108話 孤立する長安
「愚かな男だ......」
カクレンはアリから報告を聞いてため息をついた。アリがほとんど戦闘もせず、潼関に戻ったと聞いた時には乗り込んで詰問しようと思っていたのだ。だが、ほどなくアリから届いた知らせに愕然とし、同時に寂しさも覚えた。
リュウユウの妻が襲撃され、東晋の軍を預かる将軍の立場でありながら、戦場を放棄して妻の元へ走った。甘い男だと思った。優しすぎるとも。そして、なぜその優しさをわたしに向けてくれないのかとも思った。
同盟は破綻しそうであったが、東晋から弁明の使者が来て、約束したより多くの金を支払ってきた。夏にとっても魏の脅威を依然受け続けている。ここで東晋との関係を切るのは得策ではなかった。
長安は東晋の版図に加えられたが、関中の入り口である潼関をはじめ、それ以外の地域は夏が支配している。長安は東晋から見れば飛び地になり、完全に孤立していた。
「次に会ったときは殺す」と手紙を送った。あれはあの夜の一時の感情だ。本心ではまだリュウユウを求めていた。カクレンはやはり、リュウユウのことを考えると体が熱くなるのを感じるのであった。
◆
コハンとの夜は情熱的であった。アイとの関係は初心な恋愛そのもので甘酸っぱいが、コハンとのそれが燃え盛る炎である。カクレンのように支配してくるものではない。俺の中に隠れていた感情を探り当て、剥き出しにしてくる感覚があった。俺は初めのうちはそれに戸惑った。だが、次第にそれを武器にし、まるでコハンと立ち合いをしているかのように振る舞った。愛の形にはいろいろなものがあると思った。
魏との小競り合いは各地であるようだが、本格的なものではない。ボクシが人生の最後に命を削ってまで費やした政治の体制はようやく、実を結んできており、今はジョセンシを宰相として円滑に回っていた。本格的な戦が無い為か、次第に国庫も潤ってきており、揚子江を柱とした東西の交易は活発に行われていた。
リンシと会うのは久しぶりであった。チョウセキの船団はいまや一大勢力となり、揚子江だけでなく、倭から朝鮮、南の交州に至るまで網羅する商網を確立していたのだ。その収益の一部は国庫に入るし、俺の軍の支援にも使われている。おかげで、魏との大敗の痛手は回復してきていた。
「まさかコハンを側室にするとはね......アイの時と違い即決なのね」
「からかうなよ。あの時はまだ若かったのだ」
「急に歳を取ったようなことを言わないで。あなた結婚してまだ三年しか経ってないでしょ」
「三年目の浮気くらい大目に見てよというだろ」
「そんなの聞いたことないわ。浮気なの?アイに言うわよ」
俺は「それだけはやめてくれ」と首をぶるぶると振ると、リンシは笑っていた。
「まあ、いまやあなたは東晋の中でも、一、二を争う武将よ。側室くらい居てもおかしくないわ」
「アイも認めてくれたよ......」
「そうなの、それは子供が可愛くて、あなたの事なんて眼中にないのよ」
「な、なんてこというのだ......おれはアイ一筋なのに......」
「何が一筋よ。あの女の豊かなお胸に溺れてるくせに。大きな戦がないからといって弛んでるんじゃないのかしら」
俺は返す言葉がなかった。確かに毎晩お楽しみだったのだ。少し自重しようと思った。一応少しだけ。たぶん少しだけ。
◆
ショカツは、あの時、殴られた頬の痛さを今でも思い出す。
アイを守れなかったとリュウユウに殴られた。完全に逆恨みであった。たまたま新野に居なかった。いや、仮に居たとしても暗殺者の対応など軍の仕事ではない。フコウシが死んだが、諜報部隊にいたのだから仕方がないことなのだ。
長安攻めの主力から外され、補給部隊の護衛に回された。それも重要な任務と言われたが、ショカツは今でも納得していない。死んだやつらには悪いが、東晋が敗退したと聞いた時には、ざまあみろという思いが先に出ていた。
「リュウユウなど見限ってこっちにこい」
リュウキとは何故か気があった。たびたび会い、本音で話し合った。リュウキは漢王室再興を本気で願っていることが分かった。リュウビは皇帝になったが、作ったのは自分の王朝で漢王室の再興では無い。リュウビでも成し遂げることが出来なかったと聞いて、ショカツは心が躍った。
先祖のショカツリョウのようにはなりたくなかった。どんなに綺麗ごとを言おうと、過労で倒れた負け犬だ。ショカツは大将軍になり後世に名を残したかった。それが、誰の国でもよい。リュウキの漢王室再興に乗るのも悪くは無い。
こうして、リュウキとの関係が深まると、その口から驚くべき言葉が飛び出た。いや、ショカツはその言葉を待っていたのかもしれない。
「リュウユウを討つ」




