃だ。城壁に梯子をかけろ」
また梯子がかかった。
また矢が降ってきた。
また兵が落とされた。
俺は後方から見ていた。歯噛みした。何度同じことを繰り返すんだと思った。だが命令だ。
「カンシュク」
ボクシが声をかけた。
「例の弓は」
「まだ引けません」
カンシュクが弓の前に座っていた。七日間、攻城の合間もずっと弓と向き合っていた。
「今日も試してみます」
カンシュクが弦に手をかけた。魔力を流した。水系統の魔力だ。弦が光った。
引いた。
今日も引き絞れなかった。
カンシュクが目を閉じた。何かを考えていた。それからもう一度弦に触れた。今度は魔力の流し方を変えた。一気に流すのではなく、ゆっくりと、弓の機構に合わせるように。
弦が光り方を変えた。
引いた。
動いた。
「……!」
カンシュクの表情が変わった。弦がじりじりと引き絞られていく。全部ではない。半分ほどだ。だが今までとは違った。
「もう少し……」
カンシュクが魔力を絞り出した。弦がさらに引かれた。
矢を番えた。城壁の上を見た。
ヨウソウが指揮台に立っていた。兵に指示を出している。遠い。普通の弓では届かない距離だ。
カンシュクが息を止めた。
◆
ヨウソウは城壁の上から東晋軍を見下ろしていた。
七日間、持ちこたえた。このまま粘れば東晋の兵糧が尽きる。そうなれば引き上げるしかない。
「まだ持つ。兵糧はあと一月分ある……」
その瞬間だった。
何かが来た。
巨大な矢だった。
ヨウソウには避ける間がなかった。
轟音がした。
城壁の上の指揮台が揺れた。
ヨウソウが崩れ落ちた。上半身を大きく抉られていた。即死だった。
城壁の上が静まり返った。
それから一気に乱れた。
「守将が……!」
「ヨウソウ様が!」
指揮する者がいなくなった。兵たちが混乱した。矢が止まった。石が止まった。
カンシュクが弓を下ろした。
バキリという音がした。
弓が砕けた。機構が崩れ、弦が切れた。一発で壊れた。
「粗悪品だったか……」
カンシュクが呟いた。その顔は複雑だった。砕けた弓を見て、それから城壁を見た。
「それでも……届いた」
「今だ!」
リュウロウシの声が飛んだ。
梯子が一斉にかかった。
俺は棍棒を握って梯子を登った。左肩にまだ痛みが残っていたが、構わなかった。城壁の縁に手をかけた。引き上がった。
城壁の上に後秦の兵がいた。指揮を失って混乱していた。
それでも戦おうとする者がいた。俺はその者たちと戦いながら前へ進んだ。ドウサイが横に並んだ。ショカツが続いた。カムキの隊が別の場所から登ってきた。
城壁を制圧した。
城門の内側に回った。閂を外した。門が開いた。
東晋の兵が一気に流れ込んだ。
制圧まで時間はかからなかった。
◆
襄陽が落ちた。
俺は城内の広場に立っていた。
戦の後の匂いがした。土と血と煙の匂いだ。
シュカが馬上で城を眺めていた。満足そうな顔をしていた。
(この戦功もカンゲンのものになる)
俺は思った。だが今は何も言わなかった。
ボクシが来た。
「カンシュクが弓の残骸を抱えてしゃがみこんでいる。声をかけてやれ」
俺はカンシュクのところへ行った。
砕けた弓の残骸を拾い集めていた。その顔が複雑だった。
「よくやった」
「……砕けてしまいました」
「一発で仕留めた。それで十分だ」
「もう一度引けると思っていたのですが」
「粗悪品だったそうだ。しかたない」
カンシュクが残骸を見た。
「あの弓の引き方、分かりました。魔力を流す方向と量に法則がありました。もし次があれば……」
「次があれば本物を用意してもらう。リンシに頼む」
「……はい」
カンシュクが立ち上がった。
◆
落城の報は長安に届いた。
ヨウチョウが書状を床に叩きつけた。
「カクレンを更迭しなければこうはならなかった!」
側近たちが黙って俯いた。
カクレンが呼ばれた。
部屋に入った瞬間、ヨウチョウが殴りかかってきた。受け身を取る間もなかった。頬に衝撃が来た。
「貴様のせいだ!貴様が早く片をつけていれば!」
カクレンは黙っていた。
ヨウチョウが怒鳴り続けた。衣服を掴んで引き剥がした。組み伏せた。
カクレンは屈辱を噛みしめた。歯を食いしばった。
その時だった。
ヨウチョウの目が見えた。
虚ろだった。
怒りに染まっているはずの目が、どこか焦点を結んでいなかった。まるで夢の中にいるような目だ。
(……もしや)
カクレンは試した。
低い声で静かに言った。
「足を舐めろ」
ヨウチョウが動きを止めた。
それから、ゆっくりと平伏した。
カクレンの足を舐めた。
部屋が静まり返った。側近たちが固まっていた。
カクレンは自分の手を見た。
(戻った)
失ったはずの力だった。ケイとの戦いで眼光の洗脳を失ったはずだった。なぜ戻ったのかは分からない。だが今、確かに機能していた。
カクレンはゆっくりと立ち上がった。乱れた衣服を整えた。
ヨウチョウを見下ろした。
「立て」
ヨウチョウが立った。
その目はまだ虚ろだった。
それからのヨウチョウの変化は速かった。
日に日に洗脳が深くなった。カクレンの言葉に逆らえなくなった。怒鳴ることもなくなった。カクレンが何かを言えば、それがそのまま命令になった。
やがてカクレンはヨウチョウの正室として迎えられた。
皇后として後秦の実権を握った。
玉座の隣に座りながら、カクレンは遠くを見ていた。
匈奴の奪還はまだ先だ。後秦を足場にして力を蓄える。それから動く。
そしてあの男。
(リュウユウ)
まだ決着がついていない。
いつかまた会う。その時は生け取りにして従わせてわる。カクレンは静かにそう思った。




