24話 襄陽の戦い①
建康から使者が来たのは、秋の終わりだった。
リュウロウシが使者を引見した。その場に俺も同席していた。シャアンに言われた通り、最近は将校会議に呼ばれることが増えていた。
使者が勅令を読み上げた。「後秦討伐。西府軍主導。北府軍は援軍として参加し、西府の指揮下に入れ」
リュウロウシの顔が変わった。変わったのは一瞬だった。すぐに元の表情に戻った。だがその一瞬を俺は見ていた。
「……承知した」
使者が去った後、部屋が静かになった。
「西府の指揮下か」
カムキが低く言った。
「勅令だ。従うしかない」
リュウロウシが静かに答えた。
「カンゲンめ……また北府を使い捨てにするつもりか」
シャカイが珍しく声を荒げた。
「シャカイ」
リュウロウシの一言でシャカイが口を閉じた。
「感情で動くな。今は戦の準備をしろ」
将校たちが下がっていく。俺も続こうとした。
「ユウ。残れ」
リュウロウシが言った。
二人になった。
「お前はシャアン様から何か言われているか」
俺は少し考えてから答えた。
「カンゲンを止めろと言われました」
「そうか」
リュウロウシが窓の外を見た。
「この戦はカンゲンの戦だ。西府が主導し、北府が働き、手柄はカンゲンが取る。いつも通りだ」
「……はい」
「だがそれでも戦わなければならない。後秦を叩くことは東晋のためになる。北府のためにもなる」
リュウロウシが俺を見た。
「お前は戦えるか」
「戦えます」
「理由を聞こうか」
「戦わなければ強くなれない。強くならなければ、いつかカンゲンを止められない」
リュウロウシが少し間を置いた。
「シャアン様の言葉を、ちゃんと聞いていたのだな」
それだけ言って、リュウロウシは部屋を出た。
◆
出陣の前日、シャアンの部屋を訪ねた。
リュウロウシに言われたわけではなかった。ただ、行かなければならない気がした。
部屋に入ると、香の匂いがした。薬の匂いも混ざっていた。シャアンは床に横たわっていた。以前より小さく見えた。顔の肉が落ちて、骨の形が浮き出ていた。それでも目だけは生きていた。
「ユウか」
「はい」
「座れ」
俺は床に腰を下ろした。シャアンがゆっくりと俺を見た。
「後秦へ行くそうだな」
「はい」
「カンゲンの戦争だ」
シャアンの声に温度がなかった。
「分かっています」
「分かっていても行かねばならない。それが今の北府の立場だ」
シャアンが目を閉じた。しばらく間があった。呼吸が荒かった。
「ユウ。一つだけ聞け」
「はい」
「戦功はカンゲンに取られる。金も取られる。それでもお前は戦えるか」
俺は少し考えた。
「戦えます」
「なぜだ」
「シャアン様がいつかカンゲンを止めろと言った。そのためには俺が強くならなければならない。この戦はその機会です」
シャアンが目を開けた。
「……そうか」
かすかに笑った気がした。
「お前は馬鹿だが、筋は通っている」
それだけだった。
翌朝、出陣した。シャアンの部屋の前を通ると、中から咳の音がした。
◆
北府軍が京口を出た。五万の兵が隊列を組んで進む。鎧の音、馬蹄の音、人の足音が重なって地面が揺れるようだった。
ボクシが馬を並べてきた。
「カンゲンは建康に残って動かない。今回の西府主将はシュカという男だ」
「どんな男だ」
「策略型だと聞いている。荊州で長く政務をやっている。カンゲンの腹心だ」
「副将は」
「ハンリョウ。猛将だ。突撃戦を好む。北府の戦い方を馬鹿にしているらしい」
「やりにくい相手だな」
「敵は後秦だけじゃない。この戦は味方も敵だ」
ボクシが静かに言った。
アイが俺の右側に馬を並べてきた。
「無茶はするなよ」
「ああ......」
「約束しろ」
「約束する」
アイは何も言わなかった。それだけで十分だった。
◆
荊州で西府軍と合流した。
西府の旗が並んでいた。北府とは違う色だ。鎧の作りも違う。金がかかっている。カンゲンが荊州で蓄えた富が軍装に出ていた。
シュカが馬を進めてきた。四十がらみの男だ。細身で目が細い。笑っているような顔をしているが、笑っていない目をしていた。
「リュウロウシ将軍。此度はご協力いただき、恐悦至極」
「カンゲン殿のご命令とあらば」
リュウロウシの声は平静だった。
シュカの目が後ろに動いた。北府の将校たちを見ていた。俺の顔で止まった。
「君が噂のリュウユウか。筆記試験を白紙で出して北府に入られたとか」
「そうだが」
「面白い男だ」
シュカはそれだけ言って馬を返した。笑っているような顔のまま戻っていった。
ハンリョウが代わりに来た。三十がらみの大柄な男だ。体格はいい。目つきが悪い。
「お前が白紙将校か」
値踏みするような目だった。
「そうだ」
「北府はこんな字も書けない男を将校にするのか。ずいぶんと人材に困っているようだな」
俺はムッとした。
隣でカムキが小声で言った。
「今は堪えろ。戦が始まれば結果で示せ」
俺は黙った。ハンリョウが鼻で笑って去っていった。
◆
漢水が見えてきた。
川幅が広かった。対岸に城壁が見える。高い。分厚い。南に山が迫り、北に漢水が流れる。水と山に守られた城だ。
「襄陽か……」
ドウキが呟いた。
「あれが荊州の要か」
モウチョウが口笛を吹いた。
「あんな城、どうやって落とすんだ」
「落とさなくていい」
ボクシが言った。
「城を落とすのは西府の仕事だ。俺たちは野戦で後秦軍を叩く。守将が籠城している間に、外に出てくる野戦部隊を叩き続ける」
「野戦部隊の指揮官は」
ボクシが少し間を置いた。
「女の将軍だそうだ。後秦に仕える匈奴の女。名はカクレン」
◆
翌朝、北府5万が先鋒となって漢水沿いに布陣した。
後秦側から部隊が出てきた。2万ほどだ。隊形が整っている。練度が高い。
その先頭に女がいた。
黒い鎧を着ていた。背が高い。両腰に鉄鞭を下げている。馬上から東晋軍を見渡していた。遠くからでも分かる。ただ立っているだけで場の空気が変わるような存在感があった。
「あれが指揮官か」
カムキが言った。
「女だ」
ドウキが呟いた。
「強そうだ」
ショカツが珍しく真顔で言った。
戦端が開いた。
カクレンの2万が突撃してくる。繰り返し、繰り返し、波のように。北府の陣形が押される。押し返す。また押される。消耗戦だ。互角だった。
そこへカクレンが自ら動いた。
馬を駆けさせながら、両腰の鉄鞭を抜いた。二本の黒い鉄の棒だ。それぞれが人の腕ほどの太さがある。カクレンはそれを軽々と振り回しながら前線へ突っ込んだ。
鉄鞭に金色の光が纏わりついた。金魔法だ。武器に属性を付与している。
一振りで三人同時に吹き飛ばした。
ケイシャンの騎馬隊が突っ込んでくる。
「カクレン!覚悟!」
「ケイシャン待て!」
止める間もなかった。ケイシャンが馬を駆けさせてカクレンに向かった。槍を構えた。
カクレンが鉄鞭を振った。
ケイシャンの槍が折れた。馬ごと叩き落とされた。どさりと地面に落ちる音がした。
「ケイシャン!」
俺は棍棒を握り直した。ドウサイとショカツが横に並んだ。三人で同時に前へ出た。
カクレンが俺を見た。
初めて目が合った。
静かな目だった。怒りでも興奮でもない。ただ、冷静に相手の強さを測るような目だった。
カクレンが馬を止めた。俺たちを待った。
俺は棍棒に魔力を流した。木系統の身体強化が全身に広がる。
踏み込んだ。
カクレンが鉄鞭を振った。受けた。両腕に衝撃が走った。重い。今まで感じたことのない重さだった。弾かれた。
ドウサイが斧で横から入った。カクレンが片方の鉄鞭で受ける。ドウサイが吹き飛んだ。
ショカツが大剣で切り込んだ。カクレンがもう一方の鉄鞭で打ち払った。ショカツが後退した。
俺が再度踏み込んだ。
カクレンの目が光った。鉄鞭が二本同時に来た。受けきれなかった。横に跳んで半分だけかわした。それでも右肩に一撃をもらった。痺れた。
(速い。重い。そして……強い)
日が傾いてきた。
カクレンが馬を返した。後秦の陣へ戻っていく。その背中を見ながら俺は立っていた。息が荒かった。
アイが走ってきた。
「ケイシャンは!」
「重症だ。早くみてやってくれ」
アイが俺の右肩を見た。
「あなたも」
「後でいい。ケイシャンを先に」
アイが俺を一瞥して、ケイシャンのところへ走っていった。
ボクシが来た。夕日を背にしていた。
「どうだった」
俺は漢水を見ながら答えた。
「強い。今まで戦った誰とも違う」
「魔法か」
「魔法もある。だが本質は違う。あの女、魔法なしでも化け物だ」
ボクシが黙った。
「鉄鞭の振り方を見ていた。左の振りが右より一息遅い。次はそこを突く」
ボクシが少し笑った。
「それがお前の強さだな」
俺は答えなかった。
夜の帳が下りてきた。対岸の襄陽に灯りが点り始めた。漢水が黒く光っていた。
カクレン(赫連勃勃)は匈奴の王です。史実ではもう少し後の時代に出てきます。そして自分の女体化センサーが反応してしまい、女性にしてしまいました。前作にも登場する人物で、今作でも主人公に立ちはだかる強敵となります。




