28話 更迭
激闘から五日が過ぎた。
膠着が続いていた。
カクレンが慎重になっていた。野戦部隊を大きく動かさなくなった。小競り合いが続くだけで、決定的な衝突がなかった。
「もう五日になるな」
カムキが言った。
「手強いと感じているんだろう。あれだけの使い手が慎重になるとは」
「それだけ連携の攻撃が効いたということだ」
ボクシが地図を眺めながら言った。
俺は黙って対岸を見ていた。
カクレンは今日も出てくるだろうか。出てくるとすれば、今度は別の動き方をしてくる。昨日と同じ手は通じない。
そう考えながら待っていた。
◆
長安では、使者がヨウチョウの前に跪いていた。
「カクレン将軍は北府の老将と若い武将の連携に手を焼き、現在は膠着状態でございます」
「ほう」
ヨウチョウが目を細めた。体を玉座に沈め、杯を傾けている。
「それだけではございません。東晋の将ハンリョウを討ち取りました」
「……なるほど」
ヨウチョウの隣に立っていた側近が前に出た。
「ヨウチョウ様。カクレンがこのまま戦果を上げ続ければ、匈奴奪還の支援を約束せねばなりません」
「そうだな」
「膠着している今が好機かと。更迭の口実としては十分です」
ヨウチョウが杯を置いた。
「では代わりを送れ。ヨウキでいい」
「ヨウキ様は戦経験が……」
「構わん。カクレンをここへ戻せ」
◆
カクレンのもとに使者が来たのは、夜明け前だった。
書状を受け取った。読んだ。
更迭。後任はヨウキ。即刻長安へ戻れ。
カクレンは書状を置いた。
怒りが来るかと思った。来なかった。悲しみが来るかと思った。それも来なかった。
ただ、冷たい何かが胸の中に広がった。
(やはりそうか)
分かっていた。手柄を立てすぎれば約束を果たさなければならなくなる。ヨウチョウはそれを恐れている。戦場で勝つことより、カクレンを手元に置き続けることの方が都合がいいのだ。
「……分かった」
使者に告げた。
鉄鞭を見た。手に取った。あの男を従わせる機会はまた訪れると考えた。
軍営の外に出た。夜明けの空が白んでいた。漢水が光っていた。
対岸に東晋の陣が見えた。
(リュウユウ)
あの男の事を考えると体が疼いた。
カクレンは空を見上げた。それから踵を返した。
◆
「カクレンが引いていく」
ギエイが報告した。
「どういうことだ」
カムキが眉をひそめた。
「後秦の陣から、カクレンと思われる人影が北へ向かっています。荷も持っています。戻るつもりかと」
「更迭か」
ボクシが静かに言った。
「なぜこの時期に」
「手柄を立てすぎたからだろう。後秦の内部事情だ」
俺はカクレンが消えていった方向を見た。何も言えなかった。
戦場から去っていく背中を、俺は見送った。
◆
翌日、後秦の陣から新しい部隊が出てきた。
先頭に立つ将軍は丸々と太っていた。鎧が体に合っていない。馬の上で揺れていた。
「あれが新しい指揮官か」
ドウキが呆れた顔で言った。
「ヨウキという男だそうだ。ヨウソウの一族らしい」
カムキが言った。
「あの体格で戦えるのか」
「さあな......戦えないなら討つだけだ」
ボクシが静かに言った。
ヨウキが怒鳴った。
「東晋の雑魚どもめ!我が出れば百人力ぞ!かかれ!」
後秦の兵が突撃してきた。
「北府、前へ」
リュウロウシの号令が飛んだ。
「カムキ、左翼を崩せ。各隊、続け」
北府の陣が動いた。
「中央を突くぞ。無理はするな」
ボクシが五百人隊に声をかけた。
激突した。
だがカクレンがいない後秦は別の軍だった。連携が取れていない。指示が遅い。ヨウキが後方で怒鳴るだけで、前線に何も伝わっていない。
カムキの隊が左翼を崩した。中央に俺の五百人隊が突っ込んだ。ドウサイとショカツが暴れる。
あっという間だった。
後秦の陣が崩れた。
「退け!退けぃ!」
ヨウキが馬を返した。配下の兵も続いた。逃げ込んだ先は襄陽の城門だった。
◆
城壁の上でヨウソウは見ていた。
カクレンを更迭してから、こうなることは分かっていた。だが分かっていても、実際に目の当たりにすると言葉が出なかった。
ヨウキが城門をくぐってきた。息を切らしていた。鎧が乱れていた。
「ヨウキ」
ヨウソウが静かに呼んだ。
「も、申し訳ありませぬ!東晋の兵が予想以上に……」
「黙れ」
ヨウソウの声に温度がなかった。
「カクレンを更迭してお前を寄越した。その結果がこれだ」
「し、しかし……」
「一族に甘い顔をするつもりはない」
剣が抜かれた。
ヨウキが目を見開いた。
それだけだった。
ヨウソウは剣を鞘に収めた。周囲の将校たちを見回した。
「残った兵力を確認しろ」
しばらくして報告が来た。
「五万でございます」
「そうか」
ヨウソウは城壁の上から東晋軍を見下ろした。10万の軍が襄陽を取り囲んでいた。
「籠城する。一兵たりとも無駄死にさせるな。この城を落とさせるな」
「はっ」
「カクレンがいなくても、この城は落ちない。それを証明する」
◆
夕方、京口からの使者が来た。
リュウロウシが書状を受け取った。開いた。読んだ。
その顔が変わった。
「……」
リュウロウシが目を閉じた。長い沈黙だった。
「将軍、どうされましたか」
副官が声をかけた。
「シャアン様が……逝かれた」
その場が静まり返った。
知らせは瞬く間に広がった。北府の兵の間にざわめきが起きた。シャアンは北府の象徴だった。北府を作った人間だった。その柱が折れた。
「シャアン様が……」
「もう終わりだ」
「北府はどうなる……」
リュウロウシが全軍の前に出た。
「聞け」
声が響いた。静かだが、よく通った。
「シャアン様は逝かれた。だが北府はここにある。嘆くな。泣くな。戦え。それがシャアン様への唯一の返答だ」
誰も何も言わなかった。
だが、ざわめきが止まった。
◆
俺は一人で漢水を見ていた。
川が静かに流れていた。さっきまで戦っていた戦場が嘘のようだった。
(約束を果たせなかった)
カンゲンを止めろと言われた。いつかと答えた。シャアンはそれを信じてくれた。だがシャアンはもういない。約束の相手がいなくなった。
それでも約束は消えない。
ボクシが来た。黙って隣に立った。しばらく二人で川を見ていた。
「……シャアン様が死んだ」
「ああ」
「お前はどうする」
俺は少し考えた。
「変わらない」
「そうか」
「シャアン様に言われた。カンゲンを止めろと。それはまだ終わっていない」
ボクシが黙った。
「お前らしいな」
それだけだった。
二人で漢水を見ていた。対岸に襄陽の城壁がそびえていた。10万の軍に囲まれても、城は揺るがなかった。灯りが点り、旗がはためいていた。
まだ終わっていない。
ヨウチョウ(姚萇)は前秦の符堅を殺し後秦を建国した人物です。前作から引き続き登場してますが、なかなかのクズキャラですね。




