106話 敗戦、そして
宛に到着した頃には敗戦の報告が届いていた。俺は怪我から復帰したシュクユウを連れ、前線に戻る途中であり、宛に留まり続報を待つことにした。
何日かするとエンとケイシャン、フリョウが到着した。退路には魏のブクレンが伏せていたが、予測していたのか騎馬隊で蹴散らして突破したのだという。
「ユウ......ごめんなさい。あなたの留守を預かっていたのにこんなことになって......」
「エン様の責任ではないぞ。お前が戦場を離れるから悪いのだ」
俺はフリョウの言う事に腹が立ったが黙っていた。アイの事が心配で居ても立っても居られなかったのだ。さすがにフリョウは言い過ぎたと思ったのか、俯いてなにも言わなかった。
続いてコハンが戻ってきた。ドウサイたち歩兵隊は数人、数十人がバラバラにやってきた。ボクスウに粉砕され、散り散りになり逃げたのだという。
「すまない。俺が戦場を離れたばっかりに......」
「謝るなユウ。俺たちはお前に頼りすぎていたんだ」
ドウサイの言葉は重たかった。誰もがそれを痛感しているという顔であった。俺はみんなに助けられてきたし、そんなことは微塵も思っていなかったのだが、実際は俺が抜けると、魏のような強敵とは戦えないことが分かった。
「うう......兄弟が.....カイギョクが......」
「チンアク!あなた生きていたの!?」
最後にチンアクが戻ってきた。体の至る所に火傷があり、煤だらけであった。コハンの策でボクスウを火計にかけたのだという。そこでカイギョクはボクスウを道連れにし焼死した。
コハンはチンアクの頭をポンと叩き首を振った。珍しく泣いているようであった。ボクスウを討たれたのは魏にとって大きな痛手であろう。だが、俺たちの方もその代償は大きかった。
敗戦の空気が重たかった。
長安を五万で出たが、一万以上を討たれていた。夏の方の八万はほぼ無傷で、アリは東晋の苦戦を見ても救援をせずに引き上げたのだという。
これから先、カクレンがどのように動くか不安であった。俺が戦場を離れた。その行動がすべてを狂わす結果になっている。
「この戦は後秦を滅ぼし、長安と荊州の北側一帯を手中に収めたのよ。戦果としては上等よ」
コハンはそう言ったが震えていた。結果としてはそうであろうが、下僕だなんだと言って冷たくあしらっていても、コハンはカイギョクを失い悲しみに暮れていた。顔を手で覆いながら奥へ下がっていった。
俺はそのまま宛に駐屯した。ここを抑えておけば魏はそう簡単に南下できない。夏に返礼品と使節を送り、関係性を保つ。それでカクレンがどこまで満足するかは分からない。「今度会った時は殺す」という手紙が来た。もうとっくに同盟は破綻しているのかもしれない。だが、今はそうするしかなかった。
魏の方もボクスウが戦死し、軍制の見直しに迫られているらしい。夏との国境付近では小競り合いは続いている。俺たちの方も宛周辺に偵察のような部隊が近づいてくるが大規模な戦闘には発展しなかった。
リュウキが来た。
「大将が戦場を捨てるなどあるまじき行為だ。許されると思うのか」
リュウキの態度は初めから厳しかった。建康にも報告しているという。俺の方もボクシにギエイを送り説明していた。アイが京口に戻っていることで、全て理解してくれるはずであった。
「なぜ、リュウキ殿が建康に報告する必要があるのだ」
「なんだ。不満があるのか」
睨みあう。俺は何故、こんなにリュウキが敵意剥き出しなのか理解できなかった。だから思い切って聞いてみた。
「リュウキ殿は俺に恨みでもあるのか」
「お前みたいなやつは嫌いなんだよ。偽善者め」
「偽善者だと!俺のどこが偽善者だと言うのだ」
「ユウ、やめなさい。それにリュウキも」
コハンが割って入った。リュウキは引き離されたが、俺を睨んだままであった。
「リュウビめ......負けたくせに生意気だ」
「リュウビ?ちょっと落ち着きなさい」
リュウキは言い間違えてしまったことに気づきハッとした。そもそもリュウビのように耳がデカくない。顔は似ていない。だが、何故かリュウビに見えてしまい言ってしまった。
「コハン...話がある」
◆
オウヒツが死んだ。もともと体調が悪く、公務を退いたことにしてカンゲンを騙した。はじめは演技のつもりであったが、東晋を再興してからは激務に追われ、本当に体調を崩した。
武官に対して文官が圧倒的に不足していた。カンゲンの政治は汚職まみれで、使い物になる文官が少なかった。重要な判断はオウヒツとジョセンシで行った。その忙しさの中で、リュウユウから土断法の進言があった。それは皇帝への上奏として正式に裁可された。
ますます忙しくなった。ボクシが手伝うことで少しは余裕が出来たが、体調の方は悪くなる一方であった。
ある日、ボクシが出仕しないオウヒツの様子を見に行くと既にこと切れていた。東晋再興前から皇帝に長く仕えた功労者であったが、葬儀は簡素なものであった。東晋の財政は豪華な葬儀に費やすような余力は無かった。軍費に湯水のように金が消えていくのだ。
ボクシは睡眠時間を削って働いた。働いて働いて働きまくった。食事を取る時間も惜しかった。
初めは寝不足が辛かった。だが、次第に体が慣れていった。それに連れてなぜか食欲が減退していき、食べたいという気持ちすら、わかなくなっていた。
ボクシに会ったものは、誰もが一瞬ハッとした顔をする。
「......そんなに俺の顔酷いのかな」
ボクシは鏡に映る自分の顔を見て驚愕した。目がくぼみ、隈が出来て頬が痩せ細っている。手足の肉も、戦場に出ていた面影がないほど削げ落ちていた。
「少しは休んだ方がいいのかな......」
ボクシはそう考えながら外に出た。夏の日差しが強く肌に焼き付くようだ。
足取りが重く、歩いている感覚がなかった。昼間のはずなのに暗い。
誰かの声が遠く聞こえてくる。ボクシは「うるさいな.....」と思った。




