110話 嫌な予感
長安は孤立していた。東晋領との繋がりは僅かに漢中に通じる桟道のみであった。夏とはまだ同盟関係にあるので、完全に孤立しているわけでは無い。潼関も通行は出来る。だが、夏との関係がこじれた場合は、長安はかなり危険な状況になる。
レイセキは、そうならないように努めている。夏に使節を派遣し、贈り物を届け続けている。東晋の方が国力が上であるが、長安を維持する為に夏にへりくだっている状況であった。これを解消するには、早く連合軍を起こし、魏を打ち砕く必要がある。そうすれば、夏は匈奴の旧領を回復し、東晋は中華を手にすることが出来る。
「荊州のリュウキの動きがおかしいだと?」
レイセキは荊州刺史であり、漢中太守でもある。今は長安にいるが、荊州との通信は欠かしていない。ユウの配下の諜報部隊長のギエイも協力してくれている。
「なんでも江陵に武器や物資を集めているとか」
「おかしなことはないだろう。リュウキには来るべき北への進軍に備えよと言ってある」
「それはそうなのですが、実はおかしな人物が出入りしているとの情報があります」
「おかしな人物とは?」
レイセキはその名前を聞き驚愕した。ギエイに引き続き調査してくれと頼むしかなかった。
◆
コハンは出産した。男の子であった。
ユウはとても喜んではしゃいでいた。アイとの子供が出来た時も、このように騒いでいたらしい。
「よくやったな!コハン!」
笑顔のユウに対して、コハンはやつれた表情をしていた。それは出産による疲労だと思ってくれるだろうと思った。事実は隠し通さなければならない。結局のところ、出産は思ったより時間が掛かった。それでも計算が合わないのは確かなのだが、それを言うものは居なかった。
「子に名を」
「お前がつけてくれよ。俺は決定的に名付けが苦手らしい」
「そうね.....知っているわ。あなたの馬のような名前だと可哀想だものね」
コハンはそう言うと「少し考えさせて」と言って目を閉じた。
「疲れたよな。ゆっくり休みなよ」
ユウは優しく言って部屋を出た。何も疑念を抱いていない。コハンは赤子の顔をまじまじと見た。
「......やはりユウには似ていないわね」
◆
荊州。
現在、魏と国境を接する宛と新野の防衛線には、五万の兵を率いドウサイが配置された。そこに補佐としてシャカイが付いていた。エンでは魏に刺激を与えすぎるし、エン自身も魏の将軍相手では判断が狂ってしまう。ドウサイは長安攻めの功績で将軍に昇格し、東晋軍の武力の一角を担う存在となっていた。そこに冷静で知略を持つシャカイが補佐する。
襄陽には東晋の主力として、俺の軍が駐屯した。その数は八万だ。エン、ケイシャン、シュクユウの主力の騎馬隊とモウシュウシ、コウビらの歩兵隊がいた。水軍の将軍に返り咲いたチンアクは、リンシとチョウセキの支援の元、江夏に四万の水軍を擁するようになっていた。こうして荊州北部には十七万の軍が展開し、北部侵攻の機を伺っていた。
荊州南部では、リュウキが江陵で十万の軍を集めていた。ショカツが俺とリュウキの連絡役であるが、その表情はどこか冷めており、このところリュウキに傾倒しているようであった。
(あの時のことを気に病んでいるのか...)
アイが襲撃された時にショカツに八つ当たりした。後方の警備を任せてあるのに職務怠慢だと思ったのだ。その考えは今も変わらないし、謝る気もない。いつかショカツも分かってくれるだろうと思っていた。
建康からは何度も弁明の為に建康に来いという依頼が来ていた。あくまで依頼であり、命令やましてや勅命といったものではなかった。ジョセンシも状況を分かっているが、リュウキの苦情を無視できないという考えなのであろう。
「代わりに俺が行ってやる。それで問題ないだろう」
フリョウが俺の代わりに建康に行って弁明すると言ってきた。
「いや...逆に心配なんだけど」
「俺がジョセンシごときに言い負かされると思っているのか」
「お前、うっかり余計なことを言いそうじゃん」
「失礼なやつだ。新野も宛も落としたのは俺の策だということを忘れたのか。それに俺は戦場よりもこういう弁舌の方があってそうだ」
確かにそうだ。戦場の咄嗟の判断が求められる場面では、フリョウはあまり役に立たなかった。こういう時の方が本来の力を発揮しそうであった。
「そこまで言うなら任せるよ」
「悪いようにはならんよ。安心して待ってろ」
中の政治のことはフリョウに任せるしかない。今はとにかく、軍備を整え、魏との戦いに備える時であった。
そんな時、ギエイとセキカが二人揃ってやってきた。諜報部隊は各地に散っており、その隊長格の二人が揃う機会などそうは無い。その二人が深刻そうな顔をして立っている。
俺は嫌な予感がした。




