107話 悲しみを乗り越える
遥か建康の方角を見ていた。
涙が止まらなかった。俺があんな上奏をしなければと悔やんだ。心の奥ではそれは違うと告げている。俺もボクシもそれが最上の選択であり、あの時は全てが充実していると感じていたのだ。
どこでこうなったのか。何度思い返しても、結果は変わらない。それでも考えずにはいられない。
「ユウ。嘆いても前には進まないわよ」
コハンが立っていた。俺をその大きな胸で抱きしめた。
肌の匂い。どこか包容力のある感触。コハンに対してそれを感じるとは思わなかった。俺にはアイがいる。だが、アイは遠く京口にいて側にはいない。
俺には抱きしめてくれる存在が必要だったのかもしれないと思った。
涙が引いていく。その温もりは、西日が差し込むせいなのか、コハンの体温なのか。どちらでもよかった。ただ、人の温もりを感じていたかった。
◆
「死んじまったものは仕方ない。こういう時は飲むのだ」
フリョウの軽口に俺は腹が立ったが、フリョウは拳を固く握り震えていた。ボクシという友を失ったのはフリョウも同じであるのだ。
「......そうだな。飲むか」
みんな泣きながら飲んでいた。この長安攻めで失ったものは大きかった。
テイゴ、フコウシ、カイギョク、そしてボクシ。
決起の時、名前を連ねた者たちが次々と俺の元を去っていく。俺は壁にもたれ掛かり、一人で杯を重ねていると、フリョウが横に坐ってきた。
「おい、いつまでも沈んでないで飲んで騒げと言ったろ!」
「......そんなこと言われてもな」
「ふん!まあいい、とりあえずこれを飲め。そうすれば気分が晴れる」
俺はフリョウから酒を注がれ飲み干した。
「うっ!なんだこれ!まさか毒か!」
「毒なわけないだろ!どうだ気分が高揚してきただろ!」
俺は何故だか体が熱くなるのを感じ、雄たけびを上げた。みんなが俺の方を向き驚いている。いくら飲んでも酔わない俺が、まさか酔って暴れるのかという顔をしている。
そして俺はみんなが黙って見るなか、凄まじく空気が振動するほどの屁をこいた。
みんな呆然とした。
「あははははは!どうだ!ユウ!その酒の威力は!」
「フリョウ!お前!」
俺がフリョウを追いかけまわしているのをみて、みんな爆笑した。
モウシュウシが屁をこき、火をつける芸を始める。
「くせえぞ!やめろー!」
「ふん。下品な芸だ。俺の優雅な魔法芸をみろ」
シャカイはそう言うと、風魔法でヒラヒラと扇子をいくつも宙で舞わせた。キラキラと月光を反射し、みんな歓声をあげた。
すると酔っぱらっているシャカイは手元がくるった。扇子を舞わせるつもりが、風はエンの衣服の裾を巻き上げた。エンの美しい肢体が月光に照らされ、鮮やかに浮かび上がる。
みんな目を丸くした。フリョウはそれをみて鼻血を噴き出した。女性であるコハンもシュクユウもその姿に見惚れてしまっていた。
「ちょっとシャカイくん。いいかしら」
冷静で寛容なエンが青筋を立てながらシャカイに近づく。
「シャカイやっちまったな。たっぷりお仕置きされてこいよ」
裏でシャカイがボコボコにされる音を聞きながら、俺はみんなにチョボをやろうと言った。ドウサイたちが寄ってきた。
久しぶりであった。こうして皆で盛り上がるのはいつ以来であろうか。ボコボコにされて顔を腫らしたシャカイが戻ってきて座についた。フリョウは符術でイカサマをしようとしたのでぶん殴った。俺は全員を負かして大笑いして仰向けになった。
「ボクシ......見守ってくれよ」
北の一番大きな星が一瞬輝いた気がした。俺はもう泣かなかった。




