120話 魏の女帝
魏を建てたケイの死後。ヨウカは宰相とともに文字通り駆けずり回り、国内の混乱を抑え込んだ。ケイとの間には子もおらず、後継もないままの突然の死であった。新興の国家で急速に版図を拡大したこともあり、分裂してもおかしくなかったのだ。
そうならなかったのは、ヨウカが後燕の英雄であるボヨウスイの娘であったことが大きい。魏の版図の半分は旧燕領であり、ヨウカの人気は高かったのだ。ケイの母のシュクランもヨウカのことを気に入っていたことも大きい。そこにサイコウが素早くヨウカを擁立したことで、すんなりと女帝ヨウカの体制に移行したのだ。
「あの女だけは許せない......」
ケイを殺害したハクエン。今はエンと名を変え、東晋の将軍を務めているという。東晋とは戦争状態にある。ヨウカの執念はただ一点、ハクエンを討つことであった。それさえ、成し遂げることが出来れば、東晋とは友好関係を結びたいと考えている。
「東晋から使者が来るだと?」
「こちらの動きを探ろうとしているのでしょうな。東晋に取って最大の宿敵は夏のカクレンです。その戦に魏に介入して欲しくないのでしょう」
「東晋が勝てば、華北を大きく浸食されることになる。そうならない為にシトウまで呼びよせて、三すくみの状況にしているのではないか」
「おっしゃる通りです。そうして荊州に蓋をしつつ、冬が来たら、軍を南下させ夏を討つのです」
冬が来れば遥か北に位置する柔然の圧力が弱まる。そうすれば、統万城から軍を南下させることが出来るのだ。東晋を抑えつつ、夏を滅ぼし、華北を統一する。それで魏の目標は達成する。
中華全土までは狙っていない。赤壁の戦い、淝水の戦い。北の覇者が大軍を擁しながら敗退した事例がある。また、晋が数十年で崩壊したように、この広大な大陸を治めるのにも無理があるのだ。それならば、同盟を結び共存した方がよい。それがヨウカとサイコウの考えであった。
「会って話を聞くと伝えよ」
ハクエンの身柄の引き渡し。それが果たすことが出来れば、無益な戦は無くなると思った。
◆
フリョウは魏への使者と聞き、他のものには任せず、自身で行くと決めた。夏との決戦に向けて、魏の介入は防がねばならない。ユウは取り合えず、魏の様子を伺おうという感じなのであろうが、ここはいきなり正念場であると思った。
リンシが建康に呼ばれた。
「ユウといい、あなたといい、わたしに頼りすぎじゃない?」
「魏の使者として向かうことになった。南の珍しい品を用意して欲しい」
「それはお安い御用ね」
倭や朝鮮半島から東南の諸島にかけて広大な交易路を持つが、魏のある華北とは直接の交易は無い。魏は独自に、絹の道と呼ばれる陸の交易路を持ち、東西の交易を活発に行っているのだ。魏にとって南の産物はどれも珍しいに違いない。
「助かるぞ。南北の交易が開けば、お前さんに入る儲けも大きいだろうな」
「ふふふ。その通りよ」
「しかし、そんなに儲けてどうするのだ」
「あら、金はいくらあっても足りないわ。まだまだ世界は広いのよ。わたしは金の力でこの世を支配したいの。金の前では、人も国も宗教も全て跪つくのよ」
「大それたことを考えるのだな」
「この世の真理だわ。ところで、魏に行くなら覚悟することね」
「分かっている......エン様を差し出せと言ってくるのだろう。だが、それは俺の一存では決められぬぞ」
「そうでしょうね。最後はユウがヨウカと直接対決してもらうしかないわ」
◆
使節団は魏に圧力をかけ過ぎないように、かつ侮れないような数を揃えた。フリョウを団長とし、補佐の文官が十人付き、護衛の兵が二千人ついた。献上の品を乗せた車も五十はあった。東晋の威厳を示すような規模でありながら、魏に対しても失礼が無いものであった。
建康から揚子江を渡り、寿春から陸路で邯鄲を目指した。盗賊などはいなく魏の治安の良さを感じた。二週間ほどで邯鄲についた。歴史のある街でありながら、整備され華やかであった。
「ほうほう。色街などもあるのか。ここは天国だな」
「フリョウ様...鼻の下が伸びてますよ」
冬の冷たい風が痛い。雪が降りそうで、比較的、温かい建康とは空気が違った。
邯鄲の宮殿は、どこか古めかしさを残していた。春秋戦国時代から続く古都である。壁には蔦が絡み、どこか森の中にあるのではと錯覚するほどであった。宮殿の周りは一層、空気が冷たく感じるが、澄んでいた。
「遠路はるばるご苦労。東晋の使者よ」
(ふむ。美しいお方だ。そして芯が強そうだ)
カクレンと並び女傑と呼ばれている。ヨウカ自身はカクレンのような武は持たないが、圧倒的な存在感があった。隣にいる長者風の男が宰相のサイコウだろうと思った。
「この度は拝謁を賜り恐悦至極に存じます」
「前置きはよい。本題に入ってくれるか」
「東晋は魏との友好を望んでおります。両国が争う理由はありません」
「ふん、ボクスウを討っておいて抜け抜けと言うことだ」
「これは異なことを仰る。戦は何が起きるか分かりません」
ヨウカはケンカ腰だ。フリョウは、やはりエンの事が関係しているのだと思った。
サイコウが口を挟んだ。
「我が国も東晋との友好を望んでいます。そちらには誠意を見せてもらいたい」
「心得ております。これを」
謁見の間に、甘蔗、香辛料、象牙、琥珀といった華北では見慣れない品々が並んでいった。中には倭の昆布などもある。サイコウは物珍しく、これらの品を手を取りじっくりと見ていた。
「素晴らしい品々です。だが、誠意というのはこういうことではありません」
サイコウの言葉を補うかのように、ヨウカは怒りに満ちた視線をフリョウに送ってきた。
「はて、なんのことでしょうか」
「白々しい......リュウユウ将軍のもとにエンという女がいるであろう。その者をこちらに引き渡して欲しい。話はそれからだ」
やはりそう来た。フリョウは用意していた書状を取り出した。
「これはリュウユウ将軍からの書状です。お読みください」
符術が仕込まれている。フリョウは勝負に出た。
「ほう...リュウユウ将軍は妾に会いたいと申すのか...」
「はい。是非にと。エンのことは私では判断できません。リュウユウ将軍から直接お聞きになるのがよいかと」
「相分かった。追って日時と場所を指定する。使者殿は下がってゆるりとされるがよい」
フリョウは勝ったと思った。サイコウはまさかヨウカがユウに会うと言い出すと思ってもいなかったのであろう。目を丸くして驚いていた。
東晋と魏の同盟、そしてエンの命は、ユウに託された。




