3話 お決まりの展開ではなかった
京口は、広陵とも違う匂いがした。
海が近い。潮の匂いと、鉄の匂いと、人の匂いが混ざり合っている。城門をくぐると、行き交う人間の数が広陵の比ではなかった。荷を担いだ商人、武器を帯びた兵士、ぼろをまとった難民。石畳の上に声と足音が重なって、頭がうるさかった。
「でかい街だな」
「北府の本拠地だからな。当然だ」
ボクシは慣れた様子で歩いている。俺はただついていくしかなかった。
まず服を買った。
寒村から逃げてきた格好のままでは、試験どころではないとボクシが言った。確かに俺の服は泥と汗で固まっていた。
市場の端に古着を売る店が並んでいた。ボクシが値段を交渉し、俺は言われるままに着替えた。麻の上衣と袴。質素だが清潔だ。袖が短すぎて手首が出たが、合う服がなかった。
「それでいい。お前はどうせ体で目立つ」
「失礼なやつだな」
「事実だろ」
宿を取り、荷を置いた。
日が落ちると、ボクシが飯を食いに行くぞと言った。連れていかれたのは宿の近くの酒場だった。煙と油の匂いが充満している。荒くれた男たちが卓を囲み、酒を飲んでいた。応募者だろうか、北から流れてきたらしい難民風の男たちもいる。みな目つきが鋭かった。
席に着くと、ボクシが酒と焼いた肉を頼んだ。陶器の杯が卓に置かれる。酒は薄かったが、温かかった。
「試験の話をしておく」
ボクシが杯を置いた。
「体力試験、筆記試験、魔法試験の三つだ」
「体力はいい。筆記は……」
頭を抱えた。字が読めない。書けない。何を聞かれるかも分からない。
「筆記は俺も受ける。お前は無理だ」
「無理って言い切るな」
「現実を見ろ。お前は自分の名前も書けないだろ」
返す言葉がなかった。
「体力と魔法で稼げ。俺は筆記と魔法と体力、全部で稼ぐ」
「お前、剣術もできるのに体力試験も全部受けるのか」
「当然だ。俺は全部受ける」
なんだそれは。俺は筆記だけ穴が空いているというのに、こいつは穴がない。
「お前って嫌なやつだな」
「ありがとう」
全然堪えていない。
「それより魔法試験だ」
「魔法……」
まだ実感がなかった。
「今の世は戦闘魔法が使えると出世できるのは当然知っているよな」
「……まあ」
知らなかったとは言えなかった。
「火・水・木・土・金の五系統だ。試験では自分の系統と練度を測られる」
ボクシは腰の剣に手をやった。鞘から抜くと、刀身がわずかに赤く光る。一振りすると、拳ほどの火球が宙を飛んで、酒場の壁際で消えた。
周りの客は誰も驚かない。隣の卓では男が指先から水の流れを作って遊んでいた。別の男は手のひらに土の塊を浮かせている。日常の光景らしい。
「火系統だ。強くはないが試験は通る。お前は何系統だ」
「……分からない」
「は?」
「魔法、使ったことがない」
ボクシが俺をじっと見た。
「お前、本当に頭でも打ったのか。あの怪力はなんだと思っているんだ」
「転.....いや、怪力は……昔からだ」
「まあ、体はでかいしな」
転生したからと言いかけてしまったが、なんとかやり過ごすことが出来た。あっさり納得した。助かった。
「木系統の身体強化だ。お前が岩を軽々と持ち上げて、カン一家の二十人を投げ飛ばして、腹を殴られても平気だったのは全部魔法だ。無意識に使っているんだろ」
止まった。
全部、魔法だったのか。
「……まったく気づかなかった」
「使い手は少ない。試験官が見ればすぐ分かる。むしろお前の一番の武器はそこだ」
杯を口に運んだ。酒が喉を流れていく。転生して怪力になったと思っていた。魔法だったとは。この世界はまだ知らないことだらけだ。
「北府の試験は難しいぞ」
ボクシが肉を噛みながら続けた。
「北から逃れてきた難民、遊牧民、食い扶持を求めた荒くれどもが大量に応募してくる。北府は精鋭しか取らない。振い落とすための試験だ」
「それをお前は全部合格するつもりか」
「当然だ。将軍になるんだからな」
まったく揺らがない。腹が減って将軍を目指す男だ。
酒が進んできた頃、酒場の隅が騒がしくなった。
見ると、荒くれた男が三人、一人の女性を囲んでいた。俺たちと同じくらいの年頃だ。端正な顔立ちで、仕立ての良い服を着ている。腰に下げた剣の鞘には細かい細工が施されていて、この酒場には明らかに不釣り合いだった。
男たちが腕を掴もうとしている。
来た。
これだ。異世界転生といえばこれだ。酒場でヒロインが絡まれている。颯爽と助けに行く。お決まりの展開だ。俺の出番だ。
鼻息が荒くなった。立ち上がった。椅子が後ろに飛んだ。
その瞬間——
女性が男の腕を掴んだ。
腰を落とし、一息に投げた。男が宙を舞い、卓に叩きつけられる。残りの二人が飛び掛かると、女性は身をかわしながら二人をまとめて壁に叩き込んだ。
三人が床に転がっている。
女性は乱れた服の袖をさりげなく直してから、こちらを見た。その仕草だけが妙に洗練されていた。
「何こっちみてんだ」
俺はまだ立ち上がったままだった。椅子が後ろに転がっている。
「……いや、助けようと思って」
「いらん」
「でも、三人相手に……」
「うるさい」
ボクシが口を挟んだ。
「北府の試験に来たのか」
女性は少し間を置いてから答えた。
「そうだ。だから助けなど要らんと言っている」
「俺たちもだ」
俺は名前を聞いた。
「ゾウアイシン」
アイシン。アイ。なんとなくそう聞こえた。
「じゃあアイだな」
女性の目が細くなった。
「……なんでアイなんだ」
「アイシンのアイだろ」
「誰がそう呼んでいいと言った」
次の瞬間、俺は宙を飛んでいた。
床に叩きつけられる。背中に衝撃が走る。天井が見えた。
足音が遠ざかっていく。
ボクシが上から俺を覗き込んだ。
「今の、魔法じゃなかったな」
「……気づいてる場合か」
「純粋な格闘術だ。面白い女だな」
背中が痛かった。酒場の床は固かった。
アイシン。アイ。
なんとなく、また会う気がした。




