116話 死を賜る
長安陥落の知らせを聞いたのは襄陽まで後半日という時であった。レイセキは壮絶な最期を遂げた。夏が攻めて来ても何か月も持ちこたえる準備はしていたはずであったが、一週間で陥落した。夏が長安攻撃を開始したのは、俺が江陵に向けて出陣した、僅か数日後のことであった。ここまで俺の動きを素早く察知したことに驚いた。カクレンもまた優秀な諜報部隊を揃えているに違いないと思った。
潼関は固く閉ざされ、隴西からの増援が関中に入り、とても長安を奪還できる状況ではなかった。魏も不穏な動きを見せている。今は、東晋と夏と魏との三すくみの状況になっており、迂闊に動けなかった。
俺はコハンの顔を見ても何も言うことが出来なかった。「リュウキを粛清した」言ったのはそれだけだ。コハンは「そう...」としか答えなかった。
リュウキの手記をコハンに見せることは、とても出来そうになかった。見せると何かが終わる気がした。手記の存在を知るのはセキカだけだ。セキカはコハンをどうするかは俺が決めることだと言った。
利用されたとはいえ、コハンとリュウキの関係は深く、シバキュウシの脱獄はおそらくコハンが立てた策であろう。そして、アイの襲撃も。そう考えると俺は胸が張り裂けそうであった。
処断する。それが当然の対応のように思えた。そうしなければ、フコウシをはじめ死んだ仲間は浮かばれない。だが、決断することが出来ず、俺は先送りにしていった。
何気ない日々が続いている。俺とコハンとの間に、明るい笑顔などは無い。夫婦としてごく当たり前に一緒に生活した。ただ唯一、ギリュウと名付けられた子供の笑顔だけが支えとなっていた。
帰還して暫くして、俺は再び夜もコハンと過ごすことにした。コハンは寂しい顔を浮かべながらも、何も言わず、俺を受け入れた。
「あっ...そこは...」
俺は手記に書いてあった内容のままに、コハンを愛撫した。書いてあった通りの反応をした。これまではまるで立ち合いのようであったが、完全に俺が主導権を握っていた。
コハンの恍惚そうな表情、触れられた時の反応、大きく仰け反ることもある。コハンが熱くなっていくのと対照的に、俺の心は冷めていった。
「ユウ...あなた上手になったわね」
「......」
コハンは毎晩、俺を求めてきた。そうすることで何かを紛らそうとしているのだと感じた。そして、それはどこか命乞いのように思えてきた。
◆
フリョウが建康から帰ってきた。ボクシの生前の働きで政治は安定している。まともな官僚がようやく育ってきて、政治を動かしていた。
「ご苦労だったな。フリョウ」
「たいしたことはしていない。それより何か思い詰めているようだが」
「お前に言うことではない...」
「何を言っている。今はお前の軍師ではないかもしれないが、相談くらいは聞いてやるぞ」
俺は暫く黙っていたが、意を決してフリョウに手記を見せた。フリョウには刺激が強かったらしい。鼻血を出してしまった。
「これは、何とも赤裸々な内容だな...で、お前さんはコハンをどうしたいのだ」
「分からないから聞いているんだ」
「...これは俺の専門外だな。男女の気持ちなど分からん」
「やっぱりそうだよな。お前に聞いた俺が馬鹿だったよ」
「そう言うなよ。あまりの内容で驚いただけだ。ここはそうだな...リンシに聞いてみることだな」
「リンシだと?何故だ」
「女の気持ちは女にしか分からん。男の俺たちが考えると普通に処断するしかない。だが、お前さんはコハンを処断したくないと思っている」
「.....そうだな」
「アイには聞けないだろ?エン様ではダメだ。激高して斬りかねん。ならばリンシだ」
俺はフリョウの意見に従った。消去法のような感じであったが、リンシなら上手くやってくれそうな気がした。
◆
「あなたから呼ぶのは珍しいわね」
リンシを捕まえるのは大変であった。肌は小麦色に焼け、どこか東南の香りを身にまとっている。広陵の商館に依頼をしてから、実際にリンシが来るまで三カ月かかった。
「このところ忙しいのよ。南の甘蔗は北でよく売れるの。大儲けだわ。それに西から仏教の僧が建康にも増えてきている。寺院を建てるのも請け負っているのよ」
「幅広くやっているのだな」
「そう。だから雑談している暇はないのよ。でも、あなたの顔を見て来てよかったと思っているわ」
リンシは心配そうに俺の顔を覗いてくる。よい匂いがした。俺はリンシに手記を見せた。
「......あのお色気軍師は危険だと言ったはずだわ」
「覚えている。てっきりリンちゃんとお色気で意地を張り合っているのかと思っていたよ」
「まったく。本当に男って馬鹿ね。で、わたしに意見を求めてきたというわけね」
「そうだ。何か良い手立てはないかな」
「そんなの処断一択じゃない。何を躊躇っているの」
「......」
「冗談よ。あなたにそれは出来ない。時に冷酷に処断するあなたでも、一度、情を交わしたものには優しくなる。あなたの欠点ね。いいわ、わたしに任せなさい」
「任せていいのか」
「ええ。でもあなたは何も言わないでね」
◆
暫くしてリンシからこれをコハンに渡せと言われ、何か袋を受け取った。
「コハンに渡したら、一人でいるときに開けろと言って」
俺は何も詮索しなかった。リンシなら俺の気持ちを汲んでくれるに違いない。どのような結果になろうと任せた以上は受け入れるしかない。
コハンに袋を渡した。コハンは何かしらと言い開けようとしたが、俺は一人になった時に開けてくれと言った。コハンは怪訝な顔をしていたが、袋を棚にしまった。
◆
コハンは夜になり棚から袋を取り出した。ユウはドウサイに会いに行くと言って宛に行ってしまった。
恐る恐る袋を開けた。中には手紙と小さな紙包みがあった。
手紙を広げ、そこに書かれていた文字を読み、コハンは青ざめた。そして紙包みを開けた。何やら緑の粉が包まれていた。全てを察した。もう逃れることは出来ないと思った。
「死を賜る」
それだけが手紙に書かれていた。




