23話 落としてみせますわ
船団が京口の港に入った。岸に近づくにつれて、人の気配が増えていった。
兵だった。
港の周囲に、見慣れない旗が立っている。北府の旗ではない。西府の旗だ。
「カンゲンの軍だ」
ボクシが静かに言った。
船が岸に着く前から、もう岸では兵が待ち構えていた。金を陸送するための部隊だ。荷馬車が何台も並んでいた。準備が良すぎる。
「いつから待っていたんだ」
「俺たちが広固を出た時には、もう動いていたんだろう」
ボクシの声に温度がなかった。
金千斤が船から卸される。西府の兵が手際よく荷馬車に積み込んでいく。一台、また一台。荷が運ばれていくたびに、その金が建康へ向かうことが分かった。
「俺たちには何も入らないのか」
ドウキが低い声で言った。
「一銭も入らない」
ボクシが答えた。
「広陵を解放した。南燕と戦った。人が死んだ。なのに金は全部カンゲンのところへ行く」
誰も何も言わなかった。
数日後、皇帝からの褒章が届いた。
リュウロウシがそれを読み上げた。広陵解放の戦功を称え、金品を下賜する。その額を聞いた瞬間、その場が静まり返った。
「……これだけか」
カムキが低く言った。
「これだけだ」
リュウロウシの声は平静だった。だがその目は違った。
「カンゲンめ……」
シャカイが珍しく感情を露わにした。
俺はリュウロウシの顔を見た。
この人は怒っているのだろうか。それとも諦めているのだろうか。どちらでもなかった。ただ静かに、次を見ていた。
シャアンに言われたことを思い出した。カンゲンだけは阻止しなければならない、と。
(あの男は本当に厄介だ)
戦場にいない男が、戦場の結果を全部持っていく。
◆
数日後、リンシが広陵へ戻ることになった。
荷馬車に荷を積み、家人たちを引き連れて出発の準備をしていた。俺は見送りに来た。アイも来ていた。ボクシも、カムキも、なぜか全員が集まっていた。
「お世話になりました」
リンシが一礼した。それから俺を真っ直ぐ見た。
「ユウ」
「なんだ」
「次にお会いする時は、必ず落としてみせますわ」
その場が静まり返った。
ドウキが固まった。ボクシが片眉を上げた。カムキが咳払いをした。
「……今、何と言った」
アイが低い声で言った。
「落としてみせると言いました」
リンシが微笑んだまま答えた。堂々としていた。悪びれる様子が全くない。
「そうはいかない」
アイが一歩前に出た。
「あら。それはどういう意味ですか」
「言葉の通りだ」
二人が向き合った。笑顔と真顔が対峙していた。
俺は何も言えなかった。
「ふふふ」
リンシが先に笑った。アイを見て、それから俺を見た。
「楽しみにしていてください」
踵を返して歩いていった。
「待て」
「また今度」
振り返らなかった。その背中を、全員が黙って見送った。しばらくして、ドウキが俺の背中を叩いた。
「隊長……大変なことになってきましたね」
「うるさい」
モウチョウが口笛を吹いた。
「両手に花どころじゃないな」
「黙れ」
◆
港の端で、リンシがチョウセキと話していた。
荷馬車から小さな箱がいくつか取り出されている。南の産物だ。香辛料、薬草、絹の端切れ。
「これは北では珍しいものばかりですよ。高く売れます」
「ほう。どのくらいで売れる」
「倍以上は固いですわ。産地が違いますから」
チョウセキが箱の中身を確かめながら唸った。
「……これは確かに北では見ない」
「私の商会を通せば、山東一帯に流通させることができます。定期的に仕入れますか」
「乗った」
あっという間だった。
船旅の間にいつの間にか話を詰めていたらしい。リンシはチョウセキの船団を物流に使い、チョウセキはリンシの商品を北で売る。
「あの女……いつ話を進めていたんだ」
カムキが呆れた顔で言った。
「船の上だろ。俺たちが船酔いで死にかけている間に」
チョウセキが俺のところへ来た。
「リンシという女、只者じゃないな」
「そうだろ」
「惚れそうだ」
「やめておけ。面倒なことになる」
チョウセキが大きく笑った。
「そういうあんたも、なかなか面倒なことになっているようだが」
「余計なお世話だ」
チョウセキがリンシの荷馬車が遠ざかっていくのを眺めた。
「また頼むことがあれば声をかけてくれ。あんたらと仕事をするのは悪くない」
「ああ。頼む」
チョウセキが港へ戻っていった。
◆
南燕との3年の不可侵条約が結ばれた。しばらくは南の方向に大きな戦はない。だが東晋の北の脅威は変わらない。後秦がその筆頭だ。
リュウロウシが将校たちを集めた。
「次の戦の準備を始める。相手は後秦だ」
地図が広げられた。関中の地形が示された。長安。洛陽。黄河。
俺はその地図を見ながら思った。
(舞台が変わる)
南燕は一段落した。広陵を守った。金は取られた。だが終わっていない。
カンゲンがいる。後秦がいる。シャアンの病は進んでいる。
やることは山ほどある。
「ユウ」
リュウロウシが俺を見た。
「はい」
「後秦に備えろ。戦はすぐに来る」
「分かりました」
地図の上に、新しい戦の影が伸び始めていた。




