26話 襄陽の戦い③ 老将の意地
翌朝、ハンリョウが俺のところへ来た。
「昨夜は災難だったな、白紙将校」
「……」
「今日は俺が前に出る。北府が情けないから俺が終わらせてやる。せいぜい後ろで見ていろ」
「ハンリョウ将軍」
カムキが口を開いた。
「あの女将軍は昨夜、五百人隊を単独で壊滅させました。五千では足りないかもしれません」
「黙れ。北府の雑魚と一緒にするな」
ハンリョウが馬を返した。五千の兵を引き連れて前線へ向かっていく。
「止めなくていいのか」
カムキが低く言った。
「止められない。あの男はカンゲンの配下だ」
「……そうだな。動ける者は準備しておけ」
◆
後秦の陣からカクレンが出てきた。
昨夜と同じ黒い鎧だ。馬上からゆっくりと西府の陣を眺めた。
「また来たか」
カクレンは小さく呟いた。
今度は昨夜の男ではない。別の部隊だ。突っ込んでくる勢いは悪くない。だが隊形が雑だ。指揮官が前のめりになっている。
(御しやすい)
カクレンは馬を進めた。
ハンリョウが怒鳴った。
「俺がカクレンとやらを討ち取る!かかれ!」
西府の五千が突撃した。ぶつかった。乱戦になった。
ハンリョウが単騎でカクレンへ向かった。大刀を大きく振りかぶっている。
「女将軍とやら!俺の大刀を受けてみろ!」
カクレンは動じなかった。馬を止めて待った。
大刀が振り下ろされた。
右の鉄鞭で受けた。金魔法の光が弾けた。
ガキンという音がして、大刀が真っ二つに折れた。
「な……!」
ハンリョウが目を見開いた。
カクレンの左の鉄鞭が横から来た。
ハンリョウが馬ごと吹き飛んだ。地面に叩きつけられ、転がった。起き上がらなかった。
「将軍が落とされた!」
「逃げろ!」
西府の兵が崩れ始めた。前列から雪崩を打って後退する。
「止まれ!」
シュカの声が飛んだ。
潰走する兵の前に馬を乗り出す。
「逃げるな!陣形を立て直せ!右翼は後退するな、左翼は弓を構えろ!」
短い言葉が次々と飛んだ。
走っていた兵が止まり始めた。少しずつ陣が形を取り戻していく。
カクレンはそれを見ていた。
(やるな)
追撃しなかった。西府の陣形が整い始めると、静かに馬を返した。
西府の軍は沈黙するしかなかった。
◆
リュウロウシが槍を手に取った。
「将軍!」
副官が声を上げた。
「下がっていろ」
それだけ言って馬を進めた。
カムキが即座に動いた。
「左翼、展開しろ!」
別の隊長が右から動いた。
「右から回り込む!」
命令があったわけではない。将軍が前に出た。ならば俺たちが支える。北府の各隊が自然にそう動いた。
カクレンがリュウロウシを見た。
(老将か)
白髪混じりの髪。だが馬上の姿勢が違う。長年戦場に立ち続けた者の気配がある。
カクレンは馬を止めた。
二頭の馬が向き合った。
「カクレンとやら」
リュウロウシが静かに言った。
「お前の強さは本物だ」
「……」
「だがここまでだ」
リュウロウシが槍を構えた。カクレンが鉄鞭を持ち上げた。
動いたのはカクレンが先だった。
右の鉄鞭が来た。リュウロウシが槍で受け流した。力ではなく、流した。カクレンの一撃が空を切った。
(受け流した?)
カクレンが目を細めた。
リュウロウシが槍を突いた。カクレンが横に身をかわした。紙一重だった。
「……やるな、老将」
また鉄鞭が来た。またリュウロウシが流した。
「隊長、見てください」
ドウキが俺の袖を引いた。
「リュウロウシ将軍が押しています」
「ああ」
俺は黙って見ていた。力では劣る。だがカクレンの動きを読んで、いなして、隙を突いている。
その間にも北府の各隊が動いていた。
カムキの隊が左から圧力をかける。別の隊が右に回った。カンシュクが弓を引き絞った。ドウキが石礫を握った。
カクレンが周囲を見た。
(囲まれた)
リュウロウシ。展開する北府の各隊。弓を構えるカンシュク。
カクレンは一瞬だけ目を閉じた。
(今日はここまでだ)
馬を返した。包囲が完成する前に、隙間を突いて離脱した。
誰も追わなかった。
戦場が静まり返った。
◆
俺はカクレンの背中を見送った。
リュウロウシが馬を寄せてきた。
「ユウ」
「はい」
「次はお前が出る番だ。準備しておけ」
「……分かりました」
漢水の向こうに襄陽が見えていた。




